ブラジル帰りの魔女と図書喫茶で
「水晶の魔女」シリーズ第11弾。相変わらず図書喫茶に入り浸る、リオとソーマ。そしてさらに明らかになっていく、門下と世界観。今回はブラジルから「灯火の魔女」がやって来る。
川辺理生は、男であるが「魔女」である。世界の声を「受信」するのが「魔女」であり、人間社会に「送信」するのが「魔術師」だ。だからリオは、自分を魔術師と名乗る気は、さらさらない。
リオの生業は、世界中を旅して、自分たち一門が扱う「水晶」を調達して回ることだ。
二酸化ケイ素を主体とした「大シリカ・グループ」の鉱物を、自分たち「水晶の魔女」一門では「地球」に見立てて、世界と自分たちを繋ぐ媒体に使う。
なかなか容赦のない姉弟子たちが形容して曰く、要するに「壮大な規模の『藁人形』の術」だ。
藁人形が人間の「形代」になるがごとく、水晶は地球の「形代」となる。
藁人形に願い……この場合は多くが呪いなのだが……を託すがごとく、水晶に願いを託す。
そして、藁人形を通じて、それと見立てた相手に「現象」を起こすがごとく、水晶を通じて、それと見立てた世界に「現象」を引き起こす。
世界の流れを読み解き、世界に語りかけ、そして世界と共鳴する。
そんな「魔女」たちのために、気の合う「相方」となる「適合水晶」を探し出して、より深く世界との絆を繋ぐ。その手伝いこそがリオの本分である。
つまり、リオが相手にするのは自然世界であって、人間社会ではない。
もちろん「魔女」だって人間なのだが、圧倒的な少数派であり、社会の主流などでは断じてない。むしろ人間社会からは爪弾きにされるような「変わり者」が多い。
リオは「詩歌の魔女」マリ先生の弟子になる前から、自分はどこか周囲になじめないと思っていたし、入門して色々な物事が「みえる」ようになったからといって、社会になじめた気もしなかった。魔女ではない人間たちと一緒にいても、そこを「自分の居場所」とは思えないのは、今もだ。
だから、旅をするようになったのだと思う。
水晶を見つけてくる仕事は、旅をする口実である気さえする。
見たいのは、新しい世界の姿だ。
見つけたいのは、さて、自分の居場所、だろうか。
でも、自分に「居場所」がない、とまでは、もう思い詰めてはいない。
少なくとも、姉弟子「天文の魔女」サヤの図書喫茶では、奥の特等席を我が物顔で陣取っても、申し訳なさは微塵も感じない程度には、なじんでいる。
「……はい、アタリ」
パチリと、リオは白石を碁盤に置いた。
「Oh... wait, please... マッタ……」
向かい合うは、インドで知り合った友人「芳香の探求者」ソーマ。
大きな黒地をゴッソリ持っていかれた彼は、天を仰いだ。
「最初から打ち直せばいい。Again, again!」
「ヨシヨシ」
ソーマがそう答え、二人はじゃらじゃらと碁石を片づける。
そして、また最初だけは礼儀正しく、お互いに正座をして、一礼して、再び石を打ち始めるのだ。なお、三手目ぐらいから、お互いに胡座になって、どんどん姿勢が崩れていく。
リオが胡座に切り替わる。すかさず、ソーマも胡座になった。
「Here will be ocuppied by my white.」
「マイッタナー」
あやしい英語とあやしい日本語で、あやしい日本人とあやしいインド人が、上手い人が見れば頭痛がするだろう、混沌たる盤面を生み出す。
きわめつけにあやしい光景であるが、このところの「図書喫茶」の日常である。
ソーマは先日、サヤのネットでの囲碁対戦を見て、興味を持った。
しかしサヤは毎回毎回「初手天元」という、知らない人から見れば変態のような制限をしている。それは、サヤにとっては、亡き師匠、先代「天文の魔女」孫高明を偲ぶ、よすがのようなものであるので、さすがにリオも取っ払えとはいえない。
なので、ソーマの相手は基本的に、リオがしている。
しかしリオは、アマの段にも達さないという棋力である。
初心者のソーマとやり合えば、惨憺たる状況のできあがりだ。
「……ほら、タイム。集中力上がるぞ?」
サヤは、壊滅的な奇手が飛び交った盤面から目を逸らしながら、ハーブティーを差し出した。コモンタイムに、スペアミント、レモングラスをブレンドした、すっきり系の味わいだ。
スパイス大国インド出身の、しかも「芳香の探求者」であるソーマには負けるが、まぁまぁそれなりのブレンドなら、サヤだってできる。
「イタダキマス」
「あっ、タイムだけど飲める……」
愛想良くカップを受け取った客人はともかく、弟弟子の言い分は聞き捨てならない。
「……それはどういう意味なんだ、リオ?」
ニッコリ、とサヤが威圧的な微笑みを向けると、まるで悪びれもしない朗らかな声で、リオは答えた。
「前のサヤ姉のタイムのブレンドは、小児科の薬よりも不味かったからさ!」
白い歯を輝かせ、無駄に爽やかな笑みをふりまく弟弟子の頭に、サヤはにこやかに微笑みながら、ティーカップを載せていたお盆で一撃をくれた。もちろん、面ではなく、縁の線でだ。
「痛いんだぞ、サヤ姉!」
サヤは弟弟子の抗議は無視した。
「その勝負が終わったら、この席、空けな。お客人が来るから」
「え? 誰?」
リオは目を瞬かせた。
この、自分たちが占領している席は、基本的に「魔女」のための特別席だ。
ということは、わざわざ空けろと明言するのだから、姉弟子の言う「客人」が、魔女であるのは間違いないだろう。あるいは「魔道士」かもしれないが。
少なくとも、マリ門下の関係者において、「魔道士」というのが本格的に出てきたのは、とても最近のことだ。仲間彩が、文系三大魔女の一角「修辞の魔女」を、襲名してからの話である。彼女は魔術師の夫ともども、魔法と魔術の近代科学的複合を模索している。
それはそうとして、サヤの客人が魔女にしろ、魔道士にしろ、名前を聞けば顔が思い出せるかもしれない。リオは、水晶採集業という仕事柄、関係者に知り合いが多い。
サヤはカウンター向こうの厨房に引っ込む前に、テルよ、とだけ言った。
リオの膨大なプロフィール記憶がめくられ、即座にヒットする。
「テル……『灯火の魔女』か」
不思議そうに、ソーマが首を傾げる。
「トーカ?」
明らかに「十日」と言っているような「波長」を感じたので、リオは「Witch of Lantern」と、きわめて簡潔な説明をした。
テルは、蛍石を内包物にした水晶が「適合水晶」という、なかなかの変わり種の魔女である。まぁ「鍛冶の魔女」は、黄鉄鉱を内包する水晶だし、こういう「内包物型」の変わり水晶の魔女も、案外といる。
第一、この店の主であるサヤが、「黄金針入水晶」を適合水晶にしている、代表的な「内包物型変わり水晶」の魔女である。
ついでに、眼前の友人も、ろくに水晶の術を身につけてはいないが、「黄紫二色水晶」が適合水晶だと判明している。むしろ、こっちの方が珍しい変わり種だろう。天然アメトリンの産地は、ブラジルだけである。
「Male-Witch?」
「いや、Female-Witch…… 一応ね。端から見ると男みたいだけど」
鉱物採集業を本業にしている魔女は、何もこの世にリオ一人ではない。だったらリオが水晶集めをする前は、一体誰が一門の「適合水晶」を調達していたのか。
いわゆる「工芸の魔女」集団には、材料を調達する実働隊がいる。テルは、その中でも中堅に位置づけられる、少なくともリオよりはベテランの鉱物採集屋だ。
「……なんだってサヤ姉は、テルさんを?」
自分でも、結構な量の水晶を搬入したと思うのだが。
なお、兄弟弟子ではなく、イトコ弟子なので、姉さんとは呼ばない。
テルの第一師匠は「詩歌の魔女」マリの弟弟子である。名乗りは「工匠の魔女」で、現在も「工芸の魔女の村」に住み、後進の指導に当たっている。村の訪問者たちには、もっぱら「長老」と呼ばれ、近辺に集落を営む、アイヌ系呪術集団・摩霧や、神道系呪術集団・神子柴からも敬意を払われている、今なお現役の腕利きの職人だ。
こっちが上の空になっていたからか、コツを掴んだのか、予想外にソーマが粘った。気づくと大石がアタリになっていて、慌てて石をついだが、シチョウでやられてしまった。
「……途中で逃げるだけ無駄だと気付けよ」
サヤが呆れて見下ろす中、ソーマは初勝利の喜びに手を叩いていた。
「カッタ!」
おのれ今度こそはと息巻きつつ、石を片づけていると、カランカラン、とドアのチャイムが鳴った。危なかった。あと少しで、居座り続けたままになるところだった。
「Olá!」
ガッチリと広い肩幅をした女性が、日焼けした顔に朗らかな笑みを浮かべて、ポルトガル語で挨拶してきた。
「Olá! Bem vindo!(いらっしゃい) テルさん、久しぶり」
「Beleza?(調子はどう?) Tudo bom?(うまくいってる?)」
「Tudo bem. Graças a deus.(おかげさまで、順調)」
サヤはテルのポルトガル語に、なんとかポルトガル語で返事をする。
なお、リオは南米をふらついていたので、この程度の会話なら楽勝だ。隣でぽかんとしているソーマに、せっせと通訳をする。
「リオ、語学得意だネ……」
「ブラジルは、鉱石採集業者には、避けて通れないからね」
世界に冠たる宝石の産地、ミナスジェライス州は、そもそもが「宝石の鉱山」という意味である。鉱山開発から発展したこの州は、州の紋章にも、採掘用のハンマーとランタンがあしらわれている。
ミナスジェライスの、厚さ20~30メートルにもおよぶ「洪水玄武岩」に覆われた大地は、世界でも屈指のアメジストの産地である。他、一門の魔女にはおなじみの紅水晶や、インペリアル・トパーズの産地でもある。
なお、パライバトルマリンが採れるのは、北東部のパライバ州で、かなり離れている。パライバの鉱脈は枯渇しているが、トパーズはリオの良い小遣い稼ぎになった。トパーズはケイ酸塩鉱物なので、リオの水晶探知術と、相性が良いのである。
よっこいせ、とテルは、リオたちが退いた「魔女の席」に座る。
「またずいぶんと、大規模な注文を入れたね。探すのに苦労したよ」
日本語に言語を切り換えて、テルはサヤにそう言った。
「近々、アユミさんが帰国するからね。装備の総入れ替えをするって」
その言葉に、ぴくりとリオの耳は反応した。リオの、いわば叔母弟子にあたる「医療の魔女」アユミは、テルの第一師匠の、さらに妹弟子だ。テルにとっても叔母弟子である。
「ほう! あの人は今、どこを飛んでるんだい?」
「アフガニスタン」
「……アタシが言えたことじゃないが、物騒なところへ行くもんだ」
「まぁ、そこのすっとこどっこい馬鹿弟弟子よりも、さらに危険だとは思う」
クイッとアゴで示され、あんまりじゃないか、と顔をしかめるが、その程度で気にしてくれるような姉弟子ではないことを、リオはよくよく承知している。
「あっはっは。久しぶりだね、リオ。あんたの探知術を借りたいぐらいだったよ、今回のサヤの依頼ときたらね!」
豪快に笑って、テルは出されたお冷を、一息に飲み干した。
「最低2メートルの、紫水晶の晶洞ってんだからね!」
それはひどい。
岩石の空隙に、鉱石の成分や、それが溶けた水分がにじみ出て、びっしりと結晶が成長した「うろ」を形成したものが、晶洞である。ミナスジェライスは、世界でも屈指に巨大なアメジストの晶洞で知られているが、それでも2メートルは破格のサイズだ。3メートルの晶洞が採掘された事例があるとはいえ、過去採れたから現在も採れるというのは、鉱石の世界では通用しない理屈だ。
「さすがに断っても良かったんじゃないかい?」
リオがそう言うと、ハン、とテルは鼻をならした。
「こちとら二十年がた、南米大陸で水晶屋やってンだ。産出事例もあるのに、もう出ないなんてアタシが尻込みしちゃあ、『水晶の魔女』一門の看板が泣くね!」
男前にもほどがあるが、結果オーライにもほどがある話、でもある。
「見つかったから良かったものの……」
「出て来なきゃ、いよいよアンタに召集かけたさ。ダウジング男って、向こうじゃちょっとした伝説になってんだよ」
茶目っ気たっぷりに言われたが、リオは頭を抱えた。
「やばい……」
それはほぼ間違いなく、自分がコロンビアでやらかしたことの情報が流れている。つまり、極上特大エメラルドを、鉱脈の所有権のあやしいところから掘り当てて、うっかり銃撃戦一歩手前までいった、例の件だ。
「ダイジョーブ。次行くのはマダガスカル」
ぽん、とソーマがリオの肩を叩く。
そうだ絶対しばらく南米大陸には行かない。絶対。
「おっと、自己紹介がまだだったね」
テルは、男性と見まがうばかりの立派な体躯を軽やかに翻し、優雅に「ステップ」を踏んだ。
「アタシはテル。『歴史の魔女』マヤの弟子の、『工匠の魔女』タクミの弟子、『灯火の魔女』だ。適合水晶は『蛍石内包水晶』。光を扱うのが得意だよ」
すっ、と手のひらを顔の横にかざすと、目の色が変わった。
リオは見たことがあるが、ソーマはぎょっと目を見開いている。
「昔は『猫の目』って呼んでた術だが、最近じゃ猫じゃなくてジャガーだろ、とか散々に言われてるねぇ」
テルの両目が、青緑色にぴかりと輝く。
「暗闇でも目が見える、アタシのいっとうお得意の術さ」
「スゴイ! それはすごい!」
ぱちぱちと手を叩き、それから我に返って、ソーマはえへんと咳払いした。
「आपसे मिलकर बड़ा खुशी हुई (āpse milkar baṛī khūśī hūī/お会いできてまことに光栄です)」
母語のマラーティー語から、英語に切り換える。
「I'm Soma(सोम), the inquirer of the "Aroma", a disciple of the guru about "Veda"; Vikas(विकास). My "Partner Stone" is "Ametrine".」
(私はソーマ。「芳香」の探求者、「讃歌」の導師ヴィカスの弟子。「適合水晶」は「紫黄色水晶アメトリン」)
その自己紹介が終わると、テルは目を輝かせた。文字通り、緑に光った。
「Ametrine? Raro!(珍しい!)」
ポルトガル語は分からなくとも、珍しいと言われているのは分かる。
何せ、ソーマの適合水晶を判定したリオが、あまりの珍しさに仰天していたのだ。そもそも、アメトリンは最近まで、天然の産出が疑われていたほどだ。
「アメジストとシトリンの使い手は、医療系の能力に適性を示すことが多いンだが、ソーマの『芳香』ってのは、どうなんだい?」
テルの問いに、ばっちりさ、とリオは答えた。
「ソーマの専攻はインド伝統医学だ」
「アユミさんと話が合いそうだねぇ」
うんうん、と頷き合う二人に、ソーマはおそるおそる挙手する。
「Ah, その、アユミさんは、アメジストが『適合水晶』?」
「そうさ。免疫強化が得意だが、回復促進やら、まぁ医療系の術はひととおり」
「水晶の魔女」門下において、学術系のトップは「七大魔女」、芸術系のトップは「九術魔女」とされている。しかし、これらは大がかりな儀式の時に必要とされる「知識」「技術」の継承者でもある、という意味を含んでいる。
この16(?)人にカウントされなくとも、実践的技術という面から、幹部扱いをされている魔女は少なくない。「医療の魔女」アユミも、その一人である。
なにせアユミは、一門の医療部門のトップだ。
「そもそも、医学部に行く『水晶の魔女』が、少ないのよねぇ」
「マリ先生が文系だからか、僕らの系統は、まず理系自体が少ないんだけどね」
サヤのつぶやきに、リオは注釈を加える。
ソーマが首を傾げていたのだ。
医術者の多いグループの出身であるソーマには、医者の少ない魔女の集団というのは、不思議なものに思われたようだ。
リオとサヤの二人の師匠であるマリは「詩歌の魔女」で、かなり文系寄りの魔女である。類が友を呼んだのか、アヤを筆頭に、文学部進学者が多い。サヤは希少な理学部組である。
「やっぱり学術系魔女は、大学進学率が高いンだねえ……アタシら技術系魔女の系譜は、高卒どころか中卒もいるんだが」
テルの言葉に、ん? とリオは首を傾げた。
「……中卒の魔女って、大丈夫だっけ?」
他の結社がどうかは知らないが、少なくとも「水晶の魔女」一門は、最低学歴が高等学校卒業だ。一応、学究系結社として『連盟』に登録している以上、中等教育に触れてもいない者とは、原則として距離を置いている。アンリの事件が起きてからは、なおさらに。
「受信能力過剰で、ちょいっと学校生活がキツイんでね。特例で」
「あー、なるほど……」
アンテナ過敏状態というのは、リオにも覚えがある。
魔女とは「聴く」者だが、つまり「聞こえる」者でもある。
「今は陶芸工房に出入りしてる。筋は良いって話だね。土の中にも水晶質は含まれてるから、よく聞こえるなら、そりゃあ当たり前の話だろうけども」
「そのうちガラス工房に入るのかい?」
「土での造形に慣れれば、そっちにも入れるって、親方衆は言ってるね」
つまり「工芸の魔女」集団の年長者組である。村の代表者は「工匠の魔女」タクミであるが、村の運営の主体は、彼ら親方衆が担っている。
「適性検査は?」
サヤが、ハーブティーを入れたカップを差し出しながら、尋ねる。
テルは軽い調子で、首を左右に振った。
「まだ『適合水晶』も不明確な新入りなのさ。水晶も不明じゃ、検査をしようにも、適切な反応は得られっこないだろ?」
リオの訳を聞いていたソーマも含め、全員が驚きに目を見開く。
「When? When permitted?」
ソーマは、きわめて簡潔に問うた。文法は壊滅的だが。
「今年の五月だね……アー……May, I know.」
「ひょっとして最新の門下生じゃない?」
サヤの質問に、ああ、とテルは頷いた。
「六月以降に、他の誰も弟子を取ってないなら、そうなるねぇ」
「ちなみに、第何世代の弟子になるの?」
サヤの追加の質問に、師匠になったんだねぇ、とテルは感慨深く目を眇める。
世代を追うごとに、やはり継承される内容は複雑化する。
新しい世代の負担を増やしすぎないために、師匠格の一人として……そしてあまり多いとは言えない理系魔女の一人としても……より良い教材の研究は、かなり重要な問題だ。
何せ「水晶の魔女」一門は、現在の基礎が固まったのが、やっと戦前。まだ百年にも満たない、歴史も浅いグループだ。始祖ともいえる「歴史の魔女」マヤから数えて、サヤやリオ、テルたちで三代目である。最も新しくとも、まだ第五世代。総人数は、百に及ばない。十万単位の構成員がいる、曹文宣の結社は別格としても、それでも小規模な組織である。
だがそれでも、ひと桁からよくここまで広がったものだと、もしも「歴史の魔女」マヤが生きていたら、きっと感動することだろう。
しかし、それでも「研究の継承」という技術においては、歴史ある他の結社からは、二歩も三歩も後れを取っている。文系の教材は、エリカとアヤという二人の化け物のおかげで、猛スピードで蓄積が進んでいるが、理系教材は、まだまだ発展途上もいいところである。
もしも新入りが第六世代だというのなら、第五世代用の教材では間に合わないかも知れない、という危機感を、サヤは覚えたわけだが、今回はその心配は不要だった。
「第五世代だね。『歴史の魔女』マヤの弟子である、『工匠の魔女』タクミの弟子。そのまた弟子である『成形の魔女』ソウタの弟子である、『焼成の魔女』ケイジの弟子だ」
タクミ以降の世代はすべて男なので、この一門の「魔女」の定義を知らなければ、多分、意味が分からなくて混乱することだろう。
「ケイジって、たしか耀変の研究してたっけ……」
リオの言葉に、そうね、とサヤが頷く。
「your hand?」
ソーマの聞き取りに、悪気はないのだが、三人とも吹き出してしまう。
「耀変ってのは、焼き上げる時にこういう模様ができる、不思議な化学反応さ」
リオは携帯端末を操作し、国宝の天目茶碗の写真を表示してみせる。
「ワーァオ…… FANTASTIC!!」
黒の地に、筆からたっぷりと含ませた油を滴らせたような、たくさんの斑紋。その弾けるような、泡のような油質の銀色の円を、青みをたたえた燐光が縁取っている。あるいは鋭く輝いて白にさえ見え、あるいは極夜の空におどるオーロラのように、ゆらゆらと青く光る。
「『茶碗の中に宇宙がある』とも形容されるわ」
サヤの説明は、この茶碗の神秘を、まさに言い得ていた。
「日本国内で3点しか現存しない。製造されたと言われる中国ですら、欠片が1つ見つかっただけ……どうやってこんな神秘的な光を宿すのか、もう誰も知らない。幻の焼き物だ」
リオは解説するが、ソーマの目は写真に釘付けだ。どれほど聞こえているやら。
「すべて国宝指定を受けていて、見られるとも限らない。機械で科学的な調査をすることも難しい。そんな難題に挑んでいる男が、僕らの一門にはいるってわけだね」
年齢は近い「焼成の魔女」の姿を思い返しつつ、リオはとりあえず言葉掛けを続ける。ケイジは第四世代、リオは第三世代。弟子入りはケイジの方が早かったが、多分、教材は第四世代の彼の方が洗練されていただろう、と思う。マリ先生を非難するわけではないが、やはり世代差というのは、こと教授という行為においては、如実に出てくるような気がする。
ソーマはふんふん、とリオの言葉を聞き流していたようだが、情報は目一杯に脳で咀嚼していたようだった。たっぷり、まるで余韻に浸るかのように、目を閉じて、そして彼は再度、感嘆の叫びをあげた。
「すばらしい! なにもかも! すべてが!」
そう、すべてが! と、ソーマは気に入ったように繰り返す。
「Beauty... Mistery... History... EVERYTHING IS AMAZING!!!」
きっちり踏まれた脚韻のせいで、無駄に頭の中に反響する。
「Which museum has this bowl?」
きらきらした笑顔で、ソーマは尋ねてくる。
あっ、これはさっきの説明を流したな、とリオは顔を引きつらせた。
「You heard what my said? This bowl is treasure of Japan. This is not permanent exhibit.」
僕の言ってたこと聞いてたかい? この茶碗は日本の宝なんだよ。常設展示じゃない。
「I know that. But I want to know.」
文脈を抑えていなければ、まるで同語反復のようだ。
常設展示じゃないとは知っていても、それでもどこにあるのか知りたいと。
「Seikado Bunko Art Museam, Setagaya, Tokyo.」
さっきソーマが見ていた茶碗を所有しているのは、東京の静嘉堂文庫美術館だ。他に、大阪の藤田美術館と、京都の大徳寺龍光院が所蔵している。ただし、大徳寺の茶碗の方は、基本的に非公開である。もしもソーマが日本滞在中に見られるとしたら、東京の茶碗か、大阪の茶碗かの、どちらかだろう。
万が一、ケイジが耀変の再現に成功したら、工芸の村になるだろうが。
しかし「聴く」能力においては抜群の感度を誇り、出入りした工房の技術を片っ端から吸収して「オバケ様」と呼ばれているエリカも、耀変には手も足も出ていない。アンテナ精度で遙かに劣るケイジが、さて、これで耀変の「声」を聴けたとしたら……それはもう、努力が才能を凌駕する、実に貴重な事例になることだろう。大々的には発表できないが。
一応「工芸の村」は、世を忍ぶ隠れ里という設定なのだ。地味に一般世間にも知名度が上がりつつあるようだが、おおっぴらにはなりたくない。
たとい数多の陶工たちが身を破滅させても追い求めた、魔性とも言われる輝きの再現に成功した……としても、それは結局、村の中での秘密になるだろう。
……案外と、四男あたりから聞きつけて、曹大人が買いたがるかもしれないが。
と、アッ、とテルが声を上げた。
「どうしたの?」
サヤの声を流して、テルはぶんぶんとリオの手を握って振った。
「いいヤツを思い出したくれた、リオ……ケイジからも依頼を受けてたんだ。荷物の到着の確認をしなくっちゃ……」
「陶工が水晶屋に依頼?」
「受けたのは水晶の調達じゃない……水晶じゃないが、アタシに関わる」
首を傾げるリオとソーマに対し、サヤは、ああ、と頷いた。
「蛍石の調達か」
「そのとおり! アタシの『適合水晶』の内包物だ」
なるほど、それなら理解できる。
「ついでにいうと、耀変の本場だった中国では、蛍石はしばしば紫水晶と混同されてたンだよ。中国医学では、蛍石は『紫石英』っていって、鎮静・鎮咳薬なのさ」
サヤは蛍石の化学組成式を思い返し、遠い目をした。フッ化カルシウムである。この化合物の安定性は高いが、フッ素は控えめに形容しても劇物である。
「ま、蛍石はモース硬度4。紫水晶は硬度7だし、結晶系も全然違うから、ド素人ならいざ知らず、アタシらが見間違うなんてことはあり得ないんだけどね……ただ、まれに持ち込まれるんだァね……こいつは珍しい水晶じゃないか、引き取ってくれないか、って」
単に断るのねぇ、と笑って言えるところが、テルを南米の大地にとけ込ませている、大きな美点なのだろう。
「しかし、なんだって蛍石を?」
リオの問いに、もちろん耀変絡みさ、とテルは答える。
「炉に放り込むのさ……焼成中にね……耀変の青は、蛍石で出るンじゃないか、って研究発表があったらしい。詳しい仕組みはアタシにゃ分からんがね」
何せ陶芸は完全に門外だ、と首を振る。
「テルさんは、第一師匠が『工匠の魔女』だけど、第二師匠は『反響の魔女』、第三師匠は『地質の魔女』で、第四師匠の『彫刻の魔女』で、工芸に戻ってきた人なんだよ」
不思議そうにしているソーマに、リオがそう解説する。
「自分で水晶の彫刻を造って売ってもいるんだよ」
その付け足しに、ほれ、とテルは、左手首のブレスレットを外して示す。
「これ……魔法陣?」
「ファンタジー的に言うならそうだね」
テルの返事に対して、ソーマは眉根を寄せる。よく理解できないらしい。
「『魔法陣』っていうのは、日本のファンタジーの造語よ。現実にあるのは、魔術などで使う『魔法円』と、数学の問題としての『魔方陣』ね。後者は、正方形の陣に数字を入れて、縦・横・斜め、全ての方向で、その合計値が一致するというもの」
説明しながら、サヤはすらすらと「3×3」の魔方陣を書き上げた。
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7 5 3
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「これは『サトゥルヌス魔方陣』といわれる、西洋数秘術の陣ね。東洋では『河図洛書』という書物に、これの左右の列を入れ替えた『九数図』というものが記載されているわ」
ソーマは指を動かしながら、縦・横・斜めの和を計算する。
「All fifteen!」
「4×4は、880通りあるけどね。5×5とか、マスが増えれば、考えられるバリエーションは爆発的に増加するわ。数独も、魔方陣の一種よ」
「Sudoku! 時々やります。ああいうのが魔方陣ですか」
世界的に有名な頭脳ゲームを、このインド人もたしなんでいたようだ。
「ええ。でもテルさんのは、数学的な『魔方陣』とは違って、たしかに、いわゆる『魔法陣』に似たものね」
たしかに数字はなく、ソーマが「魔法陣」と思うのも仕方がない。
テルは、少し目を泳がせながら、あはは、と笑った。
「実は、アタシはあんまり理解できてないんだ。アンタたち学術系魔女が使ったら、多分、アタシとは比較にならない効果を発揮するンだろうけど」
理解の深さは、術の効果の高さと、明確な相関関係がある。理解がおぼつかない状態では、どれほど強力な呪術的意匠でも、ろくに効果を発揮できない。
それでいいのだろうか、とソーマの目が言っている。
もちろん、よくないことである。少なくとも師匠格ならば。
テルは「灯火の魔女」の名乗りを許されてはいるが、弟子取りの許可は下りていない。師匠格の認定試験は通過していないし、受ける気もない魔女である。
それも一つのあり方だけれど、と思いつつ、サヤは簡単に解説した。
「この変形八芒星は、水星の護符ね。基本形の出典は、西洋の魔術書だわ。略して『レメゲトン』、正式には『ソロモンの大いなる鍵』と言われる、偽書なりに由緒正しい『魔導書』よ」
へえ、そうだったんだねぇ、と、彫刻したテル自身が言っていうのに、サヤは軽く頭痛を覚える。全く分からずに彫っているのなら、呪術的効用は極めて低いだろう。
と、ソーマが首を傾げた。
「偽書、の図に、意味があるんです? ニセモノですね?」
「『レメゲトン』は、古代イスラエルのソロモン王が執筆した、という由来書きがニセモノなんだけど、中身が全く無意味かというと、別にそうじゃないし。それに、意味があると長い期間信じられてきたら、その信仰の分の効用は積もるのよ」
「ははあ……魔術の世界も奥深いですね」
ふんふん、とソーマは興味深そうに何度も頷く。
「アーユルヴェーダの歴史は、この比じゃなく長い気がするんだけど……」
ごにょごにょ呟くサヤに、ソーマはさらりと答えた。
「だからといって、西洋魔術の歴史、軽く見ると悪いことです」
「……多文化共存の極意を聞いた気がするわ」
有り様がイケメンだ、と、サヤは小声で付け足した。
「サヤ、私に教えてくれます? 数学の魔方陣。興味あります。インドは数学が盛んです。私も数学、けっこう好きです」
囲碁の指導は逃げたが、これは逃げられそうにない。
まず、理系魔女の師匠格が、この近辺には自分しかいない。
「……わかったわ」
頷いたサヤに、ソーマは白い歯をまぶしく輝かせ、満面の笑みを見せた。
いい加減、本格的なファンタジーに入れよ、というツッコミを自分で入れています。そして、いったいいつになったら、リオとソーマはマダガスカルに出発するのか。
耀変天目は「曜変」と表記するのが普通なようですが、光っている感じを出したくて、あえてこっちの漢字を使いました。曜も星っていう意味なんですが。
「魔方陣」は、理系魔女の基礎教養。実戦で使えるかというと、深い理解があっても、軽い防御程度の機能しか果たしません。あくまで計算ドリルの例題的な位置づけ。
『レメゲトン』の護符は、多分ここの顔ぶれは、誰一人本気に使う気がない。テルも「なんか神秘的パワーありそう」「悪い効果はないって理系魔女の先生が言ってたし」という、ものすごく軽いノリで彫刻しています。
アヤ先生と弟子たちの話は、今度もまた中編になります。完結してから載せます。現在第4話執筆中。たぶん、第5話で完結できると……できると……思います。たぶん。きっと。
劉老師の短編も書きたい……