あり得ないモノ
広大な草原地帯を北に行くと、獣谷と呼ばれる険しく何ものも寄せ付けない自然の絶壁が口を開けている。
そこを超えたさらに奥地。それこそ滅多に人が足を踏み入れられる場所ではないそこに、霊峰アストラルはそびえたっていた。
そこははるか昔から人々が星を見るために集う聖なる地。
すんだ空気と清らかな水が流れる世界の行く末を見つめるための場所。
初めは星読みたちの小さな集落しかなかったその場所に、いつしか多くの学問の探究者が訪れ住まうようになった。
それからまた時が過ぎ、知を求め、真理に近づこうと邁進する彼らを使徒が導くようになる。こうして世界有数の学問都市アストラル天文台は成立したのだった。
研鑽地区の外れ、〈トゥーラの研究所〉跡地から少し離れたあたりに背の高い建物が建っている。
俗に外れものと呼ばれる集団のための居住スペースであるそこからローボが出てくる。その肩には透明な角をはやした小動物が乗っていた。
「それじゃ行くか、ウル」
ウル、と一つの存在を示す名が呼ばれた瞬間、流れていた水が凍りついたように停止する気配がした。
ローボは何かを押さえつけてしまったような感覚に襲われて、一瞬動きを止める。腹の奥底が急速に冷えていく感覚に不快感を覚えて、慌ててその感覚を振り落とすように身震いする。
「はい」
いつの間にかローボの隣に立っていたウルは何も感じていないのか、素直にうなずくだけだった。
透明な石が喉を貫通しているというのになぜ普通に話せるのだろうか、と不思議に思いながらローボは気を取り直して今日の目的地へ出発した。
今日の彼らの予定は、学者たちとの顔合わせおよびウルの身体検査などの方針や工程についての打ち合わせのようなものだ。そのため、ひとまずは中央地域に足を運ぶ必要がある。
とはいっても研鑽地区の外れから中央地域まではそれなりに距離があるため、ローボは昨日の案内の続きをしながら進むことにした。
「この学問都市アストラル天文台は、霊峰アストラルの傾斜を削って作られたいくつかの平地の集合体だ。平地にはそれぞれ研鑽地区、学舎地区、居住地区、みたいに用途によって名称がつけられてる。昨日ウルが俺とあった場所は天文地区で、俺たちが今いるここは研鑽地区。どっちも学者たちの研究施設なんかがそろってる」
そう言って指さす方には白衣をまとった人々が急ぎ足で歩いていたり、のんびりしていたりと思い思いに過ごしている様子が見える。
さらにその奥には頑丈そうなつくりの建物が密集しており、窓からはガラスの筒を振ったり、何かを観察していたりする様子も見えた。
「正直、俺は学者でも何でもないから何の研究をしてるのかとかは知らないんだ。知りたかったら学者先生たちに聞いてくれ。あ、ただしあんまり近づきすぎるなよ? すぐ逃げれるように十歩くらいは離れといたほうがいい。みんな自分の研究とかの話になると熱中しすぎて加減を失くすからな、下手に近づきすぎると一日中拘束される羽目になる」
「そんなにですか。……あの、発表会のようなものはないのですか?」
「……はっぴょうかい? なんだそれ?」
釈然としない顔つきになったウルが何を考えているのかわからず、困惑しながらもローボは天文台という世界的に見ても特異な場所の説明を続けていく。
「天文台と名前はついてるけど、実際本物の天文台に近づけるのは星読みの中のさらに一部だけなんだ。俺も二十年くらいここにいるし、天文地区に入ったこともあるけど天文台の設備とかを見たことは一度もない。天文地区には入れるのはニュサ様かケジャン様に呼ばれる、もしくは許可をもらった星読みのどっちかの条件を満たしたやつだけだから、あんたも勝手に入ろうとしないように。えらい目に合うからな」
「はい、気を付けます。……ところで、質問をしてもよいでしょうか」
「おう、いいぜ。なんでも聞いてくれ」
真剣な顔をさらに引き締めて、ウルは深呼吸をした。何に緊張しているのか知らないが、とんでもなく難しい問いが放たれるのではないかとローボも身構える。
「ここは霊峰アストラルという山を削って人の活動可能区域を広げているという話ですが、その、見たところかなり広い面積を削ってしまっているようですが、山の王はお怒りにならなかったのですか?」
「……やまのおう? 山を削るとそいつが怒るのか? なんで?」
どんな難題を問われるのかと思ったら、まったく聞いたこともない存在について問われてローボは身構えたまま固まってしまった。難題以前の問題で、そもそも話が通じない可能性についてはまったく考慮していなかったようだ。
何かを畏れ心配しているようなウルだったが、その意味がローボには伝わらなかったことに気づいたようで寂しそうに顔を歪めた。
「……いない、のですね」
「えっと、だな……ごめん」
「いえ、何となくそうではないかと思っていましたので。どうか忘れてください。無知な私の妄言です」
自然そのものであり、誰のものでもない山をいくら人の手で好きにいじったところで怒られることなどあるわけがない。仮に怒られるとしていったい誰が、なぜ怒るというのか。
そもそも、過去にあったものが今の時代にないわけがないのだ。ローボが知らない時点で過去にも存在していなかったということになり、結果としてウルの思い違い、妄言と切って捨てられる。
しかし、とてもそうは思えなかったローボは、後でこっそり知り合いの学者に山の王について聞いてみることにした。もしかしたら彼が知らないだけで、世界のどこかにはいるのかもしれないし、学者たちの間では常識かもしれない。
「ほ、他に聞いてみたいこととかないか? 山の、王? のことは知らなかったけど次は答えてみせるからさ」
目に見えて落ち込んでいるウルの様子に慌てて話しかける。ただでさえ知らない場所に連れてこられて連れまわされているのだ。これ以上心細い思いはさせない方がいい。
透明な角が日の光を反射して小さく光る。髪の毛に当たった光が七色に分かれている。
「ではお言葉に甘えてもう一つだけ聞かせてください」
「あぁ、任せろ」
「ここは知識を学び、探究する場ということですが。その、なぜトワギワだけしかいないのでしょうか」
「……?」
山の王に引き続いて聞き覚えの一切ない単語が出てきたことに、ローボは頭を抱えたくなった。
何度も言うようだが、過去にあったものは現在にもあるはずであり、逆説的に現在にない知識や名称はすべて過去には存在していないはずである。ウルが即興で嘘をついて自分をからかっている、と言われた方がまだ納得できるというものだ。
ローボに話が通じていない気配を感じて、ウルは焦ったように言いつのる。
「確かに、このような場所にキムヌやヅレーハが少ないことはわかります。しかし、彼らの持つ知識や経験、本能もまた、世界を構成する現象などを解明するには必要なものであることも、周知の事実のはずで、どれだけ排他的な地域であってもそれなりの数が所属するのが一般的なはずです」
「……そ、そうなのか?」
一般的である、と断言したウルの発言に思わず問い返してしまう。
もしかしなくとも、自分はこの年になってもろくにものを知らないままなのだろうか。
ローボの心中に情けない疑問が浮かび上がった。
どう考えてもこの世界の常識的におかしいのはウルであり、ローボの反応が正しいことは間違いない。なのになぜか自分が間違っているのではないか、物を知らないだけなのではないかと思わされてしまう。
「はい。さらに、知識の探究を行っている施設のはずなのに、イラハの一人もいなければヨモアの一体もいないのはなぜですか? 確かにヨモアという種族は気位が高く、とどまってもらえることが滅多にないことはわかります。しかし、イラハの姿がまったく見当たらないのはあり得ないことだと断言します。ここは本当に知識を学び、研鑽する場なのでしょうか? トワギワ以外に対して排他的な地域があることは知っていましたが、もしやここはその地域の研究施設なのでしょうか? いえ、それでは私やローボさんがここにいる筋が通りませんね。……まさか、ここは排他的な背景を利用した非人道的な研究をムグ?!」
「待った待った! ちょっと待ってくれウル! 何の話をしているんだ?!」
早口で矢継ぎ早にわけの分からないことを話される状況に耐えきれず、ウルの口をふさぐ。まるでこの世界に、ヒト以外にもヒトと同じ知性を持った生物がいるかのような発言だった。それを真っ向から否定したいのをぐっとこらえる。
話を一方的に聞いていただけだというのになぜかドッと疲れが押し寄せてきた。
ウルの今までの発言はいろいろ聞きたいことも言いたいこともあるし、明らかにローボの認識と食い違いが発生している箇所が多く見られる。が、妄言にしろ、真実にしろ、ローボが確信できることはただ一つ。
これ以上、この話を追求することも話させることもしてはならないという事だけ。
早鐘を打つ心臓を抑えながら数歩距離を取る。口をふさがれた時のまま目を見開いて固まっているウルと、自分がどうやって話していたのかさえ一瞬分からなくなる。
現在にないもの、すなわちこの世界にあるはずのないものについてまくしたてるように話す様はただ単純に恐ろしかった。自分と同じヒトならざる姿をした同胞が、別次元の不気味で恐ろしい怪物にすら思えてくる。
絶対不変であるはずのものがいともたやすく揺らがされているような気がして、ローボはそれ以上ウルに疑問はないか問うことができなかった。
ぎこちなくなってしまったローボの雰囲気につられたのか、ウルもそれから先なにかを話すことはなかった。
研鑽地区の中央から少しずれたあたりにある検査棟の前に立ったウルは、自分に注がれる視線の多さに面食らっていた。
自分の研究に没頭している学者もいるようだが、大半の者は窓にへばりつくか外に出てきてウルを一目見ようとしている。
頭から生えた透明な角だけでも目を引くが、両手両足、さらに喉も透明な石が貫通しているとあっては一体あの体の中身はどうなっているのかと誰でも気になるだろう。
「あまり気にするなよ。俺もここに来たばかりの頃はものすごく見られた。俺たちの通過儀礼ってやつだ」
数歩離れた先で検査棟の窓から覗いている学者たちを懐かしそうに見上げた後、振り向いて苦笑したローボを見上げてウルはぎこちなく頷いた。
確かに、今までの断片的な情報を組み合わせると、ローボの姿かたちは珍しいどころではないだろう。ここにいる人々にとっては野にいる獣がヒトと同じように動き話しているとしか見えないのだから。
そう言われてしまえば珍獣という意味では自分もそうなのかもしれない。ウルは一人で勝手に納得した。
初めて踏み入った検査棟の中はごく普通の建築物と変わらなかった。あえて言うならばツンとした特徴的な臭いがするくらいで、構造や材質自体に特別な何かがあるわけではないらしい。
迷うことなく進むローボの後をついて行きながら部屋から顔をのぞかせたり、廊下ですれ違いざまに自分を見ている学者や学徒にチラリと目を向ける。
目が合うとすぐに引っ込んでしまうか目をそらされるが、嫌な感じはしない。あくまで興味深い対象、という認識なだけで一瞬想像した排他的な空間ではないらしい。
そのことを実感したウルは詰めていた息をそっと吐いた。ローボの言葉を疑ったわけではないが、それでもいっそ執念すら感じるほど1種族だけで構成された集団の中に放り込まれる怖さはぬぐえない。
「ついたぞ、ここだ」
少し早足だったローボがある部屋の入り口でぴたりと止まる。
ドアの横には〈ルガ・エッカン〉と書かれた札がかけられている。どうやら部屋の主の名前らしい。
「あー。先に言っとくけど、ここの学者先生は決して悪い人じゃないし怖い人でもないからあんまり怖がらないでくれな」
言っていることが矛盾している気がしなくもないが、とりあえず素直にうなずいた。それを確認したローボは丁寧な所作でドアを軽くたたく。
ほんの数秒、静寂がおりたあとドアが内側からゆっくり開けられる。
「だれ。つーかなんのよう?」
突き放すような物言いをしながら上背の高い黒い影がぬっと出てきて、ウルは思わず一歩後ずさった。ぼさぼさの頭と目元の濃い隈、よれよれになった白衣が特徴的な学者だ。
しかし、ウルが一番気になったのはドアの向こう側から漂う独特で強烈な不快臭だった。文字通りオオカミであるローボはさぞつらかろうと見上げれば、意外なことに臭いにひるんだ様子はなかった。
キムヌの中でも一部の感覚だけが獣ではなくヒトに近いものはいたが、彼もそうなのだろうか。
ウルがそんなことを考えていることに気づくはずもなく、ローボはギラリと目を光らせている学者にひるむことなく挨拶をしていた。
「おはようございますルガ先生、ローボです。ウル……えっと、〈始まりの神殿〉の遺物を連れてきましたよ」
「あ? 遺物? なんで遺物がうちにくんだよ。そういうのは変人の巣にでも放り込んどけよ。だいたい、こっちは昨日の騒ぎのせい、で……」
とげとげしい物言いで拒否したルガだったが、ローボの後ろに立っているウルを一目見た瞬間目を見開いて固まった。
じっ、と何を言うでもなくするでもなく見つめられるだけの状況にどうすればいいのかわからずローボを見上げる。
その意図を正確にくみ取ったローボが恐る恐るルガの体を揺らした。
「あのー、ルガ先生? どうかしましたか? 先生?」
と、突然ルガがその場にしゃがみこんだ。心配の声は耳に入っていないようで、返事どころか何の反応も返さない。
さすがに誰か人を呼ぼうかとローボが周囲を見回した瞬間だった。ルガがいきなり、電光石火の動きでウルの足を掴んで顔を近づけたのだ。
「ひっ!」
反射的に足をひこうとしたウルだったが、見た目に反してすさまじい力で押さえつけられて動けない。
目を見開いたまま動けない二人など眼中にないルガは、真剣な表情で石が貫通した足でも歩けるようにと急いで作ってもらった裏側の一部がなくなっている厚底のサンダルをしげしげと眺めている。
いや、正確にはおそらく足を貫通している透明な石とその周囲の肉付きなどを観察しているのだろう。
足の観察が終わったのか、次は手首を掴んで手のひらを自分に向けさせた。足と同じく大きく透明な石が貫通した手の平と甲を見比べながら何かをつぶやき始める。
「……これは……爪、いや……あれの角とは……」
こわばった表情で自分を見上げてくるウルに力なく首を振ってローボはため息をついた。
こうなってしまってはルガの気が済むまで好きに観察させるしかない。もし邪魔をすればどうなるかは、トゥーラが騒動を起こすたびに見ているのでよく知っている。
遠い目をしているローボに自分を助ける気がまったくないことを察したウルは、どうにか放してもらえないか体を動かそうとする。
が、そのたびにすさまじい形相で睨みつけられてしまう。ヘビに睨まれたカエルがどういう気分になるのか。知りたくもないことを身をもって知る羽目になってしまった。
「おい、てめぇ」
喉を触っていたルガが独り言ではなく明確な呼びかけをしてきた。それだけで体に入っていた力が抜ける気がする。
「何かしゃべってみろ」
「え、あ、はい。……えっと、一体何を」
「もういい、黙れ」
なにか得るものがあったのか、今度は口を開けさせて喉の奥を見ているようだ。
その後、再び首回りと喉を貫通した石を触り始めた学者の真剣な表情にウルは抵抗することをあきらめたのだった。
頭の角の観察が終わったあたりでようやくローボが声をかける。
「ルガ先生、そろそろ部屋に入りませんか?」
小さな人だかりができた周囲を見回しながら、ルガは舌打ちを一つして部屋の中に引っ込む。そのあとをついていくローボの後を追いかけながら、ウルは鼻にしわをよせた。
ルガ・エッカンの研究室の中はヤニと薬品の濃い臭いが混ざり合った独特で強烈な臭いが充満した部屋だった。
隠すことなく盛大に顔をしかめるウルを見やりながら、ローボはこの部屋に初めて入った日のことを思い出して苦い気分になる。
あの時は本当に鼻をもぎ取って捨てたくなったものだ。
今はちょっとした小細工をして嗅覚をつぶしているおかげで問題はないが、まともに嗅覚が残っていたら確実に失神するか意識が飛ぶだろうことは経験上よく知っていた。
「ルガ先生、窓開けますね」
部屋に入るなり、再びウルの体を隅から隅まで観察しつくそうとしているくたびれた格好の学者が答えるはずもなく、ローボはほぼ無断で研究室の窓を開け放った。途端に空気の動きが薄かった部屋に透き通った風が吹き込んでくる。
こもった臭いが少しだけ薄くなったのか、あるいは外の空気が入ってきたことを感じ取ったのか。ウルはひたすら窓の方を見て呼吸をすることだけ考えているようだ。
「動くな」
短く命令されてすぐに臭いのきつい方を向かされてしまったが。
ルガ・エッカンはアストラル天文台に所属する医術士であり、医学の研究をしている学者でもある。今まで多くの常識はずれな存在を診察し、観察してきたがウルはその中でも群を抜いて異例づくめだった。
まず第一に、声帯や気道がある喉を石が貫通しているのに何不自由なく呼吸して話せるという事。
初めは石が喉の表面から二つ、前後に飛び出るようにして皮膚から生えているのかと思ったが、爪などのように皮膚から直接生えているわけではないことはすぐに分かった。
次に、ヒトのものではない関節だ。
これは人形などの関節と同じく球体に各部位がくっついているような形をしていた。乱暴なたとえをするならば、人形の体が見た目はそのままにヒトと同じ肉質な体へ変化したような姿だった。
他にもあげ続ければきりがないが、ともかくこの二つだけでも到底普通ではないことは証明できる。
いつも自信がなさそうにしている知り合いの顔を思い出してルガは舌打ちをした。
「失われた古代の遺産、混沌の象徴たる生きた人形だと? んなもん、認めるかってんだ」
「あ、あのー」
「脈があるし心拍も正常、瞳孔の動きも動物と変わらない。肉体の感触も生物のそれだが、およそ生物のつくりとは思えない関節とおそらく貫通しているだろう石のようなもの。にもかかわらず呼吸にも運動にも支障はない、か。おい、この石や角に触角はあるのか?」
よどみなく観察の結果を並べ立てながら思考を組み立てていく様に呆然としていたウルだったが、突然矛先を向けられて飛び上がってしまう。
「え、あ、いいえ。そうい」
「そうか、だとすればやはり爪の変異の可能性もあるな。角は髪、手足は爪だとして喉はなんだ? いや、皮膚の表面から生えているのではなく肉の中にまで貫通しているとしたら埋め込まれたのか? それならばつぶされた喉でなぜ喋れる」
ウルへの問いではなく自分への課題提示の独り言。
置いてけぼりにされたローボたちは何とかルガの意識を現実に引き戻そうと声をかける。
「ルガ先生、そろそろ休憩しませんか」
「あ、あの……私は確かに珍しいですけどそんなに不思議がることもないと思いま」
「寝言をほざくな。黙ってろ」
ぴしゃりと進言を打ち捨てられた二人は顔を見合わせる。これはもしかしなくとも一日中放してもらえないかもしれない。ローボはふと、そんな予感を感じた。
「結論から言うと、てめぇは存在そのものがあり得ない。世界の理、常識から外れたところにある。文字通り外れものだな」
半日かけてウルの体を隅々まで観察し、診察して検査したルガはその結果としての結論をそうまとめた。
機嫌の悪さを隠しもせず、非常に認めたくないと言わんばかりの顔だったが事実は事実として受け止めているのだろう。
はっきりとウルがあり得ないモノだと断言する声に迷いはない。
「もういい、帰れ。今度こそ変人どもの巣にでも放り込んでしまえ。……魔女の血、人魚変成、超幸運体質、狼人、リミッター崩壊、生きた人形。ったく、てめぇらは俺をバカにするために異常なんじゃねぇだろうな」
俺の専門はヒトであり異常の化け物ではない、とぞんざいに手を振って出ていけと告げるルガに礼をしてローボはウルとともに研究所を後にした。
「……私は、異常なのですか?」
うつむくウルにローボは何も言えなかった。
ルガは全身を流れる冷や汗の不快さに眉間のしわを深くした。
なんだあれは。あんなものは知らない。あんなものがこの世に存在していいはずがない。
どれだけ否定しようと、調べれば調べるほどあれが生きた人形なのだという確信が深まるだけ。そして、予兆なくヒトの姿からまったく別のものへと変じた光景を見た瞬間、確信は確定された事実に変わった。
あれは、決して世の理の中にあるものではない。あり得ないモノ、外れものだ。
ヒトから獣に変じるだけならば、まだローボという前例がいたためここまで取り乱しはしなかっただろう。けれど、それはそういった次元とは隔絶していた。
どうやればヒトが命なきもの、無形のものになるというのか。
どんな理屈があれば命なきものが命あるもののように語り思考するのか。
ルガは頭を一振りした。
あれは異常だ。ウルも。ローボも。
なぜ、目の前でウルの姿が変わっても違和感なく、初めからその姿であったとでもいうかのようにふるまえるのか。
目を閉じてその時の衝撃を思い出す。そして、一つの気づきを得た。
いや、あれは気づいていなかったのではないだろうか。と。
ウルがヒトの姿から他の何かへ姿を変えてもローボには一貫してそれがウルだという認識があった。
それはつまり、ウルがどのような姿かたちに変化しようとそれが異常なことだと気づかなかった。もしくはそれが平常であると知っていた、ということなのではないだろうか。
懐から数種のハーブ類を紙で巻いたものを取り出して火をつける。独特な風味を持つ煙を肺いっぱいに吸い込んで吐き出す、と数回繰り返して立ち上がる。
「なんにしても気味がわりぃ。ニュサ様は何を思ってあんなのを集めてんだか」
検査棟の前につくられた広場をゆっくりと歩いている外れもの二人を見下ろしながら、ヒトの医術士である学者は忌々しそうに吐き捨てた。




