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作者: 桃太郎

ピーッという鋭い音がし、ドアが閉まる。 今のバス停で乗ってきた人々は少なく、数えても五、六人で、皆其々が傘を手にしていたり、ほぼ空になった飲料水を握っている。

「嗚呼、今日も酷い雨だ」

隣に座った少年が呟いた。見たところ同じくらいの其の少年は、その言葉を二回ほど繰り返した。

「酷い雨」だって?何を馬鹿なことを言っている。そう思ったのは、僕だけではない筈だ。周りの人達だって思っているだろう。いや、思っている。断言出来る。

何故なら、今はアスファルトが溶けてしまいそうな程暑い、晴天だからだ。

「……今日は晴れですよ」

小さく呟くと、少年は少し、不貞腐れたように「知っているさ」と言った。

「じゃあ、何故『酷い雨』なんて言うんです」

「言っても、君には解らないだろうね」

「聞かないと、解るか解らないかは判断できないでしょうけど」

視線を窓の外に向け、過ぎ行く青い田を眺める。少年は未だ口を開かず、じっとしている。馬鹿げた説明なんて、適当にあしらって終わらせてしまえばいいのに。そうすれば、僕に要らぬ説明なんてせず済むのに。

なかなか答えない少年に痺れを切らし、少年に顔を向けた。すると少年は、「嗚呼、やっと此方を向いたね」と笑った。

「先の質問に答えようか」

少年の口元が歪む。桜色の唇が緩く弧を描き、微笑みへ変わった。

「君が気になったのは、『酷い雨』だったね?」

「そうですけど」

「あれは、そう……一種の比喩表現さ。見たところ君は、中学生か、高校生だ。なら、国語の授業で習っただろう?」

雨が比喩表現。其れは理解出来た。

「じゃあ、」

「何を『雨』に例えたか?」

少年に思ったことを言い当てられ、少しだけ、鳥肌が立つ。

「君は、躰で感じた筈だ。突き刺すように鋭く、何もかも焼き尽くすような熱さを」

「……太陽、というか、日光のことですか?」

問うと、少年は益々口角を上げた。どうやら、思っていることは間違いではないらしい。雨は日光のこと。なんだ、これ位なら理解できるじゃあないか。そう思っていると、少年が「嬉しそうだね」と呟いた。

「……は?」

「難しい参考書の、一番難しい問題が解けたときみたいな顔しているから」

言われ、思わず口元を右手で覆う。少年は其れすら楽しそうに眺めている。恥ずかしくて堪らなかった。

「でもね、君は未だ理解しきっていないよ」

少年の口元からすっと笑みが消えた。

「『雨』っていうのはね、植物たちにとって、大切なものだ。考えてご覧。その命とも云える雨が、焼き尽くすように熱い熱い日光だったら」

少年の顔に影が落ちる。植物に必要な雨。それが、日光だったら………。

「……死んでしまうじゃあないか」

半ば吐き捨てるように呟いた言葉も、少年は聞き逃さなかった。

「そうだね。死んでしまう。枯れてしまうんだ。驚いた。『酷い雨』の意味が、理解出来たね」

美しい顔に影を落としたまま、少年もまた、吐き捨てるように呟いた。黒い髪が射し込んだ『雨』に照らされ、濡れたように艶やかだ。そういえばこの少年、言動だけではなく、身形も少しばかりおかしい。こんなにまでも暑いのに、長袖のシャツを着て、かっちりとネクタイまで締めている。言動に気を取られていが、この少年は全ておかしいのだ。

「あの、」

「君は何処で降りるんだい?」

「え?」

言いかけた言葉を遮られ、少しムッとする。

「君が降りる所だよ。柏木町かな?それとも、門戸かな」

二つ、三つ先のバス停の名が出された。そんな都会に住んでいるわけないじゃあないか。

「生口橋です」

生口橋は、静かで、緑が多い。一応町ではあるものの、其の殆どが山と田畑だ。柏木や門戸のような、都会ではない。

少年は僕の言葉に「そう」としか言わなかった。もっと食いついてくるのかと思っていたが、もう興味を失ってしまったようだ。それなら、僕だって聞いてやる。

「貴方は何処で降りるんですか?」

「えっ?」

僕の問いに驚いたような顔をする。「だから、貴方は何処で降りるんですか」

「今、僕に聞いたじゃあないですか。何処で降りるのかって」

「ああ、それね」

少年はふふ、と笑って、

「僕は鹿島山」

と言った。

鹿島山は、其の名のとおり鹿が多い山だ。此処もかなりの田舎で、生口橋より山と田畑が広く、住居は点々としているそうだ。

「でもね、僕は鹿島山に帰ったって、意味が無いんだ」

「どういうことです、」

「僕ね、病気なんだよ」

少年の黒い瞳から、光がすうっと失われていった。


「僕ね、鹿島山の家から、赤石の病院に通っているんだ」

「赤石の?」

僕は、違和感を感じた。

「ちょっと待ってください。鹿島山から赤石って、とても遠いんじゃあありませんか」

少し少年の方に体を乗り出す。少年は俯いて、小さく「そうだよ」と応えた。

「少なくとも、生口橋から鹿島山へ行く倍は掛かる」

「どうしてそんな遠い所へ」

「言ったじゃあないか、病院へ行くんだよ。僕は病気なんだ。頭の病気さ」

頭の病気。保健の授業でしか習ったことがないから詳しいことは解らないが、腫瘍とか、癌なのだろうか。

「鹿島山には町医者しかいないし、近辺の町も同じようなものだろう?赤石なら大きな病院が在るから、通っているんだ」

「そう、ですか」

「君とこうして話して居られるのも、今日迄かもしれないね」

「はい?」

「明日あたり、入院するようだから」

聞いて、どこか寂しく感じる自分が居る。はじめは馬鹿なことを言う人だ、と考えていたけれど、この少年の少し曲がった考え方が好きになっている。

「赤石の病院はとても綺麗な所だ。家より安心できる」

少年の横顔が虚ろなものになっていくように錯覚し始める。いや、実際になっているのかもしれない。僕は見ていられなくなり、乗り出したままだった躰を座席に戻し、窓の外へ視線を移した。

「鹿島山は酷い所だ」

少年の呟きが聞こえる。

「君、名前は」

そういえば、未だ言っていなかった。

「田宮一」

「ハジメ。いい名前だね」

いい名前と言われ、少し恥ずかしくなる。

「君は?」

少年に返すと、少年は

「川谷優」

カワタニユウ。不思議な響きを持つ名だな、と思う。少年の中性的な外見にぴったりだ。

「一、そろそろ生口橋に着く」

優が言う。

「知ってますよ」

「今日、一に会えてよかったよ。雨の話も解ってくれた。病気の話だって、妙な詮索はしなかった。終始丁寧な口振りは崩さなかったけれどね。僕はそんな君が大好きだ」

寂しそうに呟く優に、何か言葉を掛けてやろうと思いはしたものの、なんと言えば良いのかわ解らない。もどかしさに溢れ、苛ついてくる。可哀想だとか、大丈夫だとか、こんな在り来たりな同情なんて、優は嫌うだろう。

とうとう、悩んでいるうちに、生口橋に着いてしまった。

「ほら、一。生口橋だ。君の帰る町だ」

「……そうですね」

未だ言葉が見つからない。何を言えばいいのか。何が正しいのか。真っ赤な夕陽が頰に当たる。硝子越しでも熱い。

「一、降りないと行ってしまうよ。君の帰る町が、行ってしまう」

「優、」

「一、早く」

頭の中が真っ白になる。バスの中で優と交わした言葉が、小さく小さく細切れになって繰り返されては、掻き消される。何か、何か言うことは。雨。日光。植物。病院。川谷優。

ぐるぐると渦巻く頭で必死に紡がれ吐き出されたのは、「また明日」だった。

「え?」

優はぽかんとした顔で、立ち上がった僕を見た。

「また明日、きっと乗り合わせるだろうから、また話しましょう。雨の話はとても面白かった。僕も、優に出会えて嬉しい。初対面だと云うのに不思議な話をして、僕を引き込んだ。はじめは興味なんて無かったのに、不思議と君の話に呑まれていった。少し嫌味っぽく言ってみたり、考えていることを見抜いてしまう優優が僕も好きだ」

勢いよく飛び出した言葉は途切れることなく続いた。言わなくてもいいようまことを言っているように感じたが、止められなかった。

「だから、また……また明日も。明後日も会いましょう。これは約束です」

言い切ったときには、肩で息をするくらいだった。必死な僕を見ていた優は、くすくすと肩を揺らしながら笑っている。

「そうだね、約束しよう。また明日も会おう。もっと面白い話を聞かせてあげる」

そうして、僕は漸く車掌n「お客さん、降りないんですか?」という言葉で我に返った。

「降ります!すみません、お待たせしてしまって」

頭を下げながら昇降口へと向かう。後ろから、「さよなら、一!」と言われた。

「『雨』に気をつけて!」

ドアが閉まり、優の声が途切れた。

赤い色の雨が降り注ぐ中、僕は赤石に向かう其のバスをジッと見つめた。明日、きっと優は居ない。それは彼も解っていることだ。それでも、何故僕はあんな事を言ったのか。全く解らない。

「お客さん、乗るんですか」

いつの間にかバスが停まっていた。僕は、暫く考えた後、

「乗りません」

と断った。

雨はもう直ぐ、止みそうだった。





もう少し考えて書けばよかったなあと後悔してたり…(・_・;

一応出会いと別れがテーマでした。

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