森
突然聞こえた声で体が固まった。不意を突かれたことで驚いたが、それよりも驚くべきはその言葉を発したのは自分の様に思えたことだ。
聞こえたものは自分の声ではなかったことは確かだが、まるで自分が話しているかのように内側から聞こえてきたのだ。
(さっきのはなんだ?)
硬直がとけると周りを見回すが、やはり人影はなかった。
【驚かせて悪いね。ちょっとは落ち着いたかな?君、飢えて渇いて変になってたから、いくら呼んでも返事してくれなくて焦ったよ】
気安い声が聞こえた。やはりこの声は体の内側から、もっと言えば頭蓋の中から聞こえている。
「君は一体何なんだ?」
きっと声は震えていただろうがそう問いかけることができた。
【ボクかい?ボクは君の一部さ。あぁそれとボクに言いたいことがあるならわざわざ声に出さないで、念じてくれれば良いよ。その方が早いしわかりやすい】
返答は要領を得なかった。それに念じるとは彼(性別は明かされておらず、声が高いがボクというからには男だと思えた)がこうして頭の中へ響かせることを言うのだろうが、やり方なぞわからない。この声は幻聴であれば、もっと言えばこの姿も、周りの風景も夢か何かであればとは思わずにはいられなかった。しかし、途方も無い実感を伴ってこれは現実なのだと主張してくる。
唐突に彼は天啓を得たかのように、あぁと声を響かせた。
【キミになんと云えば良いか分かった気がする。うん】
一息置いてこう続けた。
【ボクはキミの良き友人さ】
呆気にとられた。どうやら冗談めかしで言っている訳ではないことがその響きから感じられた。むしろ自信を持ってそう言っている気がする。
「君みたいなヤツとは初めて会ったと思うんだけど?」
きっと声には棘を含んでいたのに彼はどうやら笑っているらしかった。しかし何とも奇妙な笑い様だった。いや正しくはその様に感じた自分の方だろうか。声も息使い伝わってこないのに、彼が笑っていると感じられた。これが彼の言う念じて伝えるということなのだろうか。
「何がそんなに可笑しいのさ?」
いい加減、彼の笑っているのが煩わしくなってそう尋ねた。彼はすまない、すまないと悪びれなく謝った後、こう続けた。
【いや、君がボクが何なのか、とか初めてって言うから可笑しくて。君はそういうけれど、君の方はどうなんだい?】
「どういう意味?」
【君は何だい?】
さっきの仕返しか、尋ねたことそのまま言われた。
「僕は御影洋介だ」
【それは君の名前だろう。ボクが聞いているのは君が何者かと言うことさ】
何者かを示すのが名前だ。名前ではなくて何を聞いているのか。
【うーん、イマイチ分かってくれてないみたいだね。じゃあ質問を変えようか。君は初めてって言ったけれど本当に初めてなのかな?】
彼の言われて記憶を探るがやはり彼とは初対面、と言うのだろうか。だいたい彼の声は伝わってくるが彼の姿をみてはいない。
「やっぱり君とは初対面だ」
そう答えるとどうしたことか、彼は唸った。
【初対面って…君とは対面なんてしてないしそもそも出来ないじゃないか】
そうぶつくさ呟いた。その言葉の意味は理解出来かねた。
【まぁいいや。じゃあ何が初めてじゃないのかな?】
彼は一呼吸を置いて尋ねた。
【水を飲んだのは?】
何を聞いてくるんだ。もちろん前にも飲んだ。飲んだはずだがどこでどうしたのかは思い出せなかった。
「初めてじゃない。でも前はいつか忘れた」
【この滝を見たのは?】
視線を滝へと向ける。見たかもしれないが記憶にはなかった。
「多分初めて」
【森を歩いたのはどうかな?】
歩かなきゃどうやってここまで来たんだ、と言葉が反射的に出ようとして、そんな記憶がないことに気づいた。
【あの洞を這ったのは二度目は?】
違う。
【あの洞にはどうやって入って来たんだい?】
わからない。
【目覚める以前の記憶はあるかい?】
「ない」