旅する肉まん
久しぶりに晴れたので、りん子は肉まんの傘を外で乾かすことにした。
肉まんの傘はとても大きくて、持ち手はついていない。りん子の頭上をふわふわ飛んでついてくる。
「ここがいいわ」
りん子がアパートの前の草むらを指差しても、肉まんは降りてこなかった。もっと広いところへ行きたいらしい。仕方なく肉まんを浮かべたまま歩いていくと、向こうから小さな肉まんが大勢やってきた。
「あら。珍しい」
小さな肉まんは色とりどりの猫の形をしていて、みんな宙に浮いていた。しかし、りん子の肉まんのようにうまく飛べるものはいない。
「おいしそう。これ全部食べていいの?」
上を向いてたずねると、肉まんの傘はふるふると左右に揺れた。
「じゃあ半分食べてもいい?」
それもだめだと言うので、りん子は渋々あきらめた。猫型の肉まんたちからはいいにおいの湯気が漂っていて、食べたらきっと肉汁があふれ、たけのこと玉ねぎがざくざく音を立てるだろう。
「一つだったら食べてもいい?」
それもだめだと言う。りん子は頬を膨らませた。
「もう、わかったわよ! 話があるならさっさと済ませなさい」
猫の肉まんたちはころころと寄ってきて、りん子の肉まんの下に固まった。ぷうぷうと不思議な音を立て、話し合っているようだ。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に湯気が少なくなり、お互いに近づいたり離れたり、落ち着かなくなってきた。
「何を揉めてるのかしら」
「一つだけあんまんが混じってやがるんだ。仲間じゃない奴は連れていけないんだとさ」
気がつくと、黒いオーラをまとった少年がそばにいて、舌なめずりをしていた。見た目は小学生くらいだが、仕草や目つきはまるで中年男のようだ。
「俺は闇の支配者だ。残念だが、冬季限定の猫まんは俺がいただく」
「だめよ! あれは全部私のよ」
りん子は思わず嘘をついたが、それよりも肉まんたちの行動が気になった。
「ねえ、連れていくってどういうこと? あの子たちはどこかへ行っちゃうの?」
「そんなことも知らないとは、馬鹿な娘だ。冬が来るとあいつらは旅をするんだよ。全国の店舗に限定品を行き渡らせるためだ」
「でも、あれは私の傘よ!」
闇の支配者は口の端を歪ませて笑った。
「安心しろ。俺が捕まえてやる」
宙に向かって手をかざし、全身のオーラを毛のように逆立たせた。黒紫の気が指先に集まり、丸く大きくなっていく。
「すごいわ!」
「あのでかいのはお前に返す。猫まんは俺がいただくぜ」
指先から黒い稲妻が走り出し、肉まんたちを狙う。大きな肉まんはさっと身を縮め、猫たちの中に紛れた。猫たちはざわざわと寄り合い、くっつき合ってむくむくと成長した。
「な、何だあれは……!」
合体した猫たちは巨大な虹色の虎になり、黒い稲妻を弾き返した。稲妻は熱い肉汁を含み、闇の支配者に降り注いだ。
「熱っ! あっこら、待ちやがれ」
虎は大声でブオーンと吠えると、柔らかく飛び上がった。隣の屋根を越え、その向こうのマンションを越え、空高く飛んでいった。ピンクに水色、黄色に薄緑、色あざやかな湯気がしばらく残っていたが、冷たい風が通り過ぎると消えてしまった。
「ああ、行っちゃった……」
りん子は空を見上げ、もう追いつけないことを悟った。限定品の猫まんを連れて全国を回ったら、また戻ってきてくれるだろうか。わからない。肉まんというのは気まぐれなものなのだ。
ふと目線を落とすと、すぐそこに白い猫の形をした肉まんが浮かんでいた。
「それ、あんまんだぜ」
闇の支配者は肉汁まみれの髪を拭きながら言った。どれだけ感染力が強いのか、全身に浴びた肉汁はすでにうっすら黒く染まっていた。
りん子は白猫まんを手に取り、甘いにおいを確かめると、ため息をついた。
「本当ね。これはあんまんだわ」
闇の支配者に差し出し、あげる、と言った。
「へ? どういう風の吹き回しだ」
「私、黒ごまあんって好きじゃないのよ。つぶあんだったら食べるんだけど、このにおいは黒ごまあんだわ。あんまんって大抵黒ごまあんなのよね。残念だわ。つぶあんだったら食べるんだけど」
闇の支配者は圧倒された様子で、白猫まんを両手で受け取った。まるで迷子の猫が飼い主のもとへ戻ったように見えて、りん子は少し笑った。
「どうしてもって言うならもらってやるけど。お返しとか期待するんじゃねえぞ」
「お返し? 何の?」
「バレンタインにはウサギのチョコまんが大量発生するんだ。お前の傘もその頃戻ってくるだろうよ」
闇の支配者は白猫まんをひと口で食べてしまうと、どこへともなく走り去っていった。まだ少し肉汁のにおいが残るオーラをなびかせ、街角へ消えていく。
りん子は黒いオーラの残像を眺め、首をかしげた。バレンタインのチョコはお返しであげるものではないと思ったが、勘違いをしているなら放っておけばいい。
「いつか戻ってきてね」
青い空に向かって小さくつぶやいた。目をこらすと、肉まんのように丸い雲がひとつ、はるか高みに浮かんで見えた。