夏期講習1②
「……ねえ、塩崎さん」
私は意を決したように、口を開いた。
「放課後、塩崎さん書かせてくれない?」
「ちょっと、恥ずかしいよ……」
黙々と、私はその「女の子」の制服の袖を描いていく。
「……ほう。よい出来かもしれんなあ」
「な、なんで私なの?」
塩崎さんはきまりが悪そうに、もじもじしている。
「なんでって!塩崎さんともっと話してみたいし、かわいいからすごく描きがいあるでしょ?」
「そんなことないよ……」
照れている塩崎さんもかわいい。だが、そんなことは1組の常識だ。
淑やかな彼女が見せてくれるのは、花のような可憐さだけではない。照れたり、ほほえんだり、驚いたり。1日でたくさんの表情を見ることができた。
そう、まるで……空のように。
あの時の、あかね色の空のように。
「塩崎さん、いろいろなスキル持ってるのにもったいないよ。空みたいに」
「空……?」
「ううん、なんでもないよ」
私は笑い、キャンバスに目を移した。
「そうそう、あのさ」
ずいっと塩崎さんに近づく。塩崎さんは少し驚いて一歩引いたけど。
「若菜ちゃん、って呼んでいい?」
そういった途端、彼女ははっと小さく息をのんだ。
「だめ、だった……?」
おそるおそる尋ねると、塩崎さんは横に首を振る。
「……そんなことないよ。ありがとう」
塩崎さんは、ふっと口元で笑った。そのうるんだ瞳は、とても切なげに見えた。
* * *
ざく、ざく。
一つ、また一つと、舗装されていない地面に足跡をつけていく。
「はあ……」
大きくため息をつく、少女が一人。
塩崎若菜。咲の同級生だ。
一歩、また一歩。
重く感じる足を引きずらせ、たどり着いたのは。
「……しお?」
「大樹。いたんだ」
思わず顔をほころばせる、若菜。
その場所は、なんと小さな神社だった。
「気が付いたらここに来てたんだ。しおは?」
「……私も」
池のほとりのベンチで、二人はたたずむ。
水中ではくるくると、金魚が踊るように泳いでいる。あかね色の夕日を反射させながら。
若菜はぎゅっとスカートの端を握った。
「ねえ、どうしよう。大樹、どうしよう……」
若菜はさらにうつむく。
「……しおは一番つらいよな。わかるよ」
まるで大切な宝石に触れるように、大樹は優しく若菜の頭をなでた。
「……大樹の手は、昔からみんなを守ってきたよ。なでられているだけで落ち着くの。きっと、咲も……」
この手に守られてきたんだよ。
口にそう出かけたが、のどにつっかえたように言葉が出ない。
「……今日ね、夏期講習があったの。そしたら咲が私をね」
描きたいって……
そう言おうとした途端に、何かがこみ上げてきた。
言葉で表せない、悲しみでも喜びでもない感情。
同時に、視界もぐにゃりとぼやける。
あふれんばかりに涙がこぼれてきた。
「ねえ、私」
嗚咽を交えながらも、突然流れ始めた涙を止めようとする、若菜。
もちろん彼女も驚いていた。
止めどなく溢れる涙。
必死に止めようとするも、思えば思うほどあふれてくる。
怖かった。怖くてたまらない。
「大丈夫。大丈夫だよ」
大樹はそっと若菜の手に手を重ねる。包み込むように。
「……ゆっくりでいいから。しおの言いたいことは、俺にもよくわかるからさ」
胸の奥にズキと痛むように、だが救われるように、その言葉が突き刺さる。
「……私を描き出したの。そしたら、空の話を……」
空。
あかねいろの、あの時の。
「私のこと、若菜ちゃんって呼んでもいいかなって……」
さらに勢いを増して、若菜の涙はこぼれ落ちる。
抑制できない感情。
表現のできないことが、若菜にとってはとても辛いことだった。
本音を口に出せば、さらに涙があふれてくる。
「変わっちゃった咲の、変わらない性格が怖いの……!」
やっとの思いで言い切ったその短文には、言葉で表しきれない感情と、涙がつまっていた。
ずきずきと「何か」が痛む。それと共鳴するように、若菜は背徳感に飲み込まれた。
若菜を優しく見守る、大樹。
そんな二人の姿を、境内から見ていたのは
春馬だった。