少年期 銀狼は弄られる
「それにしても、いい天気ですねぇオズマさん」
石畳の敷き詰められた街道を、カタカタと鳴らしながら荷馬車が進んで行く。
時折、麦畑や水田を撫でる風が心地よく流れていく。
時間にすれば、ほんの半刻程の間だが、ジルが何気なく問いかけた一言が放たれるまでは、オズマにじゃれ付くリリ以外は誰も言葉を出さないでいた。
エータは調金を施したキルスの指輪をこしこしと丁寧に磨き続け、シンディはエータに寄りかかりその作業を見ている。
その内にシンディはエータから細工を施したペンダントトップを受け取り、同じように布巾で磨き始める。
察しが良いのか二人して大人しくしている。
ローゼはオズマが発する言葉を待ち続けている。斜に構える位置からじっとりとした目で見つめながら。
「そうだな。んー、あれだ。何から話したら良いのか……」オズマがポツリと言葉を放り出す。
苦し紛れでもなく、本当に何を話すのかを考え悩んでいるようだ。
すると、ローゼの「おじさま? お師匠様……本当に私のおじいさまなんですか?」の一言に答える様に言葉を吐き出す。
目を閉じたまま、すっと空を仰ぎ、意を決するようにローゼに向き合うと、「うむ、そうだ」と一言だけ、小さく呟く。
曰く、クランが相対するのは主に盗賊や奴隷狩りの一味、大きな声では言えないが、中には貴族の後ろ楯を持つ集団も居る。
特にミザールは良くも悪くも名が通っている。魔物や個人だけを相手にするのならば何の気兼ねもなく家族を持ち、愛せるだろうが、自分やミザールは組織の矢面で動く身、狙われるのが身内の弱い者となるのは必定。
況してや娘夫婦を直接狙われ害されたミザールとしてはこれを公に出来ないと考えた。その上でローゼを初め周りの人間に対して事実を隠したのだ、と。
これを知っているのはクランの内の、ごく限られた人間だけ、だとも。
オズマは俯きながらに話をする。それはまるで、叱られたシベリアンハスキーの様にも見える。
「薄々、そうじゃないかなぁとは思ってたんですが、ね」とジルが手綱を操りつつ声を出す。
「リリが出来てから、何となく、なんですけどね」
「ふぅーん、そうなんだ……」と組んだ手を真上に上げて伸びをするローゼ。
ふぅ、と、深く息を吐くと一言。
「ありがとうございますおじさま、すっきりしました。……もっと甘えても良かったんですね」と少し悲しそうに微笑む。
「おう、でも、出来たらミザールには内緒にしといて……くれないか? あいつはこの話になると本気になるからな。それこそ誰が相手でも容赦ねぇから」
「うふふ、考えておきます。ね? おじさま」
体勢をそのままに、首をすぼめてじっとりとした眼差しでローゼを見上げるオズマ。
「かぁさま? あんまりオズマちゃんいじめちゃだめよ? ねー? オズマちゃん」
わしゃわしゃと、オズマの胴にしがみついて、小さな頭を擦り付けながら、ちらりとローゼに振り返るリリ。
ローゼは「そうね、リリちゃんゴメンね」とその薄桃色の髪の毛を撫でる。
「んー!」と満面の笑みのオズマの膝の上のリリ。
「いい子を持ったな。……騙すつもりは無かったんだ、俺の身の上も知ってるだろう? ミザールの気持ちは痛いほどにわかるんだよ、妻を持って子を授かっても、簡単に奪われる辛さ怖さってな……」
「……はい、ごめんなさいおじさま。今ならわかります」
ジルは全てを聞き流して、それは気持ち良さそうに、腹から大きな声を張り上げる。
「あー! いい天気だなぁー! 風も気持ち良い! 少し馬を休めますか! ちょっと早いですけど、良いところで昼飯にしましょう!」
ジルは街道沿いの少し開けた水路の側、木影のある広場で馬車を停め、馬から荷台を外して水場に連れて行く。
2頭の馬は大人しくジルに付いて歩くと手綱を木に繋がれる。
のたりのたりと路肩の草花を食み水路から水を飲み木陰で脚を折り、鼻を鳴らしながら、実に気持ち良さそうにゴロリと転がる。
エータとシンディはその側でそれぞれにたてがみに添って耳裏から首元まで丁寧にブラシを掛け、リリはエータの横で馬の鼻筋をさわさわと撫でて口元を弛めている。
「お馬さん気持ち良さそうだね、リリちゃん」
「ん! えーたんはここがいいんでしょ?」と、リリはエータの脇腹の、肋から腹筋に沿って細い指を這わせる。
「おひょー! リリちゃん!」ゾクゾクと身を震わせるエータの側で「ねー?」と、ニヤニヤしながらにエータの身体を撫で回すリリ。
「リリちゃんご飯たべるにゃ! おいたんが呼んでるにゃ! エータも!」とブラシ片手にエータの手を取り、ジルの手のごはんに目をキラキラさせている。
「んふー、リリちゃんはやっぱりエロいのにゃ、エロエロなのにゃ、あたしの知ってるゆりちゃんと同じ匂いなのにゃ、やっぱりご主人様とイチャラブなのにゃ」
「え? ……シンディちゃん? あとで、ゆっくりおはなししよーね?」
「にゃ?」
石畳の側の街路樹の木陰でジルが宿で拵えていた手弁当を皆で頬張る。厚切りのパンに調理した肉や野菜を挟み込んだ親父のサンドウィッチ。適当にナイフで割られたものが、バスケットと呼ぶには目の荒い籠の、清潔な布巾を敷いた上にどっさりと置かれている。隅には水洗いされたベリーの類いが詰められていて色合いが可愛らしい。
「まあ、これ食って下さい。会心の出来なんですよ?」と宣った、自信満々のジルの弁当をそれぞれが摘まむ。
「朝飯もそうだったが、ジルも食えるモン作れるようになったな。喧嘩っぱやいだけの跳ねっ返りのガキが大人になったもんだ」とオズマは大きく割れた口元に付いたソースを指で拭いペロリと舐める。
「一丁前に旨いソースを仕上げてやがる、南の方の味だが、お前ら二人、行ったことねぇだろ?」
「流石オズマさん、わかりましたか? 越してきた若いのがね、教えてくれたんですよ。故郷の味付けって言ってたんですが、これが旨くて。しかも簡単なんですよ」
「ねぇ、キルスちゃんはこのソースでお魚食べるの好きって言ってたわよ」
「父様? これホルムさんのご飯? これ好きです! あの辛いのはちょっと苦手だけど。これなら美味しい!」
「にゃ? あの辛いお肉のおいたんの? これ美味しいにゃよ! とろとろしてて甘くてしょっぱいの!」
「ふぅん、まぁまぁね」
「ほぅ、リリちゃんは舌が肥えとるんだな、ジルでこれならローゼの飯はさぞ旨いんだろうな!」とオズマは喉の奥が見える程に大きく笑う。
「ひぃっ」とシンディは反射的に怯えるがオズマを見て笑うエータとリリに挟まれて我慢をする。
「シンディちゃん? 大丈夫だよ?」
「そうは言っても見た目が怖いにゃよ、リリちゃんくらいならおやつ感覚でポリポリ食べられちゃうにゃ」と、揃えた膝に握り拳をちょこんと乗せて小さくなっている。
「喰わんぞ、なぁ」
「そうよ。シンディちゃん大丈夫ですよ?」
「おう、オズマさんは子供は食べないぞ」
「にゃ! 大きくなったら食べるんにゃ!」
「食べん!」
「にゃむぅ」
「あなたっ!」
「ゴメンね。シンディちゃん。大きくなっても食べないよ?」
「喰わん!」ガシッとジルの頭を掴むオズマ。
「はい、すみませんでしたオズマさん」
コントを横目に、シンディはちんまりと縮こまりエータに寄り掛かる。
「やっぱり怖いのにゃ、大きいお口」
「あたしがいるからだいじょうぶよ?」
シンディはエータとリリにぎゅっとサンドイッチされる。
ちんまりと揃った三人を見て目を細めるローゼ。
「ねぇ、そろそろ出発します? じゃあ皆でお馬さん連れて来てくれる?」
すぴすぴと小鼻を膨らませて子供たちの背を押すローゼ。
「ホントに可愛らしいわねぇ、オズマおじさまもこんなに可愛らしいのに、シンディちゃん何で怖がるのかしら」
「あ? 誰が可愛らしいっ……おふ……」
文句を言おうと口を開く傍からローゼにもふもふと顎から首元を擦り撫でられ尻尾をぶるんぶるんと振ってしまうオズマ。
「むむむむ……」
「おじさま? 人はそれぞれですからね? おじさまが自身をどう思われていても、こういうことですよね?」
「うむむむむ、そうだが……孫娘みたいなのに、こうも遊ばれると……」
「お嫌ですか?」
「ふぐぐぐぐ……」
「お嫌?」
「嫌ではないが、良くも無い! ……良くもない」
座ったままに、膝の上で握りしめた両手に力を込めて我慢の表情のオズマ。
そうする内に子供達が連れてきた馬をジルは手際よく荷車に繋ぎ、声を掛ける。
「おーい! 準備できたよー! オズマさーん! ローゼ!」
「お、おう!直ぐ行く!」
すっくと立ち上がり、左右に大きく振れる尻尾をそのままに、ローゼから逃げるように馬車の方に歩き出すオズマ。
「もう、おじさまったら」
ニコニコと笑みを浮かべ、そそくさと後を追うローゼ。
日も天に届きそうになり、順調に街道を進む馬車。
街道筋を西へ、道なりに少し進むと、視界に入る集落も次第に多くなる。
家々の姿も、農村のそれから、市民層のものになって行く。
すると、まっ直ぐな石畳の奥遠くに、黒い石組みの壁が見えて来る。
東都チオンの街壁だ。
東都は四方四都の中でも王都と大海に挟まれ、その運用も限られた狭い領地だが、魔物の出る領域も少なく、大河を抱き肥沃な土地が広がる。
北方には先だってエータ達が狩りを行った大森林が拡がり材木や薬草果実など自然の恵みも多い。何よりも幾度となく氾濫した川により作られた豊かな土壌が稲作に適しているのだが、この東都に近くになると灌漑や街路整備にも、しっかりと締められた堤防や、段差のほとんど無い石畳の街道など、細やかに計画された設計で土地に手が尽くされている。
「へぇぇ……」
間の抜けたような声を出し、御者をしているジルの背に手を掛けて立ち上がり、キョロキョロと辺りを見回すエータ。
街道を進むにつれ、遠くに見えていた黒い壁の高さが実感出来る様になる。
東都を囲むように壁外に並ぶ住宅街と比較すれば、その高さが際立つ。
黒壁の側の2階建ての建物の三倍はあろう高さ、20メートル近くはあるだろうか。
「大きいねぇ」
エータはあんぐりと口を開き、壁を見上げながらに、その右から左へ、ずーっと目線を流す。
あの森の木より高いモノが人の住む中に、流れるように隙間なく阻んで立つ。
まだ、ただ大きい、としか表現し得ない建造物が、遠くの平原の端から視界の中で近づき、それをひたすらに見続けて、いざ目の前で見上げると、それも理由の知れない笑いが、止めようも無く沸き起こる。
「ふひひ、す、凄いねぇ」
鼻から、ふんす!と、息を吐き出し、胸を張るエータ。
すっと、包まれる様にローゼに抱かれて、やっと意識が近くに戻ったエータ。
「かぁさま?」
「んふー。あの壁の向こうに入るのにね、ちょっとだけ嫌な感じがするのよ。だから、エータちゃんとリリはここに居てね?」と両の腿の上に二人を乗せて、右側のリリに寄せる様にシンディを抱える。
「じゃ。街に入るのに審査が在るから、ちょっとだけ待っててね。これくらいの列ならすぐに掃けるから」と、ジルはローゼを気にする事もなく、ニコニコと御者台で手綱を引いている。
数十人の人と数台の馬車の後ろに並んで、あの大きな黒い壁に見合わない小さな門に並ぶ。
ジルが言うように、それほど待つことなく門番の前へと入ることになる。ものの十分程度だろう。
「震えてるのにゃ?」とシンディは肩からまわされているローゼの右手を抱えると、体を寄せてリリ越しにローゼを見上げる。
「かぁさま?」
「ん、大丈夫よ?なんでもないのよ?ありがとうねシンディちゃん」
「んにゃあ」
強面の門番が馴れた手つきで身分の確認をする。特に魔法袋の普及で都市に持ち込まれる荷物の確認は念入りに行われる。
「おう、今日は家族連れか?……うげっ!オズマさん!」
ジルを見て、慣れた顔と思い軽口を叩く門番。荷台に鎮座する銀色の獣人に気付くと顔色を変える。
「おう、毎度」
「そ、それではぁ、身分しょおのご提示をぉ、住民証かギルドカードをぉ……魔法袋をお持ちでしたら中身を照会しますのでご協力をぉ」
オズマに凄まれ、裏返った声で職務に当たる門番、衛兵の中でも実力を認められた実績のある者だけしか門番になれないというのに態度に出てしまっている。
「冒険者ギルドAランクオズマ・インフィールド、以下同Bランク、ジル一家……ん?ローゼさん?」
「はい」
にっこりと門番に笑みを返すローゼ。
「はい……ジルさん?どういうことですか?」
わなわなと小刻みに震えながら門番はジルに問いかける。
「ん?俺のかわいい奥様だが」
「なんですと?」
「これ、娘、俺たちに似てるだろ?」
ジルはひょいっとリリを抱え上げ顔を並べると門番の男に問いかける。
「ななな……」と愕然とする門番に対して、むすっとした表情でリリはジルを睨み付ける。
「おろして」
「ほい、ローゼ」
「なんですとぉ……聞いてないよぉ」膝から崩れ落ちる門番。
「言ってないからな」
「おい、早く荷物の確認をしろ。待たせるんじゃない」
「うるせえだまってろ」
「あぁん?」
漏れた暴言からオズマにワシッとこめかみを掴まれ我に返る門番。
「すすす、すみませーん!はい!すぐにいたします!売却予定のモノがありましたらお知らせ下さい。禁制品の売買は都市内で認められておりません。持ち込まれる際には所定の手続きの上、確実な持ち出しをお願い致します」
「ん、じゃあこれな。ほれ」
オズマは目録の束と武器や装飾品、なにやら怪しい薬瓶をずらずらと手慣れた様子で検査官の前に並べる。
ジルとローゼも目録を出すとオズマに倣う。
「いつもと変わらんが、預かり品と……魔晶石か。こりゃ一財産だな。全部売っ払うのか?」
「ん?持ってても仕方無かろうよ」
「いや、魔法使うなら持ってても……」
門番はチラリとローゼの方へ目配せする。
「必要がありませんから、ね?」
ぽっと頬を赤らめた門番はサッと目を逸らすと、一言。
「通ってよし、存分にチオンを楽しまれよ」
一行は東都チオンに到着した。




