マイナバードの決断
『黒縁眼鏡』での出番を終えたマイナバードはいつもの様に汗だくの『お約束』でハンカチをもらいながらも、どこかすがすがしい気分でいた。
今日もパラキートは可愛い。
そして、人気だ。
でも、不思議となんの感情も沸いてこない。
踊り終わりのピンヒールも羽のように軽く感じる。
マイナバードはバーカウンターに寄りかかると、今日も無心でシェイカーを振るカンに向かって手を広げた。
「カーンっ。眼鏡をおよこし。最高に機嫌のよいバードちゃんがオーダーを取ってきてあげるわ」
広げられた掌に熱いタオルを載せ、カンは少し間をおいて口を開いた。
「マイン……昨日何があった」
カンの探るような声音に、マイナバードはわずかに手を止めた。
「何もないわよ。いつもの様にだらだらとした休日」
「嘘をつくな。街外れでお前と旅の男が一緒にいるところを見たと言っていた」
「誰がよ」
「パラキートだ」
「また、あの子」
どこまでも自分の行く道に現れる嫌な子。
マイナバードは無意識に唇をかんだ。
「マイン。噛むな」
カンはマイナバードの唇をぐっとつまんだ。
「んっ」
「お前は、踊り子だ。舞台に立つ奴は見えるところに傷をつけるな」
カンの言葉を聞いた瞬間、マイナバードの中で何かが切れた。
己に触れるカンの手を振りはらう。
「ああそう」
「マイン?」
「見えないところなら、傷ついてもいいんだ」
「違う。そういう意味じゃない」
「どうせあたしはパラキートの繋だもの。あの子を引き立てるためにいるんだもの」
マイナバードは自分で吐いた言葉に、愕然とした。
あたしが踊る意味がやっと分かった。
それは、パラキートを引き立てること。
なんて、なんて、くだらない。
マイナバードはタオルをカウンターにたたきつけると、カンの作ったカクテルをぐっとあおった。
「マインっ」
「店、やめるわ。さようなら」
「まて! マインっ」
マイナバードは己の名を呼ぶカンの声を振り切るように店を飛び出した。
狭い階段を上りきると、店の熱気が嘘のように寒さを感じる。
舞台用の衣装は過剰なほど肌が露出しているため、風が直接肌にあたり、急激に体が冷えていく。カンのカクテルをもう一杯くらい奪ってくればよかった。
マイナバードは少しだけ、階段下を見下ろした。
もしかすると、扉が開くかもしれない。
戻ってきてくれと、カンが必至な様子で追いかけてくるかもしれない。
二人の様子に何事かと気づき、追いかけてくれる人がいるかもしれない。
しかし、無情にも階下から漏れ聞こえるのはもう一人の踊り子を湛える歓声だけ。
「馬鹿みたいだわ」
店に背を向けて、歩き出そうとした彼女の腕が掴まれ、肩にふわりと外套がかけられた。
ほこりっぽく、分厚いお世辞にもキレイとはいいがたいけれど、今のマイナバードにとって一番欲しかった温もりだった。
「ガルボ」
名を呼ばれた相手は細い目をさらに細めた。
それは、真っ黒な闇夜に浮かぶ猫の爪に似ている。
「イーナ。まだ、あなたの絵が完成していないんだよ」
「それは、大変ね」
差し出された手を、マイナバードは握った。
獣のように伸びた爪で、傷つけないように、そっと。
かめの歩みですすみます。