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第5話 接近

2025年8月16日 ネオンシティ警察署 午前8時30分



 エレナやウォッシュ含む警察官たちは、オフィスに集められていた。ある事件が発生したからである。静かに座る部下たちを前に、署長は厳粛に話し始めた。


「みんな、聞いてくれ。今朝、ヒョウザ刑務所から連絡が入った。終身刑を受けていた凶悪犯バランチ・バーベラが脱獄したとのことだ」

 皆、顔をしかめ、不安をあらわにした。ただひとり、ウォッシュだけは、しめた、という思いであった。胸中、自分の思惑が順調に進んでいる喜びに浸っていたのだ。


 ウォッシュは先日の夜、宣言通り、ヒョウザ刑務所のバランチの部屋の格子の隙間に、ピッキングセットを投げ込んだのであった。闇市場で購入した、4890ドルの代物である。

 しばらくの間をあけたのち、署長は続けた。


「バランチの行方は今のところ分かっていない。街中に連絡を回し、怪しい人物がいれば連絡をするように住民に頼んでいる。目撃情報を参考に、彼女の居場所を探し出すぞ。今のところ被害は出ていないが、彼女の前科を考えると、何をしでかすか分かったもんじゃない。みんな、よろしく頼んだよ」



 署長が話している途中、署の中にある一台の液晶テレビが、誰に見られるでもなく付けっ放しにされ、無機質に、ある映像を流していた。それは、ある討論番組。ウルボーグの犯行の是非を問う討論が、政治家や思想家、研究者の間で行われていた。

 有能な教員として知られるアーバイン教授は、死刑の必要性を熱心に説き、周りを頷かせていた。ウォッシュもエレナもすぐに署を出たため、その映像に気付く余地はない。







2025年8月17日 シルバープラザ付近 午後10時33分


 ウォッシュの目論見は達成されつつあった。もはや、ほぼ達成されたといっても良い。彼の唯一の不安は、警察とウルボーグ、どちらが先にバランチの居場所を発見するかということであった。結果、ある意味優秀な処刑人といえるウルボーグは、いち早くバランチの位置を特定した。


 今、ここシルバープラザ付近の公園では、ついにウルボーグがバランチを追い詰めていた。ウォッシュはレンガの壁の向こうから、その様子をコソコソと見ていた。ウルボーグの恐るべき能力を、この目に収めたいと思っていたのである。あわよくば、その能力の秘密を暴くとは言わないまでも、そのカギがつかめれば幸いだと考えている。


 ウォッシュは、あらかじめ用意しておいた小型のビデオカメラを起動した。そして、ウルボーグとバランチの様子を録画し始めた。


 ウルボーグは、バランチの命を奪うことが可能な距離まで接近していた。ウルボーグは拳を横に一閃した。今まで数々の罪人を屠ってきた、当たれば即死の必殺パンチである。だが、その拳は空を殴った。バランチはうまいこと、後ろに退いてこれを回避したのである。ウルボーグの拳は、近くにあった幼女の銅像の顔を粉砕した。


 バランチは驚きのあまり腰を抜かし、地に尻をついた。バランチの全身ががくがくと震えているのが、レンガ越しのウォッシュまで伝わってきた。声を震わせながら、バランチは疑問を呈した。


「な、何者なんだお前は!」

 ウルボーグはバランチを見下げ、厳かに答えた。

「世の新しい秩序だ」

 ウルボーグは、勢いよくバランチの胸ぐらを掴み、後ろに投げ飛ばした。ぬいぐるみのように軽々と、弧を描きながら彼女の体は飛んだ。そして、地をごろごろと転がった。両手をつき立ち上がろうとするバランチ。だが、すぐそばにウルボーグは来ていた。


「バランチ・バーべラよ。お前は長く生きすぎた」

 バランチは、ウルボーグの顔を見上げた。目には、まだ死にたくないという意思が強くこもっている。

「助けてくれ! 死にたくない!」

「悪人の最期にふさわしい間抜けなセリフだな」

 ウルボーグはバランチの肩を掴み、持ち上げて近くの大木にその体を押さえつけた。バランチは、ぐわ! と声をあげた。

「煉獄をさまよう惨めな魂よ! 今解放してやろう!」

 ウルボーグはもう片方の手を、バランチの胸に突いた。


 グシャ!


 五本の指が、バランチの胸に深く突き刺さった。


「あ、あが、がが……」

 バランチは、しばらく苦しそうな声をあげた。手はウルボーグの腕を力なく掴み、足はバタバタと宙に動いた。やがて、彼女の手足はぴたりと止まり、重力に従ってだらりと垂れた。

 ウルボーグは、胸に突きさした手を抜き、彼女の体を放した。その死体は、ズルズルと下に落ち、木にもたれて座っているかのような姿勢になった。木には、彼女の血がべったりとついていた。少し高いところに空いている縦長の穴は、ウルボーグの手が彼女の体を貫通し、木を凹ませた証拠である。


 ウォッシュは、自分の上下の歯が、がちがちと小刻みに接触していることを自覚した。ウルボーグの犯行の瞬間を映像に捉えた喜びよりも、彼の圧倒的な力への恐怖の方が勝っていたのだ。

 処刑を終えたウルボーグは、どこかへ向かおうと歩き始めた。これを見たウォッシュは、恐怖心を何とか抑え、彼を追おうと歩を進めた。大丈夫、ウルボーグはまだ、俺がそばにいることに気付いてないはずだ。そう信じて。


 ピピピ、ピピピ……


 このとき、ウォッシュの持つカメラが、高い音を発した。見ると、カメラは何かの文字を表示している。


――充電が、残り10%です――


「むっ!」

 ウルボーグが、音のした方を向いた。視線の先、レンガの壁の向こうには、カメラを構えたウォッシュがいる。


 ウォッシュは、全身の血の気が引くのを感じた。体の内から、冷気が立ち込めてくるような寒さを感じた。彼は、この小さなドジによって、自らの居場所を怪人に知らしめてしまったのである。

 逃げる手段をめまぐるしく思考していたウォッシュであったが、ウルボーグは勢いよく地を蹴り、一瞬で壁の前まで来た。そして、拳を繰り出した。


 ウォッシュは何をする間もなく、壁ごと吹き飛ばされた。彼はガレキとともに宙を舞った。彼が空中を移動した時間は、ほんの一秒にも満たなかったが、今、その時間はとても長く感じられた。彼には、すべてがスローに映った。そして、過去の思い出が何度も目の前にフラシュバックした。エレナとの日常の会話が思い出された。警察署に初めて出勤した日が思い出された。学生時代に付き合っていた彼女の顔が映った。最後に、今まで見たことのない、赤黒く太く長い川が、ウォッシュの目の端にちらりと現れた。


 そこで、ウォッシュの時間は通常のスピードに戻り、背中から地についた。まだ生きることを諦めないこの童顔な男は、節々に痛みを感じる体を引きずりながら、そそくさと、大木の裏に隠れた。先ほど、バランチが殺害された木である。


 ウルボーグは、粉砕したレンガの向こうに何も見つけられず、しばらく突っ立っていた。


「む、気のせいかな」

 そしてきびすを返し、再び歩き始めた。

 ウォッシュは息をひそめながら、怪人の背中を見た。すると、ウルボーグの手首についている腕輪のようなものが、キュインキュインと音を発し始めた。そして、ウルボーグの体は、だんだんと縮んでいった。怪人の体から、服を着た人間の体になった。彼は、人間だったのである。

 ウォッシュは、ウルボーグの変身が解ける瞬間を目撃した喜びを噛みしめながら、目を閉じた。




第6話 真相 へつづく

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