自由と妬み
俺は大地を蹴り、紬に接近する。
しかし、紬は自身のまわりに刃を形成する。
刃は上昇し降り注ぐ。
「くッ!」
俺は一旦退く。
近づく事を許してくれない。
当然だ。
奴もこちらの攻撃力を理解している。
「何でだよ!?」
「……?」
俺は紬に問いかける。
「何で那央の気持ちを弄んだ!?」
それまで何事かと思っていた紬だが、俺の本題を聞いて嘲笑うかのように答える。
「だってその方が確実でしょ?
脱出したのは1人じゃない。
だったら共に行動している可能性が高いわ。
なら1人ずつ消した方が効率が良い。
1人で大人数に挑もうなんて、よほどの自信家かバカよ」
確かに紬のその言葉は間違っていない。
多人数を相手するなら当然の選択だ。
しかし…
「つまり…誰でも良かったのか?」
「えぇ、もちろん、たまたま良い感じの餌が引っかかったわ」
俺は拳に力を込める。
紬の言葉は続く。
「面白かったわ〜、今時いないわよ?あんなナンパ野郎、思い出すだけで笑っちゃう」
「テメェ!」
流石に我慢の限界だった。
俺は一気に距離を詰める。
だが
「あなたは私に近づけない」
再び紬の刃が降り注いでくる。
払えるものは払い、何とか避ける。
(近寄れねぇ…!)
リーチと数が違いすぎる。
しかも当たると厄介ときた。
完全に弄ばれていた。
「あなた…ひょっとして…」
「……?」
そこで紬は何かを察し、ニヤリと笑った。
「見ない顔だと思ったら…そう、貴方が例のイレギュラー」
「だったら何だってんだよ…?」
紬が見下すかのように続けた。
「あなたもバカね。こんな事に首を突っ込まなければ、幸せだったものを」
紬は俺をバカにしたつもりだったのだろう。
しかし
「……フッ」
「…何がおかしい?」
俺は思わず笑ってしまった。
当然だ。
「首を突っ込んだからこそ、俺は今幸せなんだ」
「あなた…ひょっとしてバカなのかしら?」
紬は俺の言葉に呆れていた。
そんなもの想定済みだ。
「自分にできる事がやっと見つかった。あの『笑顔』を守れるなら…!」
その時だった。
『笑顔』という単語を聞いた瞬間、紬の表情が一気に暗くなる。
「脱出した連中は…幸せに暮らしてるのね…」
紬のその声色に俺は狂気のようなものを感じた。
「人の人生を踏み台にして得た幸せが…そんなに楽しいかしら…」
今にも誰かを殺しそうな目をしていた。
そして紬の言葉に疑問が生まれる。
「どういう意味だよ…?」
それは恐怖なのか、怒りなのか、紬が震えながら答える。
「あいつらが脱走してからというもの、私たちの生活はより一層地獄と化したわ…」
「………」
研究所の生活を知らない俺は黙って聞くしかなかった。
「絶対服従……もう逃げようなんて思わせないため、私たちは恐怖を埋め込まれた…
ほぼ毎日おもちゃのように弄ばれていた…
隣の部屋から笑いと鳴き声が聞こえた時、次は自分なんじゃないかって恐怖…」
「…………」
「すっかり汚されてしまったわ…
能力最下位の者はお仕置きとして…トップの者は褒美として…そしてトップから落ちた者もお仕置きとして…
そこに入らないように必死だった…でも最終的にはそんなの関係なかった…
結局次々とおもちゃにされていったわ…子を授かった人間もいたわね…」
「なッ!?」
「そして私もおもちゃにされた1人…ただ」
(ただ…?)
「そんな地獄を見なかった者がいる…Sランクと…脱走者」
「………」
「Sランクの者は危険すぎる故に眠らされているわ…」
その言葉のあとは沈黙だった。
俺は黙っている事しか出来なかった。
ただただ研究者への怒りがこみ上げた。
その時、紬がそっと口を開く。
「あいつらが…脱出なんてしなければ…!
自由を求めなければ…!
私たちは…まだただのモルモットでいられた…でも今は…モルモットの上に欲を満たすためのおもちゃだ!」
「…………」
「許さない…人を蹴落として幸せを掴んだあいつらを私は許さない!
だから殺してやる!」
紬の言い分はよくわかった。
しかし
「それは違うだろ…」
ふとそんな事が口から出ていた。
「貴様に何がわかる!?」
紬がすっかり正気を失っていた。
「そもそも恨む相手を間違えてんだよ…
確かに…俺にはわかんねーよ…
でもな…あんただって自由を求めたんじゃないのかよ…!?」
「ッ!」
「あいつらが脱走して、その後研究所内がどうなったかなんてものは結果論にすぎねーよ…
その生活が嫌だった人間は、全員自由を求めたはずだ!」
「黙れ……」
俺の言葉に紬は小さく呟いたが、俺は止めない。
「脱走なんてしようものなら殺されるかもしれない。
だがあいつらは、そのリスクより自由を手に入れる可能性にかけたんだ!」
「黙れ!」
「恐れながらも前に進んだあいつらを、ただ失敗を恐れて諦める事を選んだお前が恨む資格なんてねぇんだよ!」
「うるさい!」
その叫びと共に紬の周りに刃が現れる。
今度は上昇しない。
容赦なく真っ直ぐこちらへと向かってくる。
俺は必死に刃を弾く。
俺に当たる事なく通過していく刃が、次々とケネディさんのケバブ屋、もとい車に刺さる。
ケバブ肉は終盤の黒ヒゲ危機一髪のような状態になっていた。
そして遂にケバブ屋は爆発した。
(ごめん!ケネディさん!)
ケネディさんが知ったら嘆くであろう。
だが、結界が消えれば元通り。
「くそッ!」
それどころではない。
何とか弾いてはいるが、止まる気配がない。
「貴様も死ね!」
さらに刃がスピードを増した。
(追いつかない!)
そう思った時にはもう遅かった。
次々と光の刃が身体に突き刺さる。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
遂に地面に膝がついてしまう。
一体何本刺さったのかすらわからない。
「偽善者に何がわかる…」
そう言いながら紬は近づいてくる。
そして手にした刃を俺の肩に突き刺した。
「うッ……くッ………!」
身体中に痛みが走る。
(ここまで…なのか…!?)
意識が遠のいていくのがわかった。
「弱いくせにでしゃばるからだ…」
そして再び紬は刃を手に形成する。
「これで終わりだ…偽善者」
刃を頭へ向けて振り下ろす。
「ッ!」
しかし、その腕を篭手を纏う腕が掴んでいた。
そこで紬は違和感に気づく。
そもそも刃は大量にその男を突き刺している。
(なのに…何故まだ篭手が消えていない!?)
一本刺しただけで那央はまともに飛ぶ事ができなかった。
だがこの男は、10本近く刺さっているにも関わらず、篭手は消えておらず、握力も落ちていないのかと思わせるほどだ。
「くッ!」
紬は恐怖を覚え、無理矢理腕を引き抜く。
そして男は立ち上がった。
顔は俯いていて、表情が見えない。
さっきとまるで雰囲気が違う。
「な、何なんだお前は!?」
「…………………………」
紬の問いに一切返事がない。
「くッ!化物!」
紬は刃を周りに形成し、一気に放つ。
その時だった。
その篭手は形状を変えたのである。
先程まで上腕の半分までしかなかった篭手が、肘まで形成されている。
そして甲の宝石のような部分から紅色の光が発生した。
しかし、その光は光であっても、液体のようにすら見えた。
腕を振り、液体のようになめらかに動く光が次々と刃を弾く。
「何…あれ!?」
そして男は近づいてくる。
紬は恐怖で動けない。
そして男は腕を引き
「あなた…一体…」
その腕を突き出した。
最後まで男の表情は見えなかった。
紬が何メートルも先へと吹き飛ばされる。
そして紬は気を失った。
「あれ…」
気がついた時、俺は立っていた。
そして何故か、目の前に紬が倒れている。
状況が理解できない。
ただ身体中が痛い。
再び意識が遠のいていく。
完全に意識を失う直前、背後から聞きなれた声がいくつも聞こえた気がした。