かつて聖女だった森の魔女は、今日も誰かの恋バナで盛り上がっている。~復讐なんて、興味ありません。激甘な恋バナこそ至高なのです!~
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「だから、ちゃんとオレの話を聞けって言ってるだろ! ひとが話をしているときは、相手の目を見るって小さい頃に習わなかったのか!」
「大声を出さないでちょうだい。私は三時のおやつをいただいているの」
少年を制し、私はティーカップを持ち上げた。ミルクをたっぷり注いだ濃いめの紅茶は、私好みの味わいだ。
先ほどから子犬のように吠えているのは、見知らぬ少年。「魔女」と呼ばれる私の前にたどり着いたことから考えて、何かしら強い願いを抱えているらしい。
幼いながら凛々しい横顔は、将来有望だ。でも残念、年下は趣味ではないのよね。こんなことを言っていたら、またヒューバートに叱られてしまうかしら。
「客の前でひとり優雅にお茶を満喫するとか、どうなってんだよ」
「ひとりではないわ。ヒューバートと一緒よ」
飲みかけのティーカップをテーブルに置き、ソファに腰かけたヒューバートの頬に唇を落とした。はあ、今日も笑顔がまぶしいわ。
私の仕草に少年が青筋を立てる。すぐにイライラしてしまうのは、お腹が空いているからよ。そうよ、食べ物が手に入らないことほど悲しいことはないわ。育ち盛りの子どもは、しっかり栄養をとらなくては。
「焼きたてのスコーンなの。自信作よ。あなたもおひとついかが?」
「ひとがこうやって頭を下げて頼んでいるのに、あんたはさっきからふざけてばかり。一体どういうつもりだ!」
「あら、残念。食べないのであれば、私とヒューバートがすべていただこうかしら」
「ぬいぐるみは、スコーンなんて食べないだろうが!」
少年がスコーンをひったくり、かぶりついた。これくらいの年齢の子って、扱いが難しいのよね。思春期かしら。
それにしても、私のヒューバートをぬいぐるみ呼ばわりだなんて失礼しちゃうわ。
「クロテッドクリームもちゃんとつけてあげるから。静かになさい」
「っ! 魔女、お茶!」
スコーンを喉に詰まらせたのか、少年がさらに大声をあげた。ああ、いけない。そんなことをすると、我慢がきかなくなる。
「今すぐふざけた口を閉じよ、痴れ者が!」
部屋に満ちた威圧感に、彼の顔が青ざめた。目の前にいるのは、さまざまな伝説を持つ古の魔女なのだということをようやく思い出したらしい。だから静かにするように言ったのに。
「まったくもう、『私』は『お茶』ではないわ」
「……怒るとこ、そこなのかよ」
「それ以外に何があるというの」
「悪いが、お茶をくれ。口の中の水分が全部持っていかれて死にそうなんだ」
「変ねえ。今日のスコーンは、近年まれにみる会心の出来だったのに」
「本気か?」
「ヒューバートはいつも喜んでくれるわ」
「ぬいぐるみはしゃべらねえだろうがよ」
「あなたねえ、私がヒューバートを抑えているから良いものを。本来ならすでに3回は死んでるわよ」
静かな部屋の中に、少年の咀嚼音だけが響く。途中で鼻水をすする音が混じり始めた。あらあら、別に泣かなくても良いではないの。
「どうしてあんたは、オレの話を真面目に聞いてくれないんだ……」
「私はいつでも真面目よ。でも、まあ、あなたのお話はつまらないわね」
「つ、つまらないだと!」
「ええ、そうよ。誰かの悪口も、不平不満もお腹いっぱい。なぜ、私がいちいち聞いてあげなくてはならないの。そういうものは、穴でも掘って勝手に叫んでくださる?」
「でも、あんたは魔女だ!」
少年の言葉を鼻で笑う。そんな青くさいことばかり言っていると、いつか信じた相手に裏切られて野垂れ死にすることになるのよ。この世は弱肉強食。食うか、食われるかなんだから。
「魔女だから何だというの。人助けは聖女の仕事よ」
「聖女に頼めるならば、そもそもあんたになんか頼むものか!」
「ああ、あなたの国は数百年前から聖女が現れなくなってしまったのよね。お気の毒さま」
「うるさい!」
「魔女に暴言を吐くくらいですもの、聖女にも同じ扱いをしたのではないの。みんなの感情のくずかごにされて、たまりかねて逃げ出したのではないかしら」
「そんなこと、あるはずが……」
「どうして断言できるの。そもそも、あなたが勝手にこの家に押しかけたのよ。それは『客』と言うのかしら」
うつむく少年に、私は小首を傾げてみせる。押しかけている自覚はあるらしい。
「でもまあ私は優しいから、あなたに力を貸してあげないこともないわ」
「じゃあ!」
「タダ働きは嫌。あなたは一体私に何を差し出せるの?」
瞳を輝かせた少年が、ぐっとこぶしを握りしめた。一片の迷いもなく、彼は言い切る。まったく愚かなことに。
「オレの命を!」
「あなたの命に、どうしてそれほどの価値があると思えるのかしら。自信過剰も大概になさいな。だいたい、命をもらってどうするのよ。ジャムみたいに瓶詰めにして保管できるとでも思っているの?」
さあ、考えてごらんなさい。目の前の魔女は何が欲しいのか。どうすれば、願いを叶えてくれるのか。あなたの覚悟はどんなものか見せてちょうだい。
「どうすればいい?」
「あら、それを私に聞くの? 興ざめだわ」
「もう、時間がないんだ。このままでは、お嬢さまがっ。あのひとは何も悪くないのに、争いごとの落とし所として切り捨てられてしまう。そんなのおかしいじゃないか! あんなに優しいひとが、どうして裏切られたあげく、ひとりで痛みを背負い込まなくちゃならないんだ!」
本心だとわかる少年の悲鳴に、私は唇がつり上がるのがわかった。まあ、嬉しい。彼は、久しぶりの本当の『お客さま』だったのね。
「ならば、私を楽しませなさい」
「くそ、やっぱり性悪ババアじゃねえか! 初物好きの変態が!」
「貴様、よほど死にたいらしいな! お望み通り、口からはらわたを引きずり出してやろう」
「ひえっ」
「もう、驚きの口の悪さね。ねえ、わかるかしら。負の感情にはもううんざりなの! さあ、話してご覧なさい。あなたの恋のお話を。きらめくあなたのその想いを。そうすれば、あなたの願いが叶うかもしれなくてよ」
私は久方ぶりの娯楽を前に、純真な少女のように微笑んでみせた。
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「……というわけで、オレはお嬢さまに恋をしたんだ……。って、何度も言わすなよ。恥ずかしい!」
「それであなたは、お慕いするお嬢さまを救うべく、単身魔女の住む館に乗り込んだというわけね! 素敵だわ。命懸けの一途な恋にくらくらしてしまいそう!」
「喜んでもらえて何よりだよ。しかし、なんだって急に前のめりになるのさ。オレ、さっきまで国がおかしいとか、お嬢さまがはめられたとか散々言ってなかったっけ」
「だって、私が聞きたいのは恋バナだもの。陰謀やら復讐やらではなくってよ」
「ぶれねえな」
少年の呆れたような視線が突き刺さるけれど、私には関係のないこと。清廉潔白に過ごそうと、誰かのために心を砕こうと、ひとは好き勝手に他人をあげつらう。ならばいっそ、性癖に素直に生きたほうがいい。
「身分差ゆえに許されぬ恋、たまらないわ。側にいられるだけで良いだなんて、ああもう尊い」
「オレの話が対価になるというのなら……。お嬢さまを救う方法を教えてほしい。どうすれば、お嬢さまは幸せになれる?」
少年の問いに、私は問い返してみせる。
「あなたの考えるお嬢さまの幸せって何かしら」
「そりゃあ、何不自由なく今までと同じように暮らせることだろう」
この子もそんなことを言うのね。思わずヒューバートを撫でていた手に力を込める。悲鳴が聞こえた気がするが、おそらく勘違いだろう。
「自分の命を簡単に投げ捨てようとしただけではあきたらず、まだそんな寝言を言うのなら、あなたが王族のご落胤ということで革命を起こしてみてはいかが? 国の上層部の首をすべてはねてしまえば、お嬢さまの地位も安泰よ」
「え、オレ、そういう血筋なの?」
「大元を辿れば、大抵の人間の血筋は混じりあうもの」
「それは違うだろ」
「お嬢さまを今の暮らしのまま救いたいのなら、これくらいしなければだめね。いっそのこと、国ごと全部つぶしてしまうのはどう? 手っ取り早いわ」
「それは……」
「ねえ、お嬢さまはあなたに何をお願いした? 贅沢な暮らしをねだったりした?」
彼女はそんなことを望まなかったはずだ。私にはわかる。だって、かつての私自身がそうだったのだから。
「オレと一緒ならどこでもいいって。どこか遠くに逃げて、静かに暮らせればって……。でもオレが嫌なんだ。お嬢さまは、きっと平民暮らしなんて耐えられない。オレはさ、思うんだよ。愛も金もある方が幸せだけれど、どちらかしか選べないなら、やっぱり金じゃないのか。愛でお腹はいっぱいにはならないけれど、金から情は生まれるはずだ」
「だから、そのためなら死んでもかまわないと?」
「なんであんたがそこまで怒るんだよ。お嬢さまの幸せがオレの幸せなんだ」
彼の物言いに、ますます私の手に力がこもる。本当に男という生き物は、いつもいつも好き勝手なことばかり。
「男はみなそう言うのよ。愛する者を踏み台にして幸せになりたい女が、どこにいるというの。まったく頭が沸いているのではないかしら」
「な、なんだよ」
「あなたが死ねば、お嬢さまとやらは自ら命を絶つわ。あるいは世界を呪ってしまうかもね」
「そんなわけ……」
「ならば試してみましょうか。私は魔女。あなたの選んだ行動の報いを、好きなだけ受けてごらんなさい」
見つめあったまま目を離さずにいれば、不意に少年が視線を逸らした。どこか気恥ずかしそうな表情に変わる。
「……やめておく。オレのせいで、お嬢さまが苦しむのはイヤだ」
「賢明な判断ね。相手を幸せにしたいのなら、しっかり隣に立って守りなさい。死んでしまったら、相手がどんな窮地に陥っても、あなたは指をくわえて見守ることしかできなくなるのよ」
ふうと息をつけば、家の中がめちゃくちゃになっていた。少しばかり、取り乱してしまったかもしれない。
「あのさ、ぬいぐるみの体がねじまがってすごいことになってるけど、いいのか?」
「あら、ついうっかり」
「なんかぬいぐるみが死にそうな顔をしてるんだけど」
「ふふふ、このかわいそう可愛いところがヒューバートのチャームポイントなの」
私の言葉に、少年はなんともいえない表情を浮かべた。おかしいわね、何か変なことを言ったかしら。
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「なあ、それちょっと……」
彼の手が私の抱えるぬいぐるみに伸びた瞬間、またもや空気がびりびりと震えた。
「誰の許可を得た!」
「あんた両極端過ぎて怖いんだけど。そもそも、どこからそんな声出してるの」
「ひとの物に勝手に触れようとするからいけないのよ」
怯えた眼差しを受け流し、私は素知らぬ顔でヒューバートに頬ずりする。誰がなんと言おうと、彼は世界で一番愛しい私の宝物。
「そのぬいぐるみ、そんなに大事なのか? 『ヒューバート』って名前でその格好ってことは、こいつは『聖騎士ヒューバート』なんだろ?」
「ええ、彼は私のすべて。彼がいるから、今の私はここにある」
「このどことなく黒っぽいのがねえ……」
こういう言葉は何度も聞いてきた。それくらい、この世界で「聖騎士ヒューバート」の評判は悪い。
かつてとある王国の聖女を守護していた見目麗しい騎士は、教会にて祈りを捧げることしか知らない聖女を哀れんで、彼女をさらって逃げたのだと伝えられている。神の怒りに触れたがゆえに、その王国は一夜にして滅んだとも言われているけれど……まったく馬鹿馬鹿しい。みんな、本当のことなど何一つ知らないくせに。
「あら、あなたも彼は光の騎士ではないというの? 聖女をさらい、闇に堕ちた愚かな騎士だと?」
「うーん、そういうことじゃなくてさ。このぬいぐるみ、なんか普通に汚くねえ?」
「え?」
少年の意外な言葉にまじまじとヒューバートを見つめる。確かに、以前よりも少しばかり全体が黒ずんでいるような……。
「これ、いつ洗ったの? あんたさ、いつも一緒なんだろ。だから、手垢で汚れてるんだよ。聖騎士っていうからにはもともと白銀の鎧を模してるんだろうけど、ここらへん灰色を通り越してもう真っ黒じゃん」
「そ、そんな……」
「まあ、手垢なら石鹸で落ちるから、風呂入ったときについでに洗いなよ。あんた、ズボラそうだから、それくらいしかできないだろうし」
「ズ、ズボラ……」
歯に衣着せぬ少年の言葉が辛い。
「だって、さっき使ったティーカップ、底の部分が茶渋で汚れていたぞ」
「わ、わかったわ」
「長時間、熱いお湯に漬けるなよ。色落ちには気をつけろ。型崩れしないように、平らな場所で乾かせ。洗うなら、晴れの日が続く日にしろ。雨の日に干したら、最悪、カビが生えたり、変な生乾き臭が発生するからな」
私は、こくこくとうなずいた。少年の言葉は意外なほど優しくて、それが不思議に心地いい。
「魔女が聖騎士を好きだなんて、おかしいとは思わないの?」
「誰が誰を好きになるか、愛するかなんて、神さまにだって決められないだろ。それは、さっきまでひとの恋バナを根掘り葉掘り聞いて、きゃーきゃー言ってたあんたが一番よくわかっているんじゃないのか」
「ふふふ、ええ、そうね。その通りだわ」
少年の言葉が嬉しくて、私はころころと笑う。腕の中で、ヒューバートも首を揺らしながら同意してくれた。
「まあ、正直、自分の人生まるごと聖女に捧げちゃった相手を好きになるのは、ちょっと不毛かなとも思うけどさ。それでもひとを好きになるのは自由だよな」
「私はそんなヒューバートだから、好きになったのよ?」
「うん、知ってる。その心の強さは本気で尊敬する」
「黙れ、小僧。二度と生意気な口をきけぬようにしてやろう」
「ひえっ」
彼なら、いいえ、彼らなら大丈夫かしら。つつましくとも、幸せな人生を送ってほしい。大きな夢を見すぎたら、足元をすくわれてしまうから。
でも彼の言うとおりお金はあった方がいいわね。せっかくだから、ポケットにいろいろ詰め込んであげましょう。持ち運びに便利で換金しやすいものが、いくつか手元にあったはず。
「さてと。良い暇潰しだったわ。さあ、もうお帰りなさい。王子さまは、お姫さまを迎えに行くのが仕事でしょう?」
「お嬢さまがお姫さまなのはいいとして。誰だよ、王子さまって」
「好きなひとが迎えに来てくれるのだもの、あなたは王子さまで間違いないわ」
「いやいや、何言ってるんだよ。うやむやにしようったってそうはいかねえ。お嬢さまを助けるの、協力してくれるって言ったじゃないか!」
「安心しなさい。魔女は嘘などつかないわ。こんなところを、長いことうろついていてはいけないの。戻れるものも戻れなくなる」
「何を言って……」
「さようなら、可愛らしい恋人たち。あなたたちの未来に、神のご加護があらんことを」
心から彼らの未来を祈る。久しぶりに唱えた祝詞は、それでもなめらかにつむがれていく。黒く染まったはずの髪が不意に黄金に輝いた。部屋の中は風もないのに、ふわふわと髪とドレスがたなびく。まったく、神様ったら演出が過ぎるわね。
「教会で見た絵と同じ? あんた、いや、あなたは……」
目を丸くした少年に向かって、私は笑顔で手を振った。
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「それで、あの小僧はどうなさるおつもりです」
「ひとの命を奪うことには抵抗があるみたいだったから、遠く離れた国に逃がしてあげるつもりよ」
「王族の血筋というのは本当だったでしょう。後始末は彼ら自身がやるべきなのでは?」
ぷんすかと私に怒っているのは、聖騎士ヒューバート。突然のお客さまのせいでお茶会を中断させられていた彼は、非常にご機嫌ななめなのだ。ぬいぐるみ姿で怒られても、ちっとも怖くないのだけれど。
騎士として活躍し、私のために神殺しまでやってのけた彼からすれば、自ら戦うことなく逃げることを選択した彼の姿は、あまりにも情けないものなのかもしれない。
でもね、神さまが本来の力を取り戻すまでの間、罰として人形の姿で暮らす羽目になっているあなたなら、力に訴えることで不利益を被ることも理解できるはずよね。
「彼らは権力から離れて、つつましく生きることができるよき人間よ」
「この国は、彼らがいなくなったら早晩焼け野原になりそうですけれどね」
「すべてを救うほど、私も暇ではないわ。私のお眼鏡にかなったものだけで十分よ」
「あの頃のあなたに聞かせたい言葉です」
「ええ、本当にね。今の私は魔女ですもの。悪い女らしく、自分勝手に生きるのよ」
私が胸を張れば、ヒューバートがひとつ咳払いをした。
「……ところで、ここにひとが来るたびにわたしを抱きしめるのはなぜですか」
「だって、ヒューバートったらすぐにお客さまを斬り殺そうとするんだもの。ダメよ、恋バナをしてくれる相手は貴重なんだから。私の楽しみを奪わないでちょうだい」
知っているのよ。事前に「お客さま」を選別していること。それでも諦めない危険人物は森の周りでモズのはやにえのようになっていること。でもまあ、生きていても害しかないから、ちょうどいいのかしら?
「アレが客など笑止千万。あなたに暴言を吐くほうが悪いのです。やはり槍で一思いに心臓を貫いてやるべきでした」
「手は出さなかったけれど、十分に口を出したのを忘れたの。あの暴言が、すべて私が言ったことになっているのは良いのかしら」
「あなたに懸想する可能性が減り、大変助かります」
「まったくもう。当代の歴史書に、『魔女は大変口が悪い』と書かれたらどうするつもりなの」
「憂いのないように国をまるごと消し去れば良いのではないでしょうか?」
極端だけれど、私を一番大切にしてくれるヒューバートが好き。聖女だった頃の自分に伝えてやりたいものね。
すべてを守ることなんてできないし、すべての人間に愛されることもできない。ひとは綺麗なだけの生き物ではなく、醜く残酷な部分も持ち合わせている。だからこそ、大切にすべき人間は選ばないといけないの。
やれやれと言わんばかりに、ヒューバートが頭を振った。私の腕の中から降りようと、ぴょこぴょこと腕を振り回す。
「あのような下賎の男と同席したのです。今すぐ、湯浴みをせねば。準備してまいりますので、どうぞお待ちくださいませ」
「せっかくだし、一緒に入れば良いのではないかしら?」
名案だと声をあげた私を、ヒューバートがうろんな顔で見上げてくる。
「は?」
「あの少年も言っていたわ。湯あみの時に洗ってあげればいいって。善は急げよ。さあ、今から一緒にお風呂に入りましょう。私のヒューバートのことを、薄汚れたぬいぐるみだなんてもう言わせないわ」
「お止めください。必要ならば、食器洗いのあとにわたしが自分でお湯に浸かれば良いだけです! どうせなら、ティーカップの茶渋を重曹でとったあとに、わたしの汚れも落としてしまいましょう」
「そう言って、この間重曹が目に入って悶絶していたのはだれ。その前は、たらいの底にしばらく沈んで大変なことになったじゃない」
「あれは、少しばかり油断しただけです。私は死にませんし、自動修復機能もついていますから」
「だったらなおのこと。お風呂の泡で優しく洗ってあげるから、怖がらないでいいのよ?」
「安心できる要素がありません!」
「もう、ぬいぐるみだから鎧を脱ぐわけではないのにいちいちうるさくてよ。私が服を脱ぐだけだというのに、あなたが乙女のように恥じらってどうするの」
「それが一番の問題なのです!」
また私にお説教を始めるヒューバートを見ていると、幸せだなあと思う。ふたりでいられるなら、どこにいても私は同じ気持ちになれる。
でもね、先に死ぬのだけは絶対に許さないんだから。本当に私のことを愛してくれているのなら、私のためにちゃんと生きて。命を簡単に投げ出さないで。
あとは、もう少しだけ、ふたりの仲が縮まると嬉しいのだけれど。
今日ここに来た彼が愛しのお嬢さまとごく普通の人生を得られるといいなあと思いながら、私はいそいそと着替えの支度をするのだった。