少年期 リリ受難2
シンディは東都の街壁沿いを、昨日見た質素だが堅固な建物をめがけて疾走する。
倉庫区画から一番近いであろうギルド本部近くの、東門へ続く通りの屯所を目指して。
涙の乾いた目尻はうっすらと白くヤニが溜まっている、汗の吹いた額は滴が後ろへと流れる。
昼夜を問わず人の出入りする屯所へと一直線に、その跳ね扉めがけて小さな体ごと飛び込んだシンディは一息に叫ぶ。
「助けて! リリちゃんが拐われたにゃ! おいたんとえーたが今見張ってるにゃ! 大門に行ってるローゼかぁちゃんも呼んできてにゃ!」
はぁはぁと肩で息をし、地に両手を付き、冷たい土間にそのままへたりこむ。
入り口そばのテーブルで向かい合い、カードゲームに興じていた衛兵たちは、手にしたカードを持ったまま、その顔だけを獣人の娘に向ける。
「ん? 人拐い? この平和な東都で?」
薄ら笑いを浮かべて一人が問いかける。
確かに東都は戦と縁の無い平穏な都市である。
治安も良く、人拐いなぞこの数年は一件も起きていないのだ、この衛兵の態度も仕方の無い部分もある。
「にゃ! 急がないとおいたんとエータの二人だけじゃ危ないにゃ!」
「嬢ちゃん? 落ち着いて、ゆっくりで良いから、ちゃんと判るように教えてくれるかい?」
若干白髪の混じった初老の衛兵が、すっと膝を地に着けてシンディと目線を合わせて問いかける。
「にゃ、リリちゃんがあそこに見える大きい建物の近くで拐われたにゃ、リリちゃんはジルおいたんとローゼかぁちゃんの子供にゃ。 今、あっちの倉庫のところで見付けて、おいたんとエータが助けようとしてるにゃ! ローゼかぁちゃんも衛兵さんのところに行ってるはずにゃ!」
「うん、わかった。おい! カードで遊んでたお前ら四人は伝令だ! 近くの屯所を回って北の倉庫街へ集合するように! ローゼさんとかいうご婦人が居たらお伝えしろ! その後は屯所に戻って待機!」
「「はいっ!」」
「お嬢ちゃん、案内してくれるかい?……準備出来次第総員出立!」
平穏とはいえ日々訓練を欠かさない衛兵である。指示を受けると即座に動く。カードをテーブルに伏せると、壁に掛かった装備を引ったくり其々に別の通りへと駆け出した。
時同じく、少し南にある東門前の屯所では兵装を整えた衛兵達が誘拐犯の捜査の為に出立していた。
ローゼは最寄りであった東門の屯所から返したその足で、そのまま通りの北にあるギルド本部へと到着していた。
「……と、いうわけで至急の依頼を出すわ。娘を助けて欲しいの」
ローゼは一通りの説明を済ませると、どちゃりと貨幣の入った革袋をカウンターに乗せ、踵を返して東門の屯所へと走り出した。
「……。はい、皆様早いもの勝ちですわよ!ここでこの時間にたむろしてる皆さん! お暇ならボーナスタイム! 憧れのあの人から! ヌフフフフフ!」
ギルドの受付員の女性が声を張り上げると、一部の冒険者達は装備を整え点検を始める。
「うむ、困ったときはお互い様だ! ローゼさん! 詳しく状況を! て? あれ?」
「あ、もう衛兵の屯所に戻られましたよ」
「目撃者にも報奨を出すか?」
「ばか野郎! 追い込みは速さが肝だ! 衛兵取っ捕まえて当たりを付けるぞ!」
「おうっ!」
ドカドカと床を鳴らし、冒険者達も東門の屯所の方へと駆け出す。
バタバタと足急く衛兵が北に向かうのに併せて彼らも並走する。
「急いでる所すまねえが、誘拐の件で出っ張ってるのか?我々はギルドの依頼で誘拐された娘さんの救出に出たんだが」
ガチャガチャと鎧装備を鳴らしながら走る衛兵は走りながらに答える。
「北の倉庫街らしい、人質の居る案件だ、逸るなよ。女の子の安全が第一だ。我々は事に当たる一部を除いて外周を囲む。絶対に逃してはならんからな」
実の所、シンディが助けを求めて屯所へと駆け込んだ頃には全てが終わっていたのだが。
シンディが助けを呼びに出たすぐあと、泥沼の詠唱を終え、その発動をジルの突入に合わせるべく集中をするエータ。
魔力を誘導するために両手に意識を集めながら、足の爪先でジルの踵を軽く蹴って合図をする。
ジルはエータと目線を合わせると、しっかりと頷く。
エータは、すっと息を吸い込むと、一息に泥沼の魔法を解き放つ。
「……ルトゥム!」
「うおおおぉっ!」
エータは薄い壁の向こう、小部屋の床の殆どを範囲に泥沼の魔法を発動させる。
それに合わせ、雄叫びと共に木戸を蹴破り殴り込んだジルは、泥に踏みつけられた扉を足場にし、剣の峰を正にして目標の男へと斬りかかる。
エータは泥に嵌まった相手の動きをしっかりと止める為、更に深くなるように魔力を込めると、部屋が見渡せる位置へと移動した。
瞬く間の事、ズヌリとぬかるんだ地面に回避行動も取れず、上半身あわてふためきながら、座った体勢のまま腰元まで沈み込む三人の男たち。
リリの近くで仁王立ちしていた男も、ジルの突進に対応する為に剣を持ち反応するも、泥沼へは対応出来ずに踏み込みも出来ぬまま膝近くまで沈み込んでしまっていた。
「らぁぁっ!」
反らした身体に膂力の全てを乗せたジルの剣が、男が受けた刃の腹をへし折り、肩口へと食い込む。
「ぬっ!ぐぉぁっ!」
放り出すような呻きとともに、持った剣の柄を落とし、泥へと体を崩す男の首筋へジルは刃先をあてがう。
「動くな」
部屋に居る者全てへ発した静かで強いジルの一言。
エータは、ジルから今までに聞いたことの無い類いの冷徹な声が発せられた事に少し驚いたが、その目線の先の三人の内の一人の挙動に気付き対応を取る。
モヒカンの後ろに体を入れて、一番奥で静かにしている、一見ひょろっとした優男が泥沼を相殺しようとしていた。
「お前が頭か?」
ジルは奥の男を睨み付けると、スッと刃先を動かした。
側の男の首筋から、プツと出た血が刃の上で珠になる。
優男はジルに目線を合わせたまま動きを止めた。
「エータ、油断するなよ、ソイツの動きを押さえてから、リリの治療を」
「はい!」
エータの手に合わせて、一気に泥沼の表面から水球が抜き取られる。
そうして白く乾いた地面は四人の男と扉を咥え込んでガチガチに固まった。
ジルの側に駆け寄ったエータは、視界に全員が収まる位置でリリに初級回復魔法を掛ける。
「え?」
戸惑い、少しだけ視線をリリに集中してしまったが、ハッと顔を上げる。
青紫に変色した頬は元に戻ったが、血の気が引いた顔色は変わらない。依然として小さな唇から、コプッと血を流すリリを見て、視界の内の男達へ沸々と怒りが湧いてくる。
だが、深く呼吸を入れ、改めて中級回復魔法を唱える。
「で、うちの娘に手ェ上げた馬鹿はどれだ?」
持った剣の刃へプシプシと脈打つ血が流れ、それは切っ先へと伝い乾いた白い地面を再び黒く染めあげる。
首元の刃に耐え、じっと目を閉じた男は声を噛み殺している。
「こいつか?」
ジルは柄をクイクイと軽く動かし三人を眺める。
目線を部屋の隅に固めたモヒカンと、それをチラリと見る何処にでも居そうなチンピラ風の男、優男はじっと目を閉じて動かない。
「おいお前、この変な髪型のこいつか?」
ジルは目を会わせようとしないモヒカンを名指ししながらも、無視して後ろの男に問いかける。モヒカンも脂汗を額に浮かべて小刻みに震えているのだから、ある意味白状しているようなものだが。
「エータ、ちょっとごめんな」
それは、するっとした、何気ない振る舞いであった。
何処に力を込めた訳でもない、一歩前に出て、腕を動かすと手が動いた。
ただそれだけに見えた、手が剣を握っていたからそうなった。
「ぎゃぁっ!」
「ずっと目を閉じてりゃいい」
軽く振った剣の切っ先がモヒカン男の両目を撫でた。既に刃は隣の男の首許に戻っている。
「あぁぁぁ……ひでぇよぉ……ぐべっ!」
ジルは目を斬られ嘆く男の腹に爪先を蹴り入れると一喝する。
「貴様らと比べて何が酷い!……四人か。お前以外の二人は今殺すか、1人出てったよな?」
エータはジルを見て少し冷静さを取り戻して声を掛ける。
「父様。 リリはもう大丈夫です、持ち直しました」
自分より激昂した者が側にいると醒めるのもひとつの道理。
こいつらを殺そうという気持ちと、実際に行うのは別物。
況してや隣に居る父の怒りが肌でわかるようなそばに居るのだから。
「ふん、仲間はさっき出てった奴以外に何人この街に居る? 返答がなけりゃ皆殺しで待ち伏せするだけだがな、どうだ? お前ら今死ぬか?」
確信もなく疑惑で一人の人間の視界を切り捨てた男が、怒気を纏いながらも軽い口調で聞くのだから、四人の男たちは聞き耳も立てる。
「出てったヤツは治癒師を呼びに行っただけだ。仲間はこの五人だけ、客は関係なかろう?」
首に刃を当てられた男は静かに口を開いた。
「客? 依頼されたって事か? なら関係大アリじゃねえか」
「い、いえ、買ってくれるって話を聞いて、たまたまその娘を……」
今にも額の血管から血が吹き出そうな赤い顔のジルの言葉を遮るように男は声を出した。
「人も増えてきたこの街なら新顔を狙いやすいと……そそのかされたんだ。すまねぇ、おれが頭だ、好きにしてくんねい。 こいつらは俺が誘っただけなんだ、命だけは」
首元に刃を置かれた男は諦念したように大人しく目を閉じた。
ジルは剣を鞘に収めると部屋から出て行こうとする。
「エータ、少しだけ見張っててくれるか?変な動きをしたら容赦しなくて良いから、父さんは出てった奴が戻ってくるのを捕まえるから……」
信頼されていた。と言えばそうなんだろう。
ジルも急ぐ必要があった。
半拘束状態とはいえ、腕も自由で捕縛していない状態の大人四人をエータ独りで見張る。
「……」
エータは父に言われた通り、緊張したままで、キュルキュルと回転する土の針を展開して待機している。
張り詰めた弓のように、いつ発射されるか、この男の子に委ねられた状態で、尖った先端が異音と共に、男達に向かって浮かんでいる。
「おい、坊主……ひっ」
頭の男が声を掛けた瞬間に頬を掠めて土針が後ろに刺さる。
「し、止血を……」
じっとりとした眼差しで見下したまま、エータは男へと手を向ける。
「え? 止まった? ……肩の傷、ひっ」
「調子に乗るな」
エータがポツリと吐き捨てた後、ほんの数十分、小一時間というところだろうか、しかし気の遠くなりそうな時間、沈黙が室内を支配していた。
エータは見張りを全うしながらもリリの腰周りを温かい水球で包み泡を立てる、そして何度も入れ替え、その汚れた衣服を洗浄する。
優男はじっとエータを見つめ思う「……無詠唱で同時発動した? 泥沼から水を抜いたアレは何だ? 見たことも無いこの無数の針は? 離れた場所から治癒魔法? 挙げ句、あの水球は何なのだ、熱を持ち泡が動き……下着を洗う? 訳が分からない、この男は手練れの魔族か? なんとかして逃げなければ、ひっ」
スココッと間抜けな音を立てて数本の針が耳元を通り過ぎて壁に刺さる。
「この距離なら魔力の流れでわかります、さっきも流砂の魔法で泥沼を相殺しようとしてたでしょ? 変な事は……」
「はい、大人しくします」
男がビクッと身体を硬直させると、また沈黙が部屋を支配する。外の雑踏が聞こえる程度には。
程無く戻ってきた小男と治癒師はジルに呆気なく捕まった。
倉庫に戻って中に入るや否や、小男はジルに死角から峰打ちで昏倒させられ、治癒師は荒縄で足を縛られ地に転がされた。
「エータもう大丈夫だ」
知った気配が後ろから大きな手がワシワシと頭を撫でる。
すると、スッと緊張が解ける。
魔力が介さなくなると直ぐに、ボトボトと浮遊していた土塊が地に落ちる。
ジルの手から伸びる剣の鋭い切っ先が視界の先を撫でると、役目の終わりを実感する。
力が抜け、崩れる膝をリリの方に向けて、倒れるようにその側に沿うと、リリを背に隠してジルを見る。
てきぱきと荒縄で目の前の男達を縛り上げる父の姿、自分は何も出来ていないのに、エータはただ見つめることしか出来ていない。
悔いが生まれる。
ジルからすれば上々、幼い男児だが信頼に足りると外に出た。こうやってリリを保護できて犯人を捕縛出来たのだ、何の問題も無いのだが。
エータはそうでは無かった。
胸が裂けそうに痛くなる。
そのままエータの視界は暗転した。




