わんわんの失言
日が登りかけ、霞のような雲のながれる濃い水色の空の下、少し肌寒い朝の空気をものともせず銀色の獣人が上機嫌で通りを歩く。
背負子を背に市場へと向かう人がぼちぼちと行き交う朝まずめの大通り。
酔いの回った青い顔の人族の男が三人、餌付くような異音を漏らしながらに羽織ものを前身に包み背を丸め後ろを歩く。
「ふぅぅ、さみぃ……オズマの旦那ぁ、俺たちは宿に戻って休みますわ……」
「おう、じゃぁ宿でな」
「じ、ジルさんたちによろしくです」
「ん、ちゃんと何か腹に入れてから休めよ」
「は、はいぃぃ、それじゃ」
ヨタヨタとした足つきで船宿へと緩やかな坂道を下りていく三人を横目に、街道筋の大通りを大門近くの馬丁宿へと歩いて行く。
家々からは炊煙が上がり空腹を擽る匂いが辺り流れてくる。
「角の宿ったらここだよな」と大きな体を折り曲げて扉を潜るとギョロりと帳場を覗き見る。
扉の上からぬっと降りてきた狼の顔、三白眼に睨まれ「ひぃっ」と小さく声を上げ腰を引かせる宿の親父の横から「あ、オズマさん」とひょっこりジルが顔を出す。
裏手の馬屋で飼葉を与え終わり戻ってきたところらしく、空の桶を親父に返しオズマを迎える。
「あ、あんたの客かい?ふぅ、怖かった」
「あははは、取って喰われたりしませんて、見た目はアレですけど。あ、オズマさん、部屋へどうぞ」
「アレってなんだ、こいつめ」
わしわしとジルの頭を掴み子供扱いをする。
「ローゼ?オズマさん来られたぞ」
ベッドの上で座禅を組み日課の瞑想をしているローゼとエータ、窓の側で遊んでいるリリとシンディが揃ってドアの方に顔を向けるとジルの背後から眼光鋭い狼の顔が、ぬっと出てくる。
「ひっ」シンディは小さな悲鳴を飲み込むと、素早く間に体を入れてリリを背に隠す。相当に怖いのだろう、尻尾はぼふぼふに大きく逆立っている。
「あら、オズマさん、早いのね」
「オズマさん?かぁさまのお知り合いですか?」
「とってもお世話になった方よ?ご挨拶なさい」
「エータ・ボストークです、はじめましてオズマさん」
「おう、オズマ・インフィールドだ、よろしくな」としゃがみこみ大きな手でエータの頭を撫でる。
「おっきなわんわん、こ、怖いひとじゃないにゃ?」
「わんわん?」ひょっこりとシンディの背からリリが顔を出す。
「あー!かわいいっ!もふもふさわっていい?!」とリリが飛び出すと背中に飛び乗りオズマの頭や顔をさらりさらりと小さな手で撫で回す。
「か、かわいい……?」とオズマはローゼの顔を見ながら小首を傾げる。
「こら、リリちゃん!ご挨拶しないとダメよ?」
「はーい」よじよじとオズマの背から降り、「はじめまして、リリ・ボストークです」白いワンピースの裾をくいっと上げ膝を曲げ挨拶をする。
「くふふ、リリちゃんかわええ」
「んー、本当に」ローゼとエータはニヤニヤと顔を綻ばせる。
「シンディ!シンディ・サイベリアンにゃ!よろしくなのにゃ!」シンディはその場でペコリと腰を曲げる。
「うむ、よろしくなお嬢さんたち」
「にゃ!」
「はーい!もふもふ!」リリは手を広げ正面からオズマの胸に飛び込む。エータ以外の男性には気を許さず、攻撃的とも取れる対応をしているリリには珍しい事だが。
「ふひひひー。もふもふ、いひひひー」と変態的な声を上げながら全身でオズマの体を楽しんでいる。
「あらあら、リリちゃんたら……」と止めようとするローゼに大きな手をかざし制止するオズマ。
「いい、これはこれでいい」となされるがままに許容している。相変わらず怖い顔だが本人としては嬉しいのだろう、しかしながら、口角が笑みで恐ろしい形になっている、シンディは尻尾を股に挟んでフルフルと小刻みに震え構えている。
いつのまにか手を伸ばしてリリを口に運ぶかもしれない、と、まだ警戒を解かない。
「嬢ちゃんの娘ってのは当然として、こりゃロザリーの血だな。」
「ふふ、私じゃなくて、おばあさまに、ですか?」
「ああ、こりゃ違いなくそうだ」
「リリちゃんはおばあさま似ですって」
「え?ふーん。オズマちゃんかわいいねぇ、んふふー、ここ、きもちいいの?」
「好奇心の塊というか、興味を持ったら一直線なところろろろ……」
「リリちゃん!お口の中に手をいれちゃダメよ!」
「あーい」
「こういうところだ、あの桃色ババアの血だ……おおふぅ」
「リリちゃん!お耳の中にも手を突っ込まないの!」
「もう!」
「あー、リリちゃん良いから、怒ってないからな」
「んふー、オズマちゃんかわいいねぇ、よしよしよし」
「あ。あの、オズマさん?ミザールさまのお話も聞きたい……」恐る恐るエータがオズマの腰のベルトをくいくいと引っ張る。
「ミザールか!あいつとはもう何年会ってないか……ああ、ジルがローゼと駆け落ち同然に旅立ってからだ。10年くらいか?」
「まあ、今は王都でお仕事されてますよ?この子はお師匠様直々に魔導を仕込んで貰ったので、ほんの短い間でしたけど。おじさまは王都でクランの皆様にお会いにならないのですか?」
「ん?ああ、そうだな、後手とは分かってるが、人拐いが出たら行かねばならんのが性分でな。王都ではギルドに顔出すだけだ。今は北のじいさんと仕事してるんだが……うぶぶ」
「リリちゃん!お鼻に指をかけないの!おじちゃんがかわいそうでしょ!」
「えー?いたかった?ごめんねオズマちゃん」
「うむ、かまわんぞリリちゃん」
しかし、「もう、リリちゃん、降りなさい」と、ローゼがリリを抱える。
「あー!もぅ!ねぇー!オズマちゃーん!ぅぁー!」ばたばたと暴れるがなす術なく引き離される。
「ミザールの話か、あいつと初めて会ったのはもう何年前か……5、60年位か……な、まだ幼い顔付きだった。ロザリーと二人で旅をしてたあいつらとロペ大陸で出会って、レカの迷宮を探索したり、マラヤの山脈越えでドラゴンに会って逃げたり……いろんな奴等と一緒に旅をして、別れてな。ミザールら二人もガキが出来て別れてから暫く大森林に戻ったり、久しぶりに会った時にゃ……」つらつらと話をするが、はっと思い出して顔をしかめる。
ミザールとロザリーが再び旅に出た理由を思い出し口を止める。
ローゼには言ってはならないと、二人から止められてはいたのだが、吐いてしまった言葉は口に戻らない。
「奴隷狩の襲撃は残念だったが、ローゼを救い出せただけでも。あいつらの救いにはなった」と続いて漏れたところで、軽く流してくれれば良かったが、ローゼはオズマの首元を掴み、静かに「それ、私の知らない話。だよね」と問いかける。
キョロキョロとオズマの視線が空を舞うがもう遅い。
「ん?」
「お師匠様とおばあさまが?子供?それって……」
「嬢ちゃんの母ちゃんだな」
「……」
目をきゅっと閉じて、握りしめた拳を両の膝に乗せてふるふると震えているローゼ。
「お師匠様が私のおじいさま」
「母さま大丈夫ですか?」と、声を掛けるエータに「うん」と小さく答え背を撫でる。
「朝飯出来たぞ!さぁ、温かいうちに……あれ?」と、ジルが朝食をワゴンに乗せて運んで来たが、何やらおかしな雰囲気にオズマを見る。
顔の前で手のひらを立て、スマン、とゼスチャーをするオズマ、ベッドに腰掛けたままに、ほろほろと涙を溢すローゼ、何が起きたのか理解できていないシンディ。
ローゼの隣には何故か神妙な顔のリリが座っている。
「あー、オズマさん、何かやっちゃいましたか?」
「……ぉぅ」目線を床に固定したままで消え入りそうな声でポツリと呟く。
「やっちまった」
「えと、オズマさん?まぁ、先に飯を食いましょう。皆もな?ちゃんと食べないと。な?何が有ったかは聞きません。飯食って1日をちゃんと始めましょう」
「ん、そうね。いただきましょ」とローゼが目をこしこしと擦りテーブルに配膳する。
「後でちゃんと聞かせて貰いますから」と有無を言わさない目付きでオズマの目の前に朝食の乗ったプレートを差し出す。
「めーだーまーやーきー!」
シンディは興奮して声を上げる。
スープの椀とサラダの小さなボウルにトーストした固い黒パン。トーストの上には塩の強いベーコンと両目のフライドエッグが、白くまぁるいプレートにまとめて乗っている。
子供たちは半熟の黄身が2つ並んでプルプルと揺れるフライドエッグにウキウキとしている。
特に、エータはジルの焼く目玉焼きが好物だ、白くふるふると波打つ中心にそれは鎮座する、熱は通っているがとろとろとした半熟の黄身、その周りの白身は焼き面と外周が琥珀の膜を張った様に芳ばしくパリパリと薄く焦がしてある。エータも思わず喜びの声を漏らしてしまう。
「にしし、おいたんの目玉焼き美味しいもんにゃね!」
「ありがとうな。じゃあ、日々のこの糧に感謝して。いただきます」
「「いただきます!」」
「ん、いただきます」と、オズマは大きな手でスープの椀を口に運ぶ。
「どうせお酒ばっかりでちゃんと食べてないんでしょ?おじさま」
「お、おう」
「お野菜もちゃんと食べて、良く噛んで」
「お……おう」
「ちゃんと話してくださいね?」
「ん。分かった」
「んふふー。おいしいねぇオズマちゃん」
「おう、旨いな」
空気を読んだのかリリがオズマに声を掛ける。その内に重苦しかった雰囲気も、いつの間にか和やかになっていた。
「ふう、旨かったぞジル」
「へい!お粗末さまです」
オズマは「おう、じゃあちょいと荷物取って来る」と席を立つ。
「え?」
「チオンまで付いて行く」
「え?」
「すぐ戻ってくるからな」
そう言うと、さっと立ち上がり部屋から出ていく。
「あー!オズマちゃん!」
「ちょっと待ってなリリちゃん!」
「あー。まぁ、あの人らしいな。よし、片付けてから出発の準備だな。此処からは石畳だし昼前には着くだろ」
ローゼはクスクスと笑いながらに出発の準備をする。
「じゃあ、食器洗ってきまーす」
「あたしも手伝うにゃ」
エータとシンディはワゴンを押して厨房へと出ていく。
「あーん!えーたん!」
「リリちゃんは一緒に居ましょうね」
「んー、わかった……」
そうこうしている内にエータとシンディが戻って来るが。
「お馬さんのところに行ってきまーす」と直ぐに出て行ってしまう。
「あーん!わたしもー!」
リリはローゼの隣から立ち上がりエータを追いかける。
「直ぐに行くからお馬さんの所で待ってなさーい」
「「はーい」」と廊下から元気良く返事が聞こえて来る。
エータ達3人が宿裏の馬丁小屋で馬のブラッシングをしていると、オズマが大通りからやってくる。
「オズマちゃん!」踏み台の上でシンディに抱えられ馬の背にブラシを流すリリが声を上げるとオズマが駆け寄って来る。
オズマはシンディの頭をさらりと撫で下ろすと両手でリリを持ち上げ馬の背に乗せる。
「あっ」
「わーい」
戸惑うシンディと喜ぶリリ。
馬は恐がるでもなく、オズマの胸に横面をバシリと当てるとブルルと小さく嘶いている。
「おいちゃんは恐い人じゃないのにゃ?」
「お?顔は恐いがな。安心しな」
「にゃむぅ」
「シンディたん?オズマちゃんはかわいいよぉ?」
「にゃ?リリちゃんがそう言うなら……でも……お顔恐いにゃ」
「ぶふーっ」
いつの間にか宿の精算を済ませたジルとローゼがうしろで噴き出して笑っている。
「うぷぷ。銀狼も形無しですね。じゃあ、出発しますか」
馬丁の小僧が2頭の馬に荷台を繋ぐと大門の方へと餞する。
御者席のジルと背を合わせるように荷台に座るオズマ、その膝の上にはリリ。
右にはローゼ、左にはエータとシンディが並んで座っている。
石畳の街道をガタガタと荷台を揺らしながらに進んで行く。
「じゃぁ、詳しく聞かせてもらってもいいかしら? お・じ・さ・ま」
河港そばの古宿では酔いも覚めぬ男三人が虚ろに言葉を交わす。
「えれれ?今、オズマさん何かしてたか?」
「んー。王都で合流とかなんとか…出てったでやんす」
「ぎもぢわる……オボロロロロ」
「のぁー!カーク!んなとこで吐くな……ぁぁぁ」