第12話 交渉
2025年9月30日 ネオン少女院 午後10時59分
ウォッシュは、院の中を縦横無尽に駆けていた。そして、少女たちを逃げ道へ誘導していた。
「逃げろ! 逃げろー!」
ついにウルボーグが、ここを襲撃したのだ。ウォッシュたち警察は、院の少女や教官たちを逃がすこと、ウルボーグを足止めすることに尽力していた。ウォッシュは先ほどから少女たちを逃がしながら、サラに思いを馳せていた。彼女の顔が見当たらない。すでに逃げていてくれ。そう願っていた。だが、彼女が逃げ遅れ、ヘタをすればウルボーグに出くわして殺されているかもしれない、その不安をぬぐい切れていはいない。
ウォッシュは一通り、目についた人物を逃がし終えた。そして、まだ逃げ遅れた者がないか、廊下を走った。いや、正確には、サラを探していたといっても良いだろう。
院の玄関の方へ近づくと、すでにいくらかの死体や、ガレキが見えてくる。ここはウルボーグが通過したのであろう。死体は、ある者は頭を割られ、ある者は胸が陥没していた。どれも、彼の圧倒的な破壊力を表している。ウォッシュは身震いした。そして、あたりをクルクルと見回した。今すぐに、サラの名を叫びたくなった。しかし、そんなことをすれば、ウルボーグに聞こえるかもしれない。ウォッシュはそれほど愚かではない。
「ウォッシュ、ウォッシュ!」
だが、ウォッシュが心配していた彼女は、ウォッシュの名を叫んでいる。ウォッシュは雷に打たれたかのようにきびすを返し、その少女の声がする方へ走った。そして、割れた壁の向こうに、彼女、サラの姿を発見した。サラは今、壁の向こうの部屋で、尻もちをついていた。
ウォッシュは、人がひとり通ることが可能なほどの大きな割れ目から、部屋の中を見た。尻もちをついているサラの視線の先には、茶色いボディに頭からツノを生やした怪人がいた。ウォッシュは絶望した。
サラはすでに、ウルボーグと対面していたのだ! もう終わりだ! 今すぐにでも死ぬ! 今更俺が出ていったところで、何ができる! 二人で死ぬことしかできない! ならば! ここはサラを見捨てる! そして、まだ逃げられる可能性がある子たちを逃がしてあげる方がいい! いや、むしろ! そうするしかない! ここで身を乗り出すという選択肢など、ないのだ! そうすることによるリターンがない! ハイリスク! ノーリターン!
分かりきった回答が、ウォッシュの脳内に浮上した。だが、もうひとつ、ウォッシュには思い浮かんだ。思い浮かんでしまったのだ。ウォッシュが、察しが良い男であったがために、その回答へ到達してしまった。
サラは、彼の名を叫んだ。親の名でもなく、教官の名でもない。どうしようもない不可避の死を前に、他の誰でもない、彼の名を呼んだのだ。ウォッシュは気付いてしまった。この少女の胸中、その根底に、思考が到達したのである。
ウルボーグは、平坦な口調で話しかけた。
「ウォッシュ……誰の名か知らんが、この状況で助けに来る人間などいない。お前がここにいることを知らないので来ない。もしくは、お前がここにいることを知っているなら、なおさら来ない。この状況から、お前を助けられるわけがないからだ。お前の前に誰かが現れるなら、それはお前を地獄へ送る死神か、身の程知らずのバカだけだ」
ウォッシュは、自分でも気付かないうちに、足を前へ出していた。そして、サラの前に背を向けて立った。今ウォッシュは、サラを守り、怪人の前にその華奢な体をさらしたのだ。ウルボーグは驚きの声を発した。
「む!」
ウォッシュの頬を、冷や汗が伝った。彼は歯を食いしばった。そして、ウルボーグの前に中指を立てた。
「身の程知らずのバカ上等!」
「愚か者め!」
ウルボーグは、身を屈めた。今にもウォッシュに飛びかからんとする姿勢だ。だが、ウォッシュは手のひらを突き出し、止まれという風なポーズをした。
「まあ待てよウルボーグ。君は簡単に俺を殺せる。だが、今殺すことが賢いかどうかは、別の話だ」
ウルボーグは姿勢を変えず、返事をした。
「どういうことだ」
「分かりやすいように一言で言おう。俺は君の正体を知っている。バラされたくなければ、この子を解放してくれ」
「ふん、ハッタリを抜かすな。お前はおそらく、善良な警察官だ。できれば処刑したくはない。3秒以内にここを離れるなら、見逃してやってもいい。バカなことを言わずに、家に帰れ。3……」
ウルボーグは、カウントダウンを始めた。3秒後には、襲い掛かってくる! ウォッシュは考えた。思考した時間は1秒程度であったが、その瞬間、脳内をめまぐるしく波動が駆け抜け、ウォッシュにはこれが数分にも感じられた。
第13話 無血 へつづく




