プロローグ とあるおっさんの人生
田峰栄太、イマイチ冴えないおっさんだ、42になるまで独身でなんの取り柄もない何処にでも居る部類の。
30過ぎまで兵庫の片田舎でサラリーマンをしながらボーイスカウトの隊長をやっていた、彼自身も小学生の低学年からずっとボーイスカウト活動を続け菊章(菊、一級、2級とあり定められた技能修得を認められれば昇級する、菊だけは面接で認められれば授与される。)も取った、世界ジャンボリーにも参加したこともある。まぁ、韓国開催だったので日本からは2000人規模で枠が広かったこともあるんだろうが。
まぁ、それはいい、バブル崩壊の不況真っ只中の就職氷河期で職にありつけても安くこき使われ摩耗しつづけた世代だ、転機は東京転勤の時、いっそのことなら、と故郷には帰らない覚悟で転職をし、週休2日で僅かだかボーナスも出る会社に転がり込む。人並みとは言い難いが、それでも年収ははね上がった。
ただ、女性とは縁が無かった。単純にヘタレなこともあるんだろうが、女性とは縁が無かった。重要なので二回言う。何ならもう一回、無かったのだ。
東京で一人暮らしをしてもう10年、愛猫のシンディたんとビールだけが彼を癒してくれる、あ、後は漫画とか、最近は投稿系の小説サイトにドはまりしている。
こんな奴にも結婚を前提としてお付き合いする女性が現れた、住んでるマンションから程近い行きつけの飲み屋のカウンターの端っ子でビールを飲みながらスマホで小説を読むのが習慣になりつつあったのだが、「なに読んでるんですかー?」と隣に案内されたヨッパライが声を掛けてきた、いつもならば、から返事でやり過ごすのだが。
このときは違った。とろーんとした目で肩口に近寄り彼のスマホを覗きこむ。年は30代半ばか下のほうだろうか、色白でとても良い匂いがする。
「汗くさー、うふふ♪」と1日仕事で汗だくになっている彼の首をスンスンと嗅ぐ。
「仕事上がりにボディシートで身体拭いて服も着替えてるけど……臭う? ごめんね」
と椅子を離して間を開けようとすると、ティシャツの袖を掴まれ「いいのいいの気にしないで! かんぱーい!」と距離を詰めてきやがった。
読んでた小説は出版もされ、オタなら知っていても不思議ではないのだが、題名を言うととんでもなく食いついてきた。「今どのあたり? あー。ネタバレしないようにするね。どの女の子好き? このキャラどう?」から始まり、ここは泣けるよね!こいつ嫌い!とか店が閉まるまで話し込んだ。
暖簾を仕舞った大将に「ハイハイ閉店閉店! 栄太と百合ちゃん独身同士くっつけばー? アハハハ♪」と追い出され、彼女の名前も聞いて居なかった「そりゃこんな朴念人にゃ嫁は来ないわ」と思ってると、彼女がさらさらっとメモに電話番号とアドレスを書いて寄越し「LINEやってないんならこれ、今ワンギリで掛けて、メールも空で良いからすぐちょうだい。そこの病院で看護師してるから、昼シフトならここでまた飲もうよ」と。
何だかんだで気が合った。居酒屋の大将には感謝だ。
半年もすれば自然にお付き合いをして、彼女も「通勤時間短縮!」とか言いながら俺の部屋から病院へ通勤するようになった、半同棲って言うのか?
愛猫シンディたんも百合に馴れて体に乗っては踏み踏みゴロゴロしてるのを見ると軽く嫉妬を覚えるくらいだ。
彼女もオタだった、女の子のアイドル大好きでライブチケット当選すれば日本中追っかけて飛び回る。雑誌のグラビアを眺めては「ぐふふ、かわええ……おにゃのこ最高……」と鼻の下を伸ばしてハァハァしてる変態さんだ。料理も上手いし職場の後輩ちゃん達にも尊敬されてるみたいなので変態さんなのは残念極まりないが至極些細な事だ。
その年のクリスマスにささやかなパーティーをして。
プロポーズをした。
正月休みには互いの実家に挨拶に行った。
年老いた栄太の母親は号泣して「たのんます、この子をたのんます」と百合の手を離さなくて困った。
百合の父親は「娘さんを下さい!」の件では爆笑しながら「こんな行き遅れの変態で良いならどうぞどうぞ」ってフランク&フレンドリーだった。
びっくりしたのは百合が38才だった事だ、いや、見た目おかしいだろ。美魔女ってやつか?
そうこうしてるウチにトントン拍子で結婚準備を進めるに至る。身内だけでさっと式をやって後日友人を集めて小ぢんまりした宴会をする節約婚だ。
バタバタとやることは多いが、幸せとはこんな気持ちなんだなー。と日々過ごして居たのだが。
式の前日に死んだ。
あっさりと。
マンションの上階で火事が起きたらしい。
消防士に救助されたが重度の一酸化炭素中毒で手遅れだった。
彼女は一命は取り止めたが失外套症候群、所謂植物人間と言われる状態。
火事から四年後、彼女も衰弱して亡くなった。
幸せな夢の中で死んだ彼が本当に幸せだったかは誰にもわからない。