プロローグ 男の子 其の2
ローゼとエータは向かい合って膝を付き合わせ座禅している、エータはまだちっちゃいので、ローゼは少し前のめりの態勢でエータと手を繋ぐ。
毎朝の日課である魔力鍛錬の瞑想をしているのだ、手を繋ぐ事で互いに魔力を通わせ合う。体内の魔力流路に力を巡らせ操作精度と威力を鍛える、毎日行う事で流路は広がり使える魔力も大きくなり意識的に巡らせる事で精緻な操作が出来るようになる。逆に怠ればいざという時思うように扱えなくなる。
人の身体とは正直なものだ。
「エータと修行してたらお母さんの魔力総量も上がってるのよねぇ、もう成長しないと思ってたんだけど」
エータの魔力総量が予想外に大きい為に流路が広がったらしい。
「おししょうかぁさまのぐるぐるはいつもあったかいねぇ。それにきれいにうごくの!」
エータも自身を通るローゼの魔力を感じて居る様子で、その魔力の流し方やそのコントロールの技術を真似しようと努力している。
「うん、エータも魔力の扱いが上手になってきたね。お母さん出掛けて居なくても毎日この鍛錬はするのよ? サボると直ぐに魔法が下手くそになっちゃうからね? 約束よ?」
エータはいつになく真面目な表情で頷く。
「はい! おししょうかぁさま! へたくそいやです!」
ローゼは反射的にエータを抱きしめ一頻り頬擦りしてから「えらいねぇ、今日はこれくらいにして朝ごはんにしましょうね。支度しとくからお父様の所に行ってきなさい」と、外で重りの付いた木剣で素振りをしているジルの方へ送り出す。
「エータ! もう終わったのか?」と木剣を放ると駆け寄るエータを抱き上げる。
「はいとうさま! かぁさまがあさごはんしたくするって!」
「そうか、じゃあ少し浜辺を走って体力作りしような!」とエータを連れてランニングに出かける。
大陸の南東部の主食は米だ。少し内陸に行けば小麦の方が良く採れるが、湿地が多く雨量も大いこの辺りは稲作に適しているからだ。
名主の居る隣村では岩室に保存していた塩豆が、所謂味噌の様なものになっていて、最近はスープの調味料として好評を拍しているらしい。
「とうさまおなかすいたー!」
「おう、そろそろ帰ろうか」
ジルはエータを肩車に乗せて家の方に走り出す。エータはキャッキャと楽しそうにしている。
家に着くと朝ごはん。魚の解し身が混ぜ込まれた飯と野菜がたっぷり入ったスープ。簡素と言えば簡素だが海や森が近いと恵みも多い、危険も伴うのだが。内陸だと硬い黒パンにチーズか干し肉に具の少ない塩スープが当たり前なので、この世界では相当に恵まれている部類に入ろう。
「かぁさまごちそうさまでした」
「ローゼ、御馳走様美味しかったよ、このスープの味付けは村の塩豆だろ? めちゃめちゃ美味しいな」
「うふふ、気に入ってもらえたのね?もっと色々研究してみるね」
上機嫌でニコニコと微笑むローゼは腕を捲り自信ありげだ。
ジルは手際よく軽鎧とロングソードを装備して警備の仕事に出掛ける準備をしている。警備と言っても名主の村とこの集落の北側に広がる森で魔物狩りをするのだ。
手前にある木こりの小屋で村と集落の戦える者、時にはギルドから派遣された冒険者と落ち合い定期的に魔物の間引きを行う、領主への納税は基本的には金銭にて納めるのだが、辺境に当たるこの辺りでは材木で物納し、差額を物資や金銭で還してもらっている。
実質の税負担は多くなっているが、治水や街道整備がしっかりされているのを見ればどうと言うこともなく、寧ろ上等の統治とも見える。
こういった理由でこの辺りでは森の管理が農地耕作と併せて最重要事項の仕事に当たる。
この時魔物から採れる肉や素材は個人のモノにしても良い事になっている、現金収入を得る少ない機会として参加できる者には気合いが入る。
「じゃあ行ってきます。少し魔物の数が多いらしいから前より時間が掛かるかもな、1週間か10日くらいかな。まぁ、近いし途中で一回帰って来るから」
「とーさまいってらっしゃい!」
「はい、気を付けてね。あ、魔法袋はちゃんと持った? この間忘れて大変だったでしょ?」
魔法袋は冒険者ギルドで誰でも使えるものが売っている、それほど容量はないらしいが一辺三メートル立方程度は収納出来る。
この汎用品とは別に使用者制限付き魔法袋がある。
決められた文言の詠唱を小さな魔石を付けた革袋に掛ける事で空間拡張と時間遅延の効果を持った魔法袋が作れるのだが、この時に込める魔力量と質で性能が大きく違うところから、魔法使いが基礎修練の仕上げとして魔石に全力を込めて魔法袋を作成する。
こうして出来た魔法袋の性能で自分がどれくらいの能力を持って居るのか確認する意味合いも持つのだ。
逆に他人の魔法袋の性能を教えてもらえればある程度技量が判断付く。熟練の魔法使いには当てはまらないが、冒険者ギルドでルーキーをパーティーに入れる判断方法として一般的だ。
そして、この魔石に使用者制限の呪術を掛けた特別なものを使用すれば登録者だけが使える様になる。
この時、必ず師匠や先生が付き添って弟子が魔力枯渇ギリギリまで込めた所で止めてやる。
熟練の魔法使いでも独りで高性能な魔法袋を作ろうとすると最悪魔力枯渇で命を落とす事もあるからだ、それに、自身の現在の限界を知ってから一人立ちさせようという意味合いも大きいだろう。
「あ、忘れてた。」とジルは鍵付きの小箱から魔法袋を取り出して鎧の胸当ての内側にごそごそと取り付ける。
「では、行ってきます!」
颯爽と出掛けるジルを見送る二人は「「いってらっしゃい」」と声を揃えた。
背を向けたままで後ろ手を振るジルをカッコいいなぁと見送るエータだった。