第4話 牢獄
2025年八8月15日 アバシー刑務所面会室 午前11時0分
エレナは、ある囚人と面会に来ていた。昔、強盗に襲われた際、誤って強盗を刺し逮捕された友人、アルミリカがいるのだ。休日をぬっては、アルミリカに会いに来ている。エレナは、彼女に罪があるとは思えない。自分にできることなら一刻も早く、牢から出してやりたいという気持ちだ。
透明な壁を挟み向かい合って座る二人は、いつも通り仲良く話していた。
「外の様子教えて?」
アルミリカは、エレナが来るとほとんど決まってこう聞く。何しろ、刑務所の中では変化がない。毎日同じ部屋、似たような食事。趣味に打ち込むことも外で遊ぶことも、もちろんない。だから、外の様子を聞き、出所したあとの生活を思い描くのだ。前科持ちのレッテルを貼られているであろうが、アルミリカは、それほど出所後の生活に不安があるという感じではない。
エレナは、ウルボーグのことが頭をよぎった。ウルボーグは、アルミリカですら処刑すると言うのであろうか。当然、このような物騒な話題を持ち出すのは、エレナの常識的判断によって阻まれた。
「そうねえ。て言っても、いつも通りって感じよ? 私も、仕事行って、家帰って、寝ての繰り返しだし」
「そうねー。せっかくの休みの日に私に会いに来てくれるくらい暇だもんね」
「もーなに? その言い方」
エレナは、半笑いだ。アルミリカも、ニヤニヤしながら返事をする。
「ふふ。ごめんごめん。嬉しいのよ? いつも来てくれて」
「分かってるよ」
エレナはそう言って、最近の自分の楽しみの話を始めた。
「そうそう。最近はね、ネコの写真見て落ち着くのが日課」
「あー、昔からネコ好きだったもんね」
「ほら見て見て」
エレナは、自分のスマホにネコの画像を表示し、アルミリカに見せた。
「これね、エキゾチックショートヘアっていうの。かわいくない?」
「え、顔まっ平らじゃん」
エキゾチックショートヘアは、顔が平らな種である。
「そこがいいんじゃん」
エレナは、また別の写真を表示した。今度は、ネコの横顔が分かる写真である。
「ほら! 横顔! ぺしゃんこ! ふふ、かわいいでしょ? 飼おっかなー」
「いや、え、ぺしゃんこかー。なんかずっとガラスに顔押し付けてるみたいじゃない?」
「だからそこがいいんだって! ね!」
アルミリカには、エレナの言うかわいいがいまいち理解できなかったようである。人の感性というのは、その性格と同じく十人十色である。
※※
同日同刻 ヒョウザ刑務所
一方、エレナと同じく休日を迎えていた、同僚の警察官ウォッシュはヒョウザ刑務所に出没した。ある目的のためである。ウォシュは、刑務所に入り、受付にて、面会を申し出た。この刑務所に捕らわれている終身刑の女、バランチ・バーベラとの面会である。だが、受付のおっさんは、おいそれとは面会を許してくれなかった。
「ここにいるやつの中に面会を喜ぶやつなんていねえよ。坊ちゃん、本当にバランチの知人かい? 終身刑のやつと面会していいのは、家族か親戚か友人だけだぜ?」
おっさんは眉をひそめた。ウォッシュは、だいたいこんな風な反応をされるだろうなということを予想していた。だから、兼ねてより準備していた作戦で、面会をこぎつけることにした。
ウォッシュは、へその上くらいにある高さの受付棚に身を乗り出した。
「まあまあ。ちょっとね、話を聞いてくださいよ」
――30分後――
それからウォッシュは、自分が今までいかに不遇な環境で育ったか、親の離婚を機に家族が離れ離れになりどれほど寂しかったか、貧乏な家を支えるために若くから働いた仕事がどれほどきつかったなどを、延々と感情豊かに語った。その全てはでっちあげであるが、もはや、おっさんは涙なしではこの話を聞いていられず、ハンカチで何度も目の下を拭いていた。
ウォッシュは、長い身の上話の最後の一言を発した。
「それで、生き別れの姉がこの刑務所にいることがやっと分かったんです」
ウォッシュはずびずびと泣いた。おっさんはこれを聞いて、ウォッシュの面会を許した。もはや、勧めたという表現の方が正しいといえるだろう。
「ぼうず、行ってやれ。行ってその顔見せてやれ」
「ありがとうございます、ありがとうございます。ずびずば」
ウォッシュは涙を垂れ流しながらお礼を言ったが、内心笑いを堪えるのに必死であった。
ウォッシュは、バランチと顔を合わせることに成功した。バランチは、かつて深い理由もなく八人も殺害し、議論の余地なく終身刑を下された、いわゆる凶悪犯である。ウォッシュが面会の相手に彼女を選んだ理由は、過去の犯行、法廷での会話などを見るに、バカそうだからである。ウォッシュは今回の画策において、面会の相手は、できるだけバカであり、ウォッシュの真意を探らず、ウルボーグの目につきそうな者を選びたかった。バランチは、見事にその条件にあてはまった。
ウォッシュはバランチに近づきながら、彼女の名を呼んで、片手をあいさつ代わりに軽く上げた。
「よおー、バランチ」
あくまで周りには、姉弟であるかのように仲良く見せなければならない。誰かに怪しく見られていないか、ウォッシュは警戒した。
「は?」
色の白い顔で長髪のバランチは、顔も見たことがないウォッシュに疑問の声を発した。その瞬間、ウォッシュは目で彼女に訴えた。仲良さそうにしろ! 仲良さそうにしろ! と。バランチは何かを察し、適当な名前でウォッシュを呼んだ。
「ようジョージ! 久しぶりー!」
ウォッシュは、この囚人バカなりに察しが良いなと思った。そして、ガラス越しに彼女と向かい合った後、きょろきょろと顔を振り近くに誰もいないことを確認した。
「バランチ、手短に説明する。ここから出たいとは思わないか?」
ウォッシュの言う「ここ」とはもちろん、刑務所のことである。
「出たい! 出たい!」
「そうか。分かった。俺は君を助けてあげる者だ」
「え! ほんと!」
バランチは、目をキラキラさせて、ウォッシュの顔を覗き込んだ。ウォッシュは、彼女がかわいらしい顔をしていることが、非常にもったいなく感じられた。よほどの強運でもない限り、彼女はウォッシュの作戦の一部に巻き込まれ死ぬからである。
「本当だ」
「出して! 今すぐ!」
「今すぐはダメだ。ところで、ピッキングはできるか?」
「必要な備品があればできるよ。持ってるの? 今すぐ貸して」
「だから今すぐはダメだ。明日の夜10時5分に、君の部屋に優良なピッキングセットを投げ入れる。それを使って出るんだ」
「えー明日まで待つの? なんでなんで?」
ここで鍵を渡さず、バランチの脱獄予定の時刻を明日に設定するのは、今日面会したウォッシュが共犯を疑われないようにするためである。ウォッシュには、この囚人に説明することすら面倒に思われた。
「うるさい。外にこの会話が聞こえないようにしなさい。いいかね? この先死ぬまで牢屋にいるはずの君の人生を180度、無償で変えてあげようというんだよ? 明日に決行されるというだけでも、相当にありがたいことだと思わないか? それとも君の脳ミソは三グラム程度しかなくてこのありがたさが理解できないのか?」
ウォッシュが、煽るように人差し指で頭をトントンと叩く動作を見せると、バランチは頬を膨らませた。
「はいはいありがとうございますー待ちますー」
バランチは思いの外、素直であった。こうして、彼女を黙らせることに成功したウォッシュは、その場を去った。
「では。さようなら、バランチ」
「ばいばーい」
ウォッシュは背中を向けて、歩き始めた。事はウォッシュの望み通りに動きそうであった。彼の予想を上回って、バランチは扱いやすかった。なぜバランチを脱獄させようとするのか、この甘い作戦を提案した彼が何者であるのか、バランチは一切の疑問を持っていないようであった。どのみち、名前を聞かれたところで、ウォッシュは適当な偽名を名乗るつもりであった。だが、その名すら、彼女は聞いてこなかった。
あとは、新たな事件の始まりを待つのみであった。バランチ・バーベラの脱獄事件を。
第5話 接近 へつづく