記憶の中の少年
さびれた広場で小さな自分が踊っている。
噴水の水はやっぱり止まっていて、この頃からすでに人通りはなかった。
家の手伝いはせず、踊ってばかりいた自分は毎日両親に怒られていた。
けれど、踊ることをやめられないのだと泣き喚く自分の手を引いたのは誰だったか。
子供にはまだ大きな黒い縁の眼鏡をかけた男の子が、ここなら誰にも見つからないよと教えてくれた秘密の場所。
それが、この広場だ。
マイナバードが自由に、心のままに羽ばたける場所だった。
適当なステップを踏み、適当な歌を歌いながらでたらめに、しかし一生懸命に踊る自分にいつも小さな拍手が送られていた。
男の子は無表情だったが、赤く染まった耳と頬が興奮していることマイナバードに伝えてくれる。
「マイナバード。きれいだよ」
素直な感想に、幼いマイナバードは恥ずかしくそっぽを向いてしまう。
「あ、ありがと。あ、あんたもか、かっこいいわよ……その……メガネが」
「め、メガネ……」
かっこいいと言われて嬉しそうに目を開いた少年は、続いた言葉にあからさまに肩を落とした。
その様子にマイナバードは慌てたが、気持ちとは裏腹にアマノジャクな口は止まらない。
「そうよ、メガネ! あんたのメガネはかっこいい。だから、ずっとしてなさいよねっ」
「わ、わかった。僕ずっとしてる! このメガネっ」
表情に乏しい彼が、顔を真っ赤にして自分を一心に見つめるので、マイナバードもつられて顔が真っ赤に染まった。
踊っていないのに、胸がどくどく言って、息苦しい。
それに、なんだか変な汗が出てきた。
「マイナバード? どうしたの? どこか痛いの?」
マイナバード。
マイナバード。
自分の名を呼ぶ少年の声が遠くに聞こえる。
代わりに、声変わり前の高い声が徐々に低くなり、よく知る男の声に代わっていった。
おい、マイナバード。
マイナバード。
「マインッ」
「そんなに呼ばなくても、聞こえてるわよ」
目を開けた先にいたのは、やはりダサい黒縁眼鏡をかけた男……のはずだった。
「ああ、マイナバード。よかった。目がさめたんだね」
「ガルボ…どうして」
視界に移った細い目がより細くゆがんだ。
「あなたがなかなか帰って来ないから心配したんだ」
黒縁眼鏡にいたはずだが、今自分が寝ているのは、ガルボの宿泊している安宿のベッドの上だった。
身を起こすのを手伝ってくれた彼は、マイナバードに水の入ったグラスを差し出した。
「ありがと」
「どういたしまして」
思った以上に喉が渇いていたらしい。
ひとたび水に舌が触れると、もっともっととたちまち飲み干してしまった。
その様子にガルボはクスリと笑うと、再びコップに水を注いだ。
マイナバードはそれも一息に飲み干した。
「その様子だと、外の空気はよく吸えたみたいだね」
ガルボは空になったグラスを彼女の手から抜き取り、テーブルにおく。
その一連の動作をぼんやりと眺めながら、マイナバードはガルボに尋ねた。
「あたし、黒縁眼鏡に居たと思うんだけど」
久しぶりに聞いた、慣れ親しんだ男の声。
意識を失う前に自分の名を呼ぶ切羽詰まった男の声に、ひどく安心したところまでは覚えている。
自分はどのように宿に戻ってきたのだろか。
マイナバードは理由を聞こうとガルボを見上げたが、言葉にすることは出来なかった。
「君は黒縁眼鏡には行っていないよ」
「……え?」
そんなわけない。
憎たらしいまでに耳になじんだ声と、眼鏡を自分は確かに確認した。
己を支える力強い腕の熱さも。
マイナバードは反論したかったが、何故か声がでない。
「イーナ。君は外を散歩して、ココにかえってきた」
いや、あたしは確かに……店に行った。
行ったはず。
本当に?
マイナバードは頭の中に霧がかかったようにぼんやりとしてきた。
「イーナ。君の今の居場所はどこだい? 君はどこで踊るんだい?」
ガルボの声が優しく、甘く、頭の中を響いていく。
「さあ、イーナ。君の踊る意味は何だった?」
あたしの踊る意味?
「君は僕の為に踊ってくれるんだろう?」
頭の中に、大きすぎる黒縁眼鏡をかけた男の子の顔が浮かんだ。
「君は、僕の、為に、踊るんだ」
ガルボの声が頭の中に響き、いっぱいになる。
「イーナ。君は何のために踊る?」
あたしは、ガルボの為に踊るのだ。
ガルボの絵の具で黒く染まった指先が、マイナバードの頬を撫でた。
「さあ、イーナ。踊って」
マイナバードはガルボの声に誘われるように、ゆっくりと立ち上がった。
頭の片隅に、泣きそうな男の子の顔が浮かんだが、それはすぐに消えた。
イーゼルの前にガルボが座る。
マイナバードは包帯のまかれた足で、ステップを踏んだ。
ガルボが一番大切なのは絵を描くこと