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ダンスバー『黒縁眼鏡』

マイナバードは『マイナバード』という性別です。

彼女と表記していますが、彼かもしれません。

ぱっきりとした区別はありません。

苦手な方は、逃げてください。

ダンスバー『黒縁眼鏡』 

大通りから一筋離れた路地の地下に、その店はあった。

店の扉を開けると、酒気と葉煙草の煙がまず鼻を突き、次に異様な熱気と激しい楽器の音色が頭を揺さぶる。

 昼間の服を脱ぎ捨てた人々は、表情筋が死んでいると有名なマスターの作る色彩豊かなカクテルを片手に狂おしく舞う踊り子の姿に熱狂していた。

 中央に設置された一段高い舞踏台の上を、マイナバードは優美に羽ばたく。

 床に穴が開きそうなほどの細く長いピンヒールは一つの音もたてず、彼女のしなやかな体を支える。長い手足が揺らめけば、彼女の体を覆うわずかな布が男たちの目を奪った。

 彼女はまとわりつく色情を含んだ視線に満足し、紅のひかれた薄い唇に笑みを浮かべた。

 大きく開かれた足は天を示し、そろえられた指は地を撫でる。

 天にささげる舞の様で、人々を惑わす悪魔の誘いにも思える。

 彼女が最後の羽を羽ばたかせ、地に下りると、割れんばかりの喝采が店内を震わせた。

「マイナバード!! 今日もよかった!!」

「最高だった!」

「やっぱり、あんたが一番だよ!!」

 飛んでくる賛辞を、マイナバードは優雅な礼で受け止めた。

 深く一礼し顔を上げると、とたんに爆笑が生まれる。

「わっはははっ。待ってました!」

「これだよっこれっ」

 爆笑の理由を察して、彼女は先ほどまでの優雅さを金繰り捨てて、太い声で鳴いた。

「ちょっと! 笑わないでくれるっ? 毎回毎回お約束じゃないのよっっ」

 マイナバードの顔は、激しい踊りの為に流れ落ちた汗でマスカラは剥がれ、アイラインは落ち、白粉はドロドロと溶け斑に残るばかりだ。

 まるで色をぶちまけたパレットの様な顔は、まるで道化師。

 踊る前と後のこのギャップが不本意なことに『お約束』として客たちが望むものであった。

 マイナバードが不機嫌に舞台を飛び降り、テーブルの間をがつがつと歩くと、調子のよい客たちからチップとばかりにハンカチが押し付けら得る。

「だから! 布じゃなくて金を寄越しなさいよっ」

「だって、あんた汗すごいじゃないか」

「服の布は少ないけどな」

「こういう衣装よ!! でもありがとうねっ」

 文句を言いつつも、彼女は律儀にお礼を言いながらハンカチを受け取る。

 両手いっぱいのハンカチを受け取って、彼女がカウンターに腰掛けた時には、客たちの意識は既にマイナバードにはなく、舞踏台に舞い降りた新たな鳥に向けられていた。

「我らの天使! パラキートっ」

 パラキートという名が双方から飛び交い、呼ばれた踊り子は無垢な笑顔で答えた。

 長身のマイナバードと正反対の小さく白い体が身軽に宙を舞う。

 大きな瞳は星を含んできらきらと光った。

 青空の下、満開の花畑を走り回る少女の様なその姿。

 荒んだ心を癒す天使の微笑みの様な、女神の一撫での様な……。

 眩しい。

 マイナバードは知らず唇をかむと、顔に勢いよく熱い布が押し付けられた。

「マイン唇をかむな。そして早くカクテルを運んでくれ」

「カン……あんた、表情筋だけじゃなくて心も死んでんじゃないの?」

 カンと呼ばれた黒縁眼鏡のマスターはマイナバードの言葉に眉を少し動かしただけだ。

 もくもくとシェイカーを振っては繊細なカクテルを仕上げていく。

 踊り子はフロワーも兼ねており、出番が終わった鳥達はそのまま配膳の仕事に就く。

 自身の営業も兼ねているので(たまにチップももらえるし)マイナバードはこの店のスタイルが嫌いじゃない。嫌いじゃないが。

「疲れた踊り子を少しはいたわりなさいよ」

「ほら」

 カンは実にタイミングよくカクテルグラスを彼女の前に差し出した。

 透き通った液体は小さな気泡が含まれ、ほんのり凍っているようだった。

「あら、たまには気が利くじゃない……ん?」

 一口含んだマイナバードはきょとんと首を傾げ、じっとこちらを見ているカンを見返したまま飲み干した。

「……疲れてるのかしら。味が分かんなかった。ねえ、カン。これなんのカクテル?」

「水と氷だ」

「あんた!」

「早く持っていけ。味がおちる」

「ほんっっと嫌なやつーっ」

 マイナバードは出来上がったカクテルの乗ったトレーを手に取り、フロアに戻ろうとしたところを、カンに止められた。

「マイン」

「何よっ。あんたが早くいけっていったんでしょ」

「動くな」

「っ!」

 いらいらと声を上げるマイナバードを一言で黙らせ、カンは自分の眼鏡を外すと彼女にかけた。

 不愛想な口調とは裏腹に、彼の仕草は酷く優しい。

 大きく指の長い手が、頬と眼鏡が傷つかないように、顔を覆うように眼鏡を着せる。

 近づいた互い顔、静かなカンの息遣いに、マイナバードは思わず緊張のため喉を鳴らした。

「フロアに出る時は、眼鏡をかける。約束だったろう」

 これはマイナバードがカンの店で働くための二人の約束だ。

 踊り終わった後は、眼鏡をかける。

「忘れてないわよっ。この黒縁眼鏡好きの変態」

 マイナバードの悪態をカンは無視し、早くいけと顎をしゃくった。

 彼女はフンっと鼻を鳴らし、細いピンヒールで床を削りながらフロアに戻った。

 

 音と熱気の中に戻った彼女は慣れた仕草でカクテルをサーブしていく。

 同時に注文を取りながらさりげなく己の営業もかける。

 自分のファン(客)を増やすことも大事な仕事だ。

 見てくれる人がいなければ、意味がない。

「あら、あんた久しぶりじゃないの」

「ああ、マイナバード。ここの所仕事が忙しくてね。やっと落ち着いたんだ。だから、今日はパラキートをじっくり見ていたいんだよ。おしゃべりは今度な」

「あ、そう」

 マイナバードは雑にグラスを置いたが、客の視線はお目当てのパラキートに向けられているため気にしない。

 彼女があたりを見回すと、全ての客がそうであった。

 マイナバードは舞台の上でアンコールに答え、自分の持ち時間を優に超えて舞う小さな踊り子をにらみつけた。

 明らかに自分の方が技術が上だ。

 音の取り方も、体の使い方も、体幹もすべてが自分の方が優れている自信がある。

 踊り続けたため土踏まずは膨らみ、足裏は犬の足のように厚みを持った。

 両腕を広げると、引き締まった背中から肩甲骨が翼のように盛り盛り上がる。

 踊りに必要な筋肉だけが全身を覆う。

 彼女に踊れない踊りなどない。

 しかし、人気があるのは、ただただ可愛いかわいい、パラキート。

 男も女も老いも若きも皆、パラキートに夢中だ。

 現に、先ほどまで自分にハンカチをくれた連中も、マイナバードがグラスを置いても顔を向けない。オーダーだけは投げてくるが。

 吐き出したくなるため息を押し殺すと、鼻の上に乗った眼鏡の重さを感じる。

 ちらりとカンを盗み見ると、相変わらず仏頂面でシェイカーを振っている。

 彼の視線がちらりと舞台を向いた。

 パラキートがひらりと舞う。

 マイナバードはぐっと唇をかみしめてカウンターに向かおうとした。

「すみません」

 その彼女を引き留める声がかけられた。

「はいはい。何にします?」

「あなた」

「はいはい。だから、ご注文を聞いていますよ」

「あなたがいいのだけど」

 思わぬ答えに、マイナバードはそこで初めて客の顔をみた。

 ゆるいウェーブの掛った長い髪。

 細い眼はこちらに向かってカーブを描く。果たしてこちらがちゃんと見えているのかと思うほど。脱いだ外套は足元に置かれた大きな鞄の上に置かれており、その足元は土埃で汚れていた。

「あら、旅の人なの? じゃあ、知らなかったのかもしれないけど、確かにここは魅力的な踊り子はいるけどね。そういう店ではないのよ」

 暗に他を当たりなと、マイナバードが踵を返そうとすると、今度は手首をつかまれた。

「しつこいわねっ」

「あなたは誤解してる」

「はあ?」

 マイナバードがいらだって、尖ったかかとを男の足が刺さるぎりぎりに踏み落とすと、旅の男は鞄から一冊の画帳を取り出した。

 受け取ったマイナバードは中をめくると、息をのんだ。

 そこには、自分がいたから。

 全身全霊で舞を舞う己の姿が、そこにあった。

「粗削りだけど。あなたの踊る姿が美しかったから」

「……あたしが良いっていうのは……つまり」

「ええ。あなたを描きたい」

「……パラキートじゃないのね」

「なにかい?」

 マイナバードの小さな呟きは、踊り終えたパラキートに寄せられる歓声に埋もれて聞こえなかったらしい。

「なんでもないわ。でも、ごめんなさいね。あたしに目を付けたのは誉めてあげるけど、あたしは踊り子よ。じっとしてるのは向いてないの」

 そういって、背を向け他のテーブルに向かう彼女に、旅の男は叫んだ。

「じゃ、じゃあ、明日。明日もここに来るから。あなたが踊っている間、あなたを描いてもいいかな」

「すきにすれば」

「ありがとう!」

 マイナバードの言葉に、旅の男は細い目をさらに細めた。

 背を向けても視線を感じるのは彼女にとって初めての事だった。

 布の少ない服が、何故か心もとなく感じる。

 カウンターに戻ったマイナバードに、カンは不機嫌そうに顔をしかめた。

「遅かったな」

「そんなことないでしょう。オーダーよ」

 マイナバードが差し出した注文票を一瞥して、シェイカーに氷を入れ、メジャーカップにリキュールを淹れる。

 流れるような作業を横目に、マイナバードはちらりと先ほどの旅の男のいたテーブルに目をやると、彼はすでに席を立っていた。

「……そういえば、オーダー取ってなかったわ」

「とってるじゃないか」

 どんなに音楽が鳴っていようと、喧騒の中であろうとカンはマイナバードの声を必ずひろう。

 毎日爆音の中にいれば、聴覚も鍛えられるのだろう。

 店主としてはよいスキルだが、今は余計なだけだ。

「何でもないわよ。さて、パラキートが終わったみたいよ。あの子がお酒をもっていった方がお客様も喜ぶってものだわ」

 マイナバードはかけていた眼鏡をはずすと、手の塞がったカンの目にかけた。

 凶器のように伸ばされ、くちばしのように黄色く塗られた爪を頬に当てないように。

「お疲れ様でした。あたしは帰るわ」

「おい! マインっ」

カンは店を後にするマイナバードを引き留めようと声をかけるが、パラキートと共に酒を飲みたい客たちの声が双方からかかり、カンはシェイカーを振る手を止めることができなかった。


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