第13話 無血
ウルボーグは、3秒後には容赦なく、飛びかかってくるだろう。そのとき、ウォッシュは一撃で死ぬ。サラも一撃で死ぬ。二発で全滅。一瞬で全滅。戦ったら負けだ! ならば、戦わずして勝つ! ポーカーと同じだ! 自分の手札がどうしようもなく弱く、戦えば必ず死ぬ場合! そんな場合! 相手を降参させるしかないのだ! 戦ったら負けるなら! 戦わずして勝つしかないのだ!
このフィールドでは、一言ですら、未来を決定してしまう! たった一言が、ウォッシュたちの命を救い、たった一言が、ウォッシュたちの命を奪うことが十分に起こりうる! ウォッシュは、急ぎながらも、慎重に考えた。
無数にある言葉の中から、サラと自分の命を賭けるに値する、起死回生の言葉を! ウォッシュはついに、口を開いた。
「2022年にネオンシティで起こった悲劇の集団レイプ事件。その犯人たる4人の男。怪人ウルボーグが最初に殺害した罪人。やつらが君の最も憎むべき相手であり、ウルボーグとしての殺人能力を試すモルモットだった。違うか? ウルボーグよ」
「なに!」
ウルボーグは、カウントダウンをやめた。ウォッシュは、ひとまず彼の闘争心を鎮めることに成功したと感じた。できるだけ少ない言葉数で、正確に、この男は確かに俺の正体を知っていると、ウルボーグに思わせる必要があった。そして実際、そう思わせることに成功したのである。ウォッシュは、あくまで淡々とした口調で、表情を変えず、念を押した。
「いいか、ウルボーグ。ここは、非行少女たちを集める場所だ。どこに監視カメラや、録音用マイクが隠れているかも分からない。どこに音声情報が残るかも分からないこの場所で、君の本当の名を、叫ぶことができたんだ。しかし俺はそうしなかった。なぜか? 君と、あくまで対等に話したいと考えているからだ。
俺はな。譲歩! してやって! いるんだぞ! ウルボーグ、いや、ウルボーグの正体である男よ。なにか勘違いをしていないか? カウントダウンをする権利があるのは、君じゃない。この俺だ!」
ウルボーグは、もはや直立していた。ウォッシュは、なんとか話し合いをするフィールドへ怪人を引きずり込んだのだ。怪人はすぐに返事をした。
「確かに、ハッタリではなさそうだ。だが、ならばなおさら、お前を始末しなければならない!」
ウォッシュは、あくまで表情を変えずに即答する。友だちにでも語りかけるような口調だ。
「バカなの? 史上最強の殺人犯の正体を掴んでおいて、何もデータを残さないわけないよね? 君に情報を与えよう。そして、君の視点に立って一緒に考えよう。
俺は、君の正体が分かるもの、もしくは正体に関わる重要な要素たりうるものを、なんらかの情報媒体として残した。それは映像かもしれない。音声かもしれないし、文字かもしれない。
そして今、この広いネオンシティのどこかに、それを存在させている。どこにあるのか、それは俺しかしらないし、誰にも言う気はない。ただ『俺がウルボーグの正体を掴んだ』ということだけは、君も含めて数人が知っている。
バックグラウンドは理解できたかな? さて、今この俺が死んだとしよう。君はまず、どうするか。俺、ソラシドが残した情報媒体を探し、探し当てれば、それを削除するだろうね。そして、ウルボーグの正体は闇に葬り去られる。
だが、その情報媒体を探すのは君だけじゃない。俺の仲間の警察たちや、友だちが探そうとするだろうね。そして探し当てれば、君の正体を知り、家だか仕事先だかに現れて、君をひっ捕らえるだろう。
つまり、俺を殺害した後、君は勝負をしなければならないんだ。他の誰よりも早く、情報媒体にたどり着かなければならない。できるかなあ?
君は全く手がかりがない状態からスタートし、手当たり次第に探す。一方、俺と常日頃から関わっていて、生前の俺の行動や発言からいくらでも手がかりを掴める状態からスタートする仲間たち。どっちが先にウルボーグの正体の情報にたどり着くか、分かりきっているよね。
君は、俺を殺害する前に少しでもヒントを得ておく必要があるのさ。もっとも、君がこの超絶不利な推理レースに勝てる自身があるというなら? まあ、いいんじゃない? 今すぐ俺のことを殺しても。好きにしな」
ウォッシュは追い打ちをかけるように、鼻の下をいじり始めた。
「悪い、鼻毛抜くわ。さっきからむずむずしてよお」
ウルボーグは、微動だにしない。ウォッシュはある意味、怪人の賢さに感謝した。ウォッシュは、口ではかのように煽っていても、ウルボーグのことをバカだとは思っていない。
ウルボーグは、バカではない。むしろ、賢いのだ。だからこそ、ウォッシュの発言の内容の危険さを不運にも理解した。この怪人がもし、ただ殺しを楽しむだけの、話が通じないバカであったなら、間髪入れずに二人に襲い掛かっていた。そして今頃サラとウォッシュは、肉塊となっていたであろう。
彼が話の通じる者であったからこそ、彼を封じることができたのだ。ウォッシュはおおむね、ウルボーグの動きを止めることには成功したと感じた。この怪人を、対話という土俵に持ち込んだのだ。そこで、ウォッシュは提案をした。
「ウルボーグ。俺は取り引きがしたいんだ。俺が望むものはひとつ。この子を解放することだ」
ウォッシュは、背後を向いた。そこにいるのは、もちろんサラである。ウォッシュは話を続ける。
「そして、そのかわりに俺は、君の秘密そのものを、君に明け渡そう。その後は、焼くなりドブへ捨てるなりするがいい。どうだ? この子を逃がすだけでいいんだ、安いだろ?」
……。
空間を、沈黙が包んだ。ウルボーグは思考した。ウォッシュは回答を待った。サラは怯えていた。やがて、ウルボーグが声を発した。
「分かった。条件をのもう」
ウォッシュは内心、飛び跳ねるほどの喜びを覚えた。やった!目的は達成されたのだ!だが彼はあくまで、平静を保った。まず一番優先すべきは、サラの命だ。
「よし。ではまず、この子を逃がすよ」
ウォッシュは後ろを向き、サラの目を見た。この子は、腰が抜けていたのだろう。ウォッシュは、サラの脇から腕をまわし、彼女の体を支えた。
「立てるかい?」
「うん、なんとか。ありがとう」
サラは、自分の足で立ち上がった。ウォッシュは、彼女の背中に手を置いた。
「君は先に行っておいで」
サラは、ウォッシュの言葉を聞いてそそくさと部屋のドアへ向かった。ドアを開け、そとへ出る瞬間、サラは振り返った。そして、ウォッシュを見た。
「また、会えるよね?」
ウォッシュは一瞬、返答に悩んだ。正直なところ、どうだか分からない。また会えるかどうかなど、分からないのだ。ウォッシュは、また別の時間に別の場所で、ウルボーグと会わなければならない。今しがた交わされた約束を守らねばならない。ウルボーグに、正体の秘密データを明け渡すのだ。
そのとき、ウォッシュが生きて帰って来れるかは、期待のできたものではない。ウォッシュは、明確な返事をしなかった。
「早く行きなさい」
サラは、少し涙目になったが、すぐに部屋を出ていった。
ウォッシュは彼女の背中を見届け、またウルボーグの方へ向き直った。今、この部屋にはひとりの警察官とひとりの怪人が、向かい合っている。ウォッシュは、この駆け引きにケリをつけた。
「ウルボーグ、君は俺の要求をのんでくれた。君の要求をかなえよう。俺が持っている君の正体の手がかり、それは映像媒体だ。そのビデオカメラ本体と、内蔵してあるSDカードを君に明け渡す。
明日、ボウルスタジアム観客席で、夜10時に会おう」
「分かった。お前の名を聞いておこう」
「ウォッシュナーだ。ソラシド・ウォッシュナー」
「確かに聞いた。ウォッシュナー、明日、ボウルスタジアムで」
「ああ」
第14話 激動 へつづく




