おばけきゅうりのおはなし
こはるちゃんの住む町では、夏になると、9のつく日に夜市が立ちました。
車の来る大きな道の、あっちとこっちに通せんぼをして、車を通れなくしてから、道沿いにたくさん屋台が並びます。
まぶしい電球に照らされた屋台のお店は、通り慣れたいつもの道を、いつもとはちょっと違う世界に変えてしまうようでした。
こはるちゃんは、夜市が大好きでした。
夜市の立つ日には、いつもそわそわして、夕ご飯もそこそこに、夜市に行きたいとお母さんを急かします。
近所のお友だちも誘い合って、待ちに待った夜市に行くと、特別にもらったおこづかいをにぎりしめて、今日はどこで遊ぶかを相談しました。
金魚すくいに、ヨーヨー釣り。
どんぐりあめに、東京コロッケ。
ぜんぶやりたいけど、限られたグンシキンでは、そういうわけにはいきません。
金魚かヨーヨーは、どっちか。
東京コロッケは外せへんなあ・・・。
道の端から端まで、何度も何度も往復しながら、そんなことを言い合うのでした。
その日もこはるちゃんはやりたいことを決めかねて、道をもう、三べんも往復していました。
お友だちはさっさとヨーヨー釣りと東京コロッケに決めて、右手でヨーヨーをばんばんしながら、左手で串に刺したコロッケを食べていました。
はよせんと、夜市、終わってまうで?
付き合いのいいお友だちも、流石にそろそろ呆れてきたのか、そう言い出します。
こはるちゃんは、うん、うん、と空返事をしながら、四回目の往復を始めました。
なに?なんか、ほしいものでもあるん?
察しのいいお友だちに見抜かれて、こはるちゃんはぎょっとしました。
え?いや、あの、そんなことは・・・
ないよ、と言う声が、ちっさくなります。
その、ちっさい声のままで、実は・・・と言い出しました。
ちょっと、気になるもん、あって・・・
夜市ではおもちゃも売っていましたが、買い物はしないのが暗黙の了解でした。
おもちゃを買ってしまっては、遊ぶことができなくなるからです。
なになん?
ほしいんやったら、もう、今日はそれにしてしもたら?
お友だちに背中を押されて、こはるちゃんは思い切ってあるお店の前で足を止めました。
あれ。
こはるちゃんの指さしたのは、小さな植物の苗でした。
なに、あれ?花?
さあ。
けど、なんか、黄色い花咲いてて、カワイイな、て。
お店の前でこそこそと話していると、店番をしていた人が、うっそりと顔をあげました。
いらっしゃい。
背中を丸めて寝ているとばっかり思っていたのに声をかけられて、こはるちゃんとお友だちはぎょっとして後ずさりしました。
どれ?
店番の人は気にした様子もなく、こはるちゃんにいきなりそう尋ねました。
その人は、おじさんでもなく、おにいさんというわけでもなく、もちろん、おじいさんではなく、ひょっとしたらおばさんかもしれない、ちょっと不思議な感じの人でした。
こはるちゃんは声を出す勇気はありませんでしたが、思い切って、さっき言ってた苗を指さしました。
ああ、それ。
はい。
おじ、おにい?さんは、こはるちゃんの指さした苗をがさがさと袋に入れると、差し出してきました。
苗を買ってしまうと、今夜のグンシキンはもう全部なくなってしまいました。
結局、今夜は何も遊びはできなくなりましたが、それでも、帰り道、こはるちゃんは袋に入れた苗を見ながらゴキゲンでした。
お母さんは、こはるちゃんの買ってきた苗を見てちょっとびっくりしてましたが、お友だちは、よかったなあ、と言ってくれました。
家に帰り着いたこはるちゃんは、おかあさんに植木鉢をもらって、買ってきた苗を植えてあげました。たっぷりお水をあげて、おやすみ、と声をかけると、そのまま寝てしまいました。
翌日。
朝見ると、苗はちょっぴり大きくなったみたいでした。
こはるちゃんはバケツにいっぱいお水を汲むと、苗にたぁぁぁっぷり、お水をあげました。
その日の夕方。
苗はまた大きくなったみたいでした。
黄色い花は、昨夜はひとつだけだったのが、三つになってました。
こはるちゃんはまた、バケツにお水を汲んで、苗にたぁぁぁっぷり、お水をあげました。
その翌朝。
苗は、もっと、もーーーっと大きくなっていました。
こはるちゃんは、またバケツにいっぱいのお水をあげました。
そして、夕方。
苗はいつの間にかベランダのひさしより高いところまで大きくなっていました。
黄色い花は、もう数えきれないくらいたくさん咲いています。
お水ももう一杯では足りなさそうでした。
こはるちゃんはバケツにおかわりをして、お水を三杯あげました。
その夜のことです。
喉が渇いて、こはるちゃんは夜中に目を覚ましました。
台所に行こうとして、ふと、カーテンを開けっ放しにしてあったベランダが目に入りました。
すると、あの苗が、しゅるしゅると踊るようにしながら、伸びていくのが見えました。
ひさしを越え、街並みを越え、水平線を越えて、苗は、空へ空へと伸びていきました。
うわあ・・・
こはるちゃんは思わず声をあげてしまいました。
しなやかに左に右にとしなる苗は、まるで見事な踊りを踊っているようでした。
上へ上へと伸びていくさまは、より高くより高く、高みを目指して手を伸ばしているようでした。
水を飲むことも、眠たいのも忘れて、こはるちゃんは、じっと苗の動きを見ていました。
苗は、もだえてのたうちまわり、けれど、確実に、上へ上へと伸びていきました。
そうしていつの間にか空へと伸びた苗は、点々と無数の黄色い花をつけました。
花はくるくると咲き誇り、あっという間に枯れて、実をつけました。
それは不思議な実でした。
みどりいろで、細長くて、ぼつぼつとしたいぼが全身にあります。
そこに、真っ黒でうつろな目と口の穴が開いて、実はいっせいに、うわぁあおー、と歌い始めました。
それは、天上の音楽、とは似ても似つかぬ、騒音でした。
あんまりうるさくて、こはるちゃんは思わず両手で耳を塞ぎました。
けれど、そうしてもまだ、うるさい音は聞こえてきました。
うるさーーーい!!!
こはるちゃんは思わずそう叫んでいました。
そのときです。
空から、ぷわぷわと、なにやら人のかたちをした影が降りてきました。
ああ、やれやれ。
こんなところにあったのか。
影はそう言うと、いきなり苗を根っこから引き抜きました。
叫んでいた実たちは、いっせいに黙りました。
こはるちゃんは呆気に取られて影のことをただ見ていました。
こはるちゃんの大事にしていた苗を引っこ抜かれたことには、一瞬後になってから気づきました。
あああああーーーっ!!!
それ、あたしのっ!!!
こはるちゃんが思わずそう叫ぶと、影は、ぬるりとこちらを振り向きました。
あ。
目が合った瞬間、そう言ったのは影だったのか、こはるちゃんだったのか、判別がつきませんでした。
こはるちゃんを振り返った影は、何を考えているのか分からない目をして、じぃっとこはるちゃんのことを見つめました。
みーたーなー。
みーたーよー。
いや。他にどう返せばよかったんでしょうか。
そう返したこはるちゃんを、影はまたしばらくじぃぃぃっと見つめておりました。
どうも、こちらの手違いで、ご迷惑をおかけしたみたいで、申し訳ありません。
しばらくすると、影はそう言ってこちらにむき直ると、ぺこりと頭を下げました。
いえいえ、どういたしまして。
どう返したものか分からなくて、こはるちゃんは、とりあえず、そう答えると、ぺこりと頭を下げました。
これはあの、ここにあってはいけないものなので、持って帰ります。
影はまたそう言いました。
それ、うちのお小遣いで買うたのに・・・
こはるちゃんはちょっと残念そうに言いました。
確かに。ただで持って帰るのは申し訳ない。
影は深々とうなずいて言いました。
ご迷惑をおかけしたのはこちらやし、せめてもの誠意っちゅうもんを、お見せしましょう。
セイイ?
言葉の意味が分からなくて首を傾げたこはるちゃんに、影は、にっこりと笑いました。
代わりに、ええもん、植えておきますから、楽しみにしとってや。
それだけ言い残すと、影は、叫ぶ実のいっぱいついた苗を持って、どこかへ消えてしまいました。
翌朝、目を覚ましたこはるちゃんは、急いでベランダを見に行きました。
昨夜見たのは、本当のことだったのか、それとも夢だったのか、こはるちゃんにも判別がつきませんでした。
けれども、ベランダの植木鉢を一目見て、こはるちゃんは、あれが本当にあった出来事だと確信しました。
そこには、やっぱり黄色い花のついた苗が植わっていました。
苗はベランダの柵にからみついて、ずいぶん上まで伸びていました。
そこには黄色い花がいっぱいついていました。
こはるちゃんはまた、バケツに水をいっぱいに汲んで苗にかけてあげました。
夕方見ると、黄色い花はみんなしぼんでしまって、その下に細長い、みどりいろをした実をつけていました。
こはるちゃんは毎日朝晩、苗に水をあげました。
実はぐんぐんと大きくなっていきました。
いつの間にか、苗には大きなきゅうりがぶらんぶらんとたくさんなっていました。
それは、一本で、普通のきゅうりの八倍くらいある、大きな大きなきゅうりでした。
あれって、おばけきゅうりの苗だったのね。
お母さんはそう言って感心していました。
こはるちゃんは、お母さんと一緒に、おばけきゅうりを収穫しました。
その夜は、晩ご飯におばけきゅうりをいただきました。
きゅうりは大きくてみずみずしくて、とても美味しいきゅうりでした。