プロローグ 男の子其の3
ローゼが妊娠した。
エータを保護してから大体2年程だろうか、子供が出来にくい体質なのかもしれないとも思いつつも睦まじい夫婦は日々(頑張った)。念願が叶ったのだ、悪阻で青醒めた顔色とは逆にローゼの表情は晴れやかで慈愛に満ちている。
「かぁさま? だいじょうぶ?」とエータは水桶の側にしゃがみこみ口を濯いでいるローゼの背中を可愛らしい小さな手で擦る。
「ありがとね、大丈夫よ」と優しくエータの頭を撫で下ろす。
「エータ、もしかしたら弟か妹が出来るかも知れないわよ? そうなったらお兄ちゃんね。」
うふふ、と微笑みながらエータを抱きしめ「男の子も良いけど女の子も捨てがたいわねぇ、フリフリのワンピースとか着せたいわ! エータはどっちがいい?」とエータをそのまま抱き上げ頬擦りする。
「んー。わかんない」といまいちピンときていない様子だが嬉しそうにしているローゼを見つめニコニコと上機嫌だ。
ジルはきっと男の子が良いと子供みたいにゴネるんだろうな、と思うとまた嬉しさが込み上げてくるローゼであった。
エータは干物を作るべく魚を開いて干す作業をしている村のおばちゃん達に混ざって鰯のような小魚を器用に指で開いている。
「エータちゃんは上手に開くねぇ!」とガッハッハと豪快に笑うおばちゃん達に褒められご満悦でドヤ顔をしている。
30人程しか生活していないこの集落には子供は10人も居ない、近しい年の子は保護されたばかりのエータに乳を分けてくれた家の男の子が居るくらいで、後は少し年上の離れたものばかりで、農作業や漁をしたり薪集めと村の仕事をしている。真昼の日が高い数時間で手が空けば集まって年寄りや大人に読み書きや計算などを教わっている。
「んー、おおきいおさかなもやりたい!」と、エータはヤル気満々だが、流石にナイフは使わせてもらえない様でぷうっと膨れっ面で小魚をテキパキと開いている。
パタパタとローゼがやって来てエータの頭をわしゃわしゃと撫で、「えらいねー」と褒める。エータはにししと笑うと「いっぱいしたよ!」と言いながら手をスンスンと嗅ぎ、「くさーい」と一言呟いて手を洗いに小川の方に走って行った。
「さっと洗って漬け込んでしまわないとお日様昇っちゃうよ!」とおばちゃん達も小川の方に魚の入ったたらいを運んで行く。
「そうそう、塩水も良い感じで用意出来てるわよ。ちょっと辛めにしといたわ。」とローゼ。魔法で海水を煮詰めていたらしい。
この集落では日本でも古くに行われていた干物の作り方をしている。塩は海の側で容易く手に入るが、買うと高い。それに大量に塩を用意するより海水を煮詰めて漬け汁を作ったほうが早く合理的なのだ。
8%から10%の塩分濃度が干物漬け汁に良いのだが、そこは目分量、しかしローゼは大したものでいつも良い塩梅に煮詰める。
「ローゼさんは流石ねぇ、私らじゃこんなに長い間魔法を出し続けられないし、塩梅も抜群だわ!」とおばちゃん達。
「そう? 少しずつ沸騰させたのを集めてから煮詰めると早いし魔力も少ない消費でいけるわよ? 塩梅も大鍋一杯作るなら二杯半ぐらいを用意してから海水の量を変えないのがコツかな」とローゼ。非常に合理的だ。まぁ、それでも魔力が大きいのと使い方が巧いからこそなんだが。
因みに海水の塩分濃度は3~4%なので半分より少なくなるまで煮詰めれば良い塩梅になる。煮詰めの時に昆布を放り込んおくと干物にしたとき旨くなる。
半時間ほど漬け込んでから2~3時間干せば出来上がりだ。
「そうそう、ローゼさんおめでたよね? 良かったわねえ!」とおばちゃん達が井戸端会議をしながらやいのやいの姦しい。
「子供は良いからねぇ!」
「ウチも仕込もうかしら!」
「ここは女の子少ないから女の子だと楽しみが増えるわねぇ。」等と騒がしい。
「おししょーかぁさま! おゆのやつおしえてください!」
魔法の勉強の時はかぁさまじゃなくおししょーかぁさまと呼ぶのはエータのこだわりなのかローゼに興味を持った複合魔法をおねだりしている。
「んー。あれは火の魔法が出来ないと使えないからね……エータにはまだ早いわね」
水の生成魔法は最優先で教えられるもので魔力のコントロールを育むには最適で、それに何よりも(危険が少ない)のだ。逆に火の魔法はきちんとコントロールでき、且つ、ものの分別が付いてないと危険極まりない。当然、魔法の教育では基礎魔法の最後にされるものなのだ。
「やー! おねがいします!」とエータは駄々をこねるがローゼは了承しない。
「やー!」ジタンバタンと転がり出すが無駄の様子。
「エータ? 教えないのにも理由があるのよ? お水はいっぱい出せる様になったけど、まだちゃんと操れないでしょ? お湯の魔法は水と火の魔法が使えないと出せないの。お水だと濡れるだけだけど……火だとどうなると思う?」
「ん……もえちゃう」エータは半泣きで答える。
「そうね、燃えちゃわね。じゃあ、生き物や人が燃えちゃうとどうなる?」ローゼはエータの眼をしっかりと見ながら、強く、優しく問う。
「……しんじゃう」
何となくローゼの言いたい事を感じたのか、正にショボーンという表情をしている。
「そうね、魔法は(殺す)力も持ってるの。それがちゃんと解って、ちゃんと使える様にならないと駄目なの。だからまだ教えられない」
エータを見つめる眼に力が籠る。
「はい、おししょーかぁさまごめんなさい。おみずのれんしゅうがんばります」
おばちゃんが頭垂れるエータの頭をガシガシと撫でると「エータちゃんはお利口だね! ローゼさんも良いお母さんで師匠だねぇ!」と豪快にガハハ笑いをする。
「ん! おししょーかぁさますごいの」とさっき泣き顔だった子がもう笑っている。
「まぁ、炎が出る訳じゃないから……」とローゼはエータの背中にピッタリと胸を付けると両手を前に出してバレーボール程の大きさのウォーターボールを作り出す。
「エータ、お母さんの手の甲に手のひらを当てて目を閉じて感じてみなさい」と促す、エータは「はい、おししょーかぁさま」と言われた通りにする。
ローゼが水の塊に魔力を送ると水は熱を持ち湯になる。
「どう? なんか解った?」とローゼはエータの肩口から覗き込む。
エータは目を開けるとローゼの方を向き「ぐるぐるがぶるぶるしてた!」と真剣な顔をした。
「ちょうど良いや、ここにお湯入れてちょうだい!」とおばちゃんが小振りなたらいを差し出しガハハと笑いながら、「エータちゃんは良い子だねぇ!」と片手でエータを抱き寄せ胸に押し付ける。
「おばちゃくるしー。」とパタパタ手を振るエータ、おばちゃんは背中な回してた手をお尻に下ろして撫でくりまわす。
エータはあひゃひゃと笑いながらおばちゃんにしがみつき「おさかなおいしいひものになるといいねー!」と言うとパタパタと海の方に走って行きでっかいウォーターボールを作り出していた。
「エータ! ちっちゃいの作ってそれを維持するのよー!」とローゼが叫ぶと、「はーい!」と返事が返ってくる。
ローゼは下腹を撫でながらニコニコとしている。
「ホントに良い子だねぇ、さぁて、もう少ししたら干物集めようかねぇ! 村に行く用事のある奴は居るかい? 分けた残りを銭に替えてきてくんないかい?」
遠くの方からジルが手を振りながら森の警備から返って来た。
「ローゼただいまー! 思いの外すんなり片付いたよ。シルバーウルフとレッドベアの素材が手に入ったのと、後はグレートボアの肉がいっぱいあるからみんなで分けてくれ!」と魔法袋から部位ごとに解体された肉を取り出し置いていく。
「いつもありがとうねぇ、怪我はしなかったかい?」とおばちゃん連中はホクホク顔でジルを気遣う。
「獲物を売りに出るなら干物任せても良いかい?」
「ああ、あいよ、村で半分街で半分でいいか? 街のほうが高く買ってくれるから村の奴らが食う分以外はそうしたほうが良いだろ?」
「ああ、任せるよ、街まで出るなら薬とかお使い任されてくれるかい?」
「じゃあ、明日朝に立つから今晩にでもウチに書いたの持ってきてくれるか。」
そんなやり取りの後ろからローゼがジルの服の裾をきゅっと掴んでくいくいっと引っ張る。
ジルの耳元にそっと顔を持っていきボソボソ呟くと、ジルは破顔したかと思うと涙を流し、正に泣き笑い状態でローゼにキスをする。
「よくやった!でかしたー!」と叫びながらローゼを抱き寄せ二人してぐるんぐるんと踊り出した。
「あー! とーさま! おかえりなさい!」とジルの声を聞いてエータが駆けてくる。
「とーさま! なきながらわらってるの、へーんなの!」
「ただいまエータ、お兄ちゃんになるんだな!」とエータを抱き寄せ頬擦りする。
「とーさま、じょりじょりいたい……」とテンションが激サゲだがジルは気にせず一頻り頬擦りすると肩車して浜辺の方に走り出す。
来年には家族が増える。
そしてエータはスクスクと元気に育って行く。
 




