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わたくし、おうじさまとは、こんやくしません! ~五歳の公爵令嬢のいじわる作戦は、なぜか全部失敗する~

掲載日:2026/10/31

 お嬢様が悪事を企むきっかけとなったのは、春の日差しが届き始めた火曜日の出来事である。


「エマ。わたくし、おうじさまとは、こんやくしません!」


 ハッツフェルト公爵家のカロリーネ様は、五歳。


 金色の巻き毛に、すみれ色の瞳。苺とうさぎと絵本がお好きな、愛らしいお嬢様である。

 そんなお嬢様が、第一王子殿下との婚約を、断固として拒否しておられる。


 お嬢様のお嫌いなものは、にんじんと雷。そして、もう一つ増えた。


 第一王子マクシミリアン殿下。六歳。

 黒髪に青い瞳で、国王陛下に生き写しのお顔立ちだ。けれど、きかん気の強そうなところは――不敬を承知で言えば――私の弟の幼い頃を思い出させる。


 事の起こりは、火曜日に開かれた王宮の園遊会だった。


 公爵閣下はその席で、お嬢様を殿下に引き合わせた。以前から、いずれお二人を婚約させてはどうかという話が出ていたらしい。

 とはいえ、お嬢様は五歳、王子殿下も六歳である。大人たちも、すぐに話を進めるつもりはなかったようだ。


 問題は、お二人の初対面にあった。


 殿下はお嬢様を見るなり、こうおっしゃった。


「おまえ、ひよこみたいだな」


 その日、お嬢様は黄色いドレスをお召しだった。袖と裾にたっぷりとレースがついていて、お嬢様がくるりと回ると、ふわっと広がる。

 お気に入りのドレスだった。


 お嬢様が何も言えずにいると、殿下はさらに手を伸ばし、頭の大きなリボンを引っぱった。

 結び目がほどけ、リボンが地面に落ちた。


「あっ」


 お嬢様が声を上げたときには、もう遅かった。

 殿下は急に顔を赤くして、そのまま走っていってしまわれた。


 リボンは土が付き、汚れてしまった。


 お嬢様は泣かなかった。

 ただ、落ちたリボンを拾って、ぎゅっと握りしめておられた。


「エマ……」


 なんとお答えすればよいのか分からなかった。


 私はエマ。アルベルティン子爵家の三女で、十七歳。

 外見は、ありふれた茶色の髪と瞳。残念ながら、中身も平凡で、こういうときに気の利いた言葉の一つも出てこない。


 半年前からお嬢様にお仕えしている。

 お嬢様が、あんなにも悲しそうなお顔をなさるのを見たのは、初めてだった。


 そして、屋敷に戻るなり、お嬢様は宣言された。


「おうじさまは、いじわるです。いじわるなひととは、こんやくしません」


 公爵閣下は笑って、お嬢様の頭を撫でられた。


「はっはっは。そうか。まあ、考えておこう。そのうちな」


「そのうちって、いつですか」


「うん? まあ、大きくなったらな」


「わたくし、おおきくなっても、いやです」


「そうかそうか」


 閣下は笑ったまま、書斎へ行ってしまわれた。


 お嬢様はその背中を、たいへん不満そうに見送っておられた。


 ☆


 翌日の午後、お嬢様がルナのしっぽを触った。

 ルナとは、お屋敷にいる白猫である。

 お嬢様は、ほんのちょっと、つまんだだけ。それでも猫は驚いて逃げてしまった。


「まあ、お嬢様!」


 ばあやのゲルダさんが、すかさず注意する。


「ルナがかわいそうでしょう。いじわるをする子は、お妃さまにはなれませんよ」


 お嬢様は、逃げていく猫を見送った。


「……いじわるをすると、おきさきさまに、なれないの?」


「ええ、なれませんとも」


「ほんとう?」


「もちろんでございます」


 お嬢様はしばらく黙っていた。

 それから、急に笑顔になった。


 嫌な予感がする。


 その夜のことである。

 寝間着に着替えたお嬢様は、寝台の上に座って私を呼んだ。


「エマ。わたくし、わかったの」


「何がでございましょう」


「いじわるをすれば、こんやくしなくていいのよ」


「……はい?」


「おうじさまに、いじわるをするの。そうしたら、おうじさまも、わたくしのこと、いやになるでしょう?」


「はあ」


「そうしたら、こんやくのおはなしは、なしになるわ」


 お嬢様は得意そうに頷いた。

 なるほど。そういう考えに至ったわけですか。


「でもね、エマ」


 お嬢様は急に声をひそめた。


「わたくし、いじわるのしかた、よくわからないの」


「さようでございますか」


「だから、エマがして」


「はい?」


「エマは、おとなでしょう?」


「一応、十七歳でございます」


「おとなは、いじわるがじょうずだって、ばあやがいってたわ」


 ゲルダさん。お嬢様に何を教えているんですか?


「わたくしがかんがえるから、エマがするの。これは、めいれいです」


 お嬢様は小さな人差し指を私に向けた。

 私は困った。

 主家のお嬢様の命令を、侍女がむやみに断るわけにはいかない。


 しかし、相手は第一王子殿下である。おかしなことをすれば、当然ながら私が罰せられる。

 お嬢様は五歳なので、そのあたりの事情をご存じない。


「エマ。おへんじは?」


「……かしこまりました、お嬢様」


 私は頭を下げた。


 ひとまず、お嬢様がどんないじわるを思いつくのか聞いてみよう。

 話はそれからだ。


 ☆


 翌週の水曜日、殿下が公爵家へ遊びにいらっしゃることになった。


 園遊会での一件もあったので、もう一度お二人を会わせてみようと、大人たちが相談したらしい。

 お嬢様は朝から張り切っていた。


 子ども部屋の小さな机に紙を広げ、私を椅子に座らせた。

 机の向こうには、うさぎのぬいぐるみのミミも座っている。


「さいしょのいじわるは、これよ」


 お嬢様はクレヨンで描いた絵を見せてくださった。

 茶色い丸の上に、大きなばってんが描いてある。


「これは?」


「おかしよ」


「お菓子でございますか」


「おうじさまのおやつに、にがいものをいれるの」


「苦いもの」


「そう。うんと、にがいの」


 お嬢様は顔をしかめた。


「おうじさまは、ひとくちたべて、うえってなるわ。そうしたら、わたくしのことを、いじわるなこだとおもうでしょう?」


「なるほど」


「いいかんがえでしょう?」


「よくお考えになりましたね」


 お嬢様は嬉しそうにミミを持ち上げ、こくこくと頷かせた。


 私は厨房へ向かった。

 料理長のハインツさんは、体の大きな、気のいい人だ。お嬢様がお生まれになる前から公爵家に仕えている。


「苦いおやつ、ですか」


「はい。できるだけ苦いものを、と」


「お嬢様が召し上がるんですか?」


「いえ、殿下にお出しするもので」


「殿下に?」


 ハインツさんは眉を寄せた。


 私は事情を説明した。

 ハインツさんは腕を組み、しばらく考え込んでから言った。


「それなら、ショコラのタルトにしましょう」


「ショコラですか」


「南の国から入ってきた、上等なカカオがあるんですよ」


「それでしたら、安心ですね」


 お嬢様のご注文は、苦いお菓子である。

 それなら、ショコラのタルトでも問題はないはずだ。


 ☆


 水曜日の午後、殿下がいらっしゃった。

 紺色の上着に半ズボン。黒い髪は、後ろの一房だけがぴんと跳ねている。


 それを櫛で直そうとなさっているのが、お付きの侍従ルーカス様だ。

 キンスキー伯爵家のご次男で、二十歳。

 殿下と同じ黒髪だが、こちらはさらさらとしてくせがない。くせ毛の扱いには慣れていらっしゃらないのか、黒の瞳が気づかわしげに揺れていた。


「殿下、少々お待ちください」


「いいってば!」


「せめて後ろだけでも」


「もういい!」


 殿下はルーカス様から逃げるようにして、お嬢様の前に立った。


「……来てやったぞ」


 お嬢様は顔を背けた。


「……いらっしゃいませ」


 殿下も顔を背けた。


「ふん」


「ふん」


 お二人はそれきり黙ってしまわれた。


 ルーカス様と私は顔を見合わせた。

 先が思いやられる。


 やがて、お茶の時間になった。


 お嬢様には、いつもの苺のタルト。

 殿下には、ショコラのタルトをお出しした。


 お嬢様は殿下のお皿をじっと見つめておられる。


 殿下はフォークを取り、タルトをひと口食べた。

 もぐもぐと噛んで、動きを止めた。


「……にがい」


 お嬢様が、ぱっと顔を上げた。


「これ、にがいぞ」


 殿下はもうひと口食べた。


「父上に、もらったおかしと同じ味がする」


「さようでございますか」


「うん」


 殿下はお皿を眺めた。


「……おとなのおかしだ」


 そうおっしゃると、急に嬉しそうになった。

 殿下は三口目を食べた。

 それから、タルトをすっかり平らげてしまわれた。


「おかわり」


「えっ」


 思わず声を上げたのは、お嬢様だった。


「おまえの家、こんなおかしがあるんだな」


 殿下は満足そうに頷く。


「なかなかいいぞ」


「……そう?」


「うん。また食べたい」


「殿下、夕食が入らなくなりますよ」


 ルーカス様がお止めしたが、殿下はもう二切れ目を待っておられた。


 お嬢様は納得がいかないご様子だった。


「食べるか?」


 殿下がそうおっしゃるので、お嬢様にもショコラのタルトをお出しした。

 お嬢様は、ほんのひとかけ、口に入れる。


「…………」


 お嬢様の眉間にしわが寄った。


「にがい……」


「だろ?」


 殿下が胸を張った。


「おまえには、まだ早いんだ」


「はやくないもん」


「早い」


「はやくないもん!」


「じゃあ、もっと食べてみろよ」


 お嬢様は、ご自分の苺のタルトを引き寄せた。


「……わたくしは、こっちがいいの」


 殿下は勝ち誇ったお顔で、二切れ目のショコラのタルトを召し上がり始めた。


 結局その日、殿下はショコラのタルトを三切れも平らげられた。

 どうやらお口に合ったらしい。ハインツさんに伝えたら、きっと喜ぶだろう。


「ルーカスにも食べさせたいんだ」


 お帰りの際に殿下がそうおっしゃったので、残りのタルトを包んでルーカス様にお渡しした。

 ルーカス様はひどく恐縮していた。


 殿下がお帰りになったあと、お嬢様はミミを腕に抱いたまま、長椅子に突っ伏しておられた。


「ミミ、しっぱいしたわ」


 ミミの耳を撫でながら、お嬢様は小さくため息をつかれた。


「おうじさま、よろこんじゃった」


「ニャー」


 部屋にルナが入ってきた。どうやら彼女も呆れているらしい。


 ☆


「つぎのいじわるは、おてがみよ」


 殿下がお帰りになった翌朝、お嬢様がそうおっしゃった。


「おてがみで、わるぐちをいうの」


「お手紙でございますか」


「そうよ」


 机に便箋とインクを用意すると、お嬢様は椅子に座り、真剣な顔で考え始めた。


「えっとね。……おうじさまの、ばか」


 私は、黙って見守った。


「それから、おうじさまの、いじわる。それから……」


 お嬢様は腕を組んだ。

 うーん、と唸る。


「……おうじさまの、かみのけ、ぴょんってしてる」


「それは悪口でございますか?」


「わるぐちよ。ぴょんってしてるもの」


「ほかにはございますか?」


「おうじさまは、ショコラをたべすぎ」


「……はい」


「みっつもたべたのよ。ばんごはんがたべられなくなるわ」


 お嬢様は大まじめだった。


「よし。これで、おわり」


 そうおっしゃってから、ふと首をかしげた。


「あ、まって。おてがみには、さいしょと、さいごがあるの」


「最初と最後でございますか」


「そうよ。さいしょは、おげんきですか、ってかくの」


 以前、お嬢様は領地にお住まいのおばあさまに、お誕生日のお礼状を書いたことがある。

 そのとき、ばあやのゲルダさんから手紙の書き方を教わったのだ。


「それから、さいごは、またあそびにきてね、よ」


「お嬢様。今回は悪口のお手紙でございますよね?」


「そうよ」


「でしたら、最後のご挨拶は、少々……」


「だめよ、エマ。おてがみは、そうやってかくの。ばあやがいってたもの」


 お嬢様は譲らなかった。


 マクシミリアンでんかへ


 おげんきですか。


 おうじさまの ばか。

 おうじさまの いじわる。

 おうじさまの かみのけ ぴょんってしてる。

 おうじさまは ショコラを たべすぎ。


 またあそびにきてね。


 カロリーネ


 最後に、ご自分で署名なさった。


「できたわ!」


 お嬢様は満足そうに眺めていたが、やがて便箋の隅に、何かの絵を描き足した。


「これは何でございますか?」


「ミミよ」


「ミミでございますか」


「ミミも、おこってるの」


 描かれたうさぎ? は、にっこり笑っていた。


「これで、かんぺきね」


 私は手紙を封筒に入れ、封蝋を押した。

 もちろん、本当に王宮へお送りするつもりはなかった。


 ところが、手紙は王宮へ届けられてしまった。

 お嬢様が公爵閣下に「おてがみを、だしたいの」と頼んでいたのだ。


 それを知ったとき、私は青ざめた。


 ☆


 二日後、王宮から返事が届いた。

 わざわざ届けに来てくださったのは、侍従のルーカス様だった。


「殿下が、どうしても直接お渡しするようにと」


「ご足労をおかけしました」


「いえ……。それとタルトのお礼もお伝えしたかったので」


「お口に合いましたか?」


「はい。とても」


「料理長も喜びます」


 ルーカス様は微笑んだが、目の下に少し隈ができている。

 せっかくの笑顔なのに、どこかお疲れのようだった。


「実は殿下、カロリーネ様からのお手紙を、枕元に置いておられまして」


「まあ」


「『ばかと書いてあるのに、またあそびにきてねとも書いてある。どっちなんだ』と、お尋ねになるのです」


「それは……」


 ルーカス様はため息をついた。


「お返事を書くのにも、便箋を十二枚お使いになりました」


「十二枚も?」


「書いては破り、書いては破りで。最後には私が、これでよろしいのではありませんかと申し上げました」


「お疲れさまでございました」


「お気遣い、痛み入ります」


 私はルーカス様にお茶を勧めた。

 彼は、無言で飲んだ。

 お互い、主人には苦労している。


 ☆


「エマ、てがみをよんで」


「かしこまりました」


 殿下の字は大きく、少し右上がりだった。


 カロリーネこうしゃく令じょうへ


 げんきだ。


 ばかじゃない。

 いじわるでもない。

 かみのけは、ルーカスが直せないだけだ。

 ショコラは、たべすぎてない。三つだ。


 また、いく。


 マクシミリアン


 最後の「いく」は、ほかの字より大きく書かれていた。

 お嬢様は手紙を両手で持ち、ぽかんとしておられた。


「……エマ」


「はい」


「おうじさま、おこってないわ」


「そのようでございますね」


「どうして? わたくし、ばかってかいたのに」


「さあ、どうしてでございましょう」


「かみのけも、ぴょんってしてるって、かいたわ」


「はい」


「おうじさま、またくるの?」


「そう書いてございますね」


 お嬢様は、むうっと唸った。


 それから手紙を丁寧に畳み、机の引き出しから小さな箱を取り出された。


 おばあさまからのお手紙や、庭で拾ったきれいな石、ミミの替えのリボンなどが入っている箱だ。

 お嬢様はそのなかに、殿下のお手紙をしまった。


「大切になさるのでございますか?」


「……ちがうわ」


「さようでございますか」


「だって、またわるぐちをかくときに、いるかもしれないでしょう?」


「なるほど」


 お嬢様は箱をしばらく眺めてから、引き出しの奥へしまわれた。


 ☆


「こんどのいじわるは、もっとすごいのにするわ」


 お嬢様はミミを膝に乗せ、私に宣言した。


「おばけのおはなしで、こわがらせるの」


「おばけのお話でございますか」


「そうよ。おうじさま、こわくて、ないちゃうかもしれないわ」


「それは困りましたね」


「うん。でも、いじわるだから、しかたないの」


 お嬢様は申し訳なさそうにミミの耳を撫でた。

 自分で考えた作戦なのに、すでに少し心配になっておられるらしい。


 ☆


 殿下が次に遊びにいらっしゃった日は、朝から雨だった。


 庭へは出られないので、お二人は子ども部屋で過ごすことになった。

 殿下は床に座って積み木を重ね、お嬢様は少し離れたところで絵本を広げておられる。


 ときおり、どちらかが相手のほうをちらりと見る。


 目が合うと、すぐにそっぽを向く。

 そんな調子だった。


 しばらくすると、お嬢様が私に合図を送ってきた。


 両目をぎゅっとつぶって、開く。

 それを三回。

 お嬢様はウインクができないので、これが作戦開始の合図なのだ。


 私は窓際の椅子に腰を下ろした。


「お二人とも、少しお話をいたしましょうか」


 殿下は積み木を置かれた。


「どんな話だ?」


「このお屋敷に昔から伝わる、おばけのお話でございます」


「おばけ?」


 殿下は興味を示された。


 私は郷里で弟の子守りをしていたころ、よくおばけの話をして聞かせた。

 怖い話には少々自信がある。


 ただし、今日は第一王子殿下がお相手だ。

 夜眠れなくなるほど怖がらせては、ルーカス様に申し訳が立たない。


 私は少し考え、北の塔に住むおばけの話をすることにした。


「むかしむかし、このお屋敷の北の塔に、ひとりぼっちのおばけがおりました」


 おばけは塔の窓から顔を出し、誰か遊びに来ないかと待っている。

 けれど、おばけの姿を見ると、みんな怖がって逃げてしまう。


 ある夜、おばけは寂しくなって、窓のカーテンを揺らし始めた。

 誰かが気づいてくれるかもしれないと思ったのだ。


「それから毎晩、おばけはカーテンを揺らすようになりました。ゆら、ゆら、と……」


 ちょうどそのときだった。

 カーテンがふわりと揺れた。


「ぴゃっ!」


 小さな悲鳴が上がった。

 お嬢様だった。


 お嬢様は殿下のほうへ駆け寄り、上着をぎゅっとつかんだ。


「おばけ、くる? くる?」


 目には涙がたまっている。

 殿下は上着をつかまれたまま、驚いた顔をしておられた。


「お、おい。ひっぱるなよ」


「だって、おばけが……!」


「夜じゃないだろ。おばけなんか、いないだろ」


「でも、カーテン、うごいたもの!」


 殿下はカーテンを見た。

 まだ揺れている。


 しばらく黙っていたが、やがて立ち上がった。


「……ぼくが、見てくる」


 殿下は窓へ近づいた。


 少し足取りが遅かったのは、気のせいではないと思う。


 窓の前まで行くと、殿下はカーテンをえいっとつかんだ。

 勢いよく開ける。


「ニャッ!」


 カーテンの陰から白いものが飛び出した。

 ルナだった。


「猫じゃないか」


 殿下は振り返った。


「おばけなんか、いない」


「……ほんとう?」


「ほんとうだ」


 それから、胸を張っておっしゃった。


「もし来たって、ぼくが追い払ってやる。ぼくは剣のけいこをしてるんだからな」


「……すごい」


 お嬢様が小さな声で言った。

 殿下は嬉しそうにしたが、すぐに真面目な顔に戻った。


「だから、もう泣くなよ」


「ないてないもん」


 お嬢様は鼻をすすった。


 しばらくして、ぽつりとおっしゃった。


「……でも、おばけ、かわいそう」


「え?」


「ひとりぼっちなんでしょう?」


「そうだけど」


「だれも、あそんでくれないの?」


 私は答えた。


「ええ。みんな怖がって逃げてしまうので、お友だちがいないのでございます」


 お嬢様はうつむいた。


「……かわいそうね」


「じゃあ、来たら、ぼくたちで遊んでやればいいだろ」


「……いいの?」


「うん。おばけだって、一緒に積み木くらいできるだろ」


 お嬢様は殿下の顔を見上げた。


「おばけ、つみき、すきかしら」


「塔に住んでるんだから、塔を作ってやればいいんじゃないか?」


「とう?」


「うん。大きいやつ」


 二人は床に座り直した。


 お嬢様が積み木を運び、殿下が積み上げる。


「ここ、おばけのおへやにするの」


「じゃあ、窓がいるな」


「おおきいまどがいいわ」


「わかった」


「あと、ベッドも!」


「ベッドは積み木じゃ作れないだろ」


「つくれるもん」


「じゃあ、やってみろよ」


 お嬢様は積み木を三つ並べた。


「できたわ」


「塔にくらべて大きくないか?」


「おばけは、おおきさがかわるのよ」


「そうなのか?」


「そうよ。きっと」


 殿下は少し考え、頷いた。


「じゃあ、これでいいか」


 それから一時間、お二人は並んで積み木をしておられた。

 お嬢様が笑い、殿下も笑った。


 ☆


 帰り際、ルーカス様が私に小声でおっしゃった。


「殿下が、あんなふうになさるのを初めて見ました」


「さようでございますか」


「ええ。いつもでしたら、ご自分も怖がって逃げてしまわれるのですが」


「……そうなのですか?」


「雷など、たいへんお嫌いで」


 私は思わず笑いそうになった。殿下も、少し怖かったのかもしれない。


「それにしても、エマさん」


「はい」


「あのお話は、あなたが考えられたのでしょう?」


「ええ、まあ」


「なかなか、優しいおばけでしたね」


「恐れ入ります」


 ☆


 その夜、お嬢様は寝台のなかで、うんうん唸っておられた。


「エマ。いじわる、また、しっぱいしたわ」


「さようでございますね」


「わたくしが、こわがっちゃったんだもの」


「そうでございましたね」


「おうじさま、こわくなかったのかしら」


「どうでしょう」


 お嬢様は布団を鼻まで引き上げた。


「……おうじさま、すごいのね」


「はい?」


「おばけがきても、まもってくれるって」


「そうおっしゃっていましたね」


「……けんの、おけいこ、してるんですって」


 お嬢様は少し嬉しそうだった。


「お嬢様。それは、いじわるのお話でございますか?」


「ちがうもん!」


 お嬢様は布団を頭までかぶってしまわれた。


 それにしても、あれほど怖がったお嬢様が、今夜ちゃんと眠れるだろうか。

 私は寝台のそばに、小さな明かりを一つ残しておいた。


 ☆


 三度目の訪問の日は、よく晴れていた。

 お嬢様は朝からミミを抱きしめ、何やら考え込んでおられた。


 そして朝食を終えると、私を呼んだ。


「エマ。きょうは、わたくしが、じぶんでいじわるをします」


「ご自分で、でございますか?」


「そうよ」


 お嬢様は真剣だった。


「エマのいじわるは、ぜんぶしっぱいしたもの」


「……申し訳ございません」


「だから、きょうは、いじわるは、わたくしがするの」


「どのような?」


「すごいのよ」


 お嬢様はそれ以上、教えてくださらなかった。


 私は心配になったが、殿下がお見えになる時間も近かったので、とりあえず支度を整えることにした。


 ☆


 お昼過ぎ、殿下がいらっしゃった。


 庭の東屋には、公爵閣下もおいでだった。

 お嬢様と殿下が最近は少し仲良くなっていると聞き、今日はご自分も一緒に過ごすおつもりらしい。


 殿下はなぜか、両手を背中に隠しておられた。

 ルーカス様が何やら小声で話しかけている。


「殿下、今のうちに……」


「わかってる!」


「ですが、またお忘れになると」


「わすれない!」


 殿下は真っ赤な顔をして、そっぽを向いた。


 そのときだった。

 お嬢様が椅子から降り、東屋の真ん中へ進み出た。


「マクシミリアンでんか!」


「な、なんだ?」


「わたくしは、いじわるなこです!」


 公爵閣下が、ごほごほとむせた。


「カロリーネ?」


 お嬢様は構わず続けた。


「わたくしは、にがいおかしをたべさせました!」


「う、うん?」


「わるぐちのおてがみも、かきました!」


 ルーカス様が目を閉じた。


「おばけのおはなしで、こわがらせようともしました!」


 お嬢様は指を一本ずつ折りながら話す。


「だから、わたくしは、おきさきさまにはなれません!」


 お嬢様は胸を張った。


「あなたとは、こんやくしません!」


 東屋が静まり返った。


 閣下はハンカチで口元を拭いておられる。

 ルーカス様は何も言わず、空を見上げていた。

 私は足元を見た。


 殿下はしばらく黙っていたが、やがて首をかしげた。


「……あれ、ぜんぶ、いじわるだったのか?」


「そうよ!」


「ショコラ、うまかったぞ」


「……」


「てがみには、またあそびにきてねって書いてあったぞ」


「…………」


「おばけのときは、おまえが泣いただろ」


「………………」


 お嬢様は唇をぎゅっと結んだ。


「だって!」


 お嬢様は叫んだ。


「でんかが、さきに、いじわるしたんだもの!」


 殿下が目を見開いた。


「ひよこって、いった! リボンも、ひっぱった!」


「それは……」


「わたくし、あのリボン、いちばんすきだったのに!」


 お嬢様の目から涙がこぼれた。


 殿下は何も言えなくなった。

 お嬢様は両手で涙を拭った。


「だから、わたくし、こんやくなんか、いやなの!」


 私はお嬢様のそばへ行こうとした。

 けれど、ルーカス様がそっと私にささやいた。


「少しだけ、お待ちください」


 殿下はうつむいていた。耳まで真っ赤だった。

 ぎゅっと目をつぶってから、思い切ったように顔を上げた。


「ちがうんだ!」


「ちがわないもん!」


「ちがう! ぼくは、いじわるしようとしたんじゃない!」


 殿下は一生懸命に続けた。


「おまえのドレス、黄色かっただろ」


「……うん」


「ふわふわしてたし」


「うん」


「ぼくが飼ってるひよこに、そっくりだったんだ」


「……ひよこ?」


「ぼく、ひよこを飼ってるんだ。かわいいんだぞ!」


 ルーカス様が補足してくださった。


「殿下は、王宮の庭でひよこをお育てになっているのです。ふわふわ(プシェル)という、お名前をつけておられまして」


「ふわふわ(プシェル)は、かわいいんだ!」


 殿下はますます赤くなった。


「だから、ひよこみたいって言ったんだ。わるぐちじゃない!」


「……そうなの?」


「そうだよ!」


 お嬢様はしばらく考えた。


 それから、殿下に尋ねた。


「……じゃあ、リボンは?」


 殿下はまた、うつむいた。


「……あれは」


「わたくしのリボン、ひっぱったわ」


「うん」


「おちちゃったのよ」


「ほどけそうだったんだ」


「……え?」


「リボンが。だから、むすびなおしてやろうと思ったんだ」


 お嬢様は目を瞬かせた。


「むすびなおす?」


「うん。ルーカスが、いつもぼくのくつひもをむすんでくれるだろ。それとおなじに、やればいいと思って」


 ルーカス様が、何とも言えない顔をした。


「でも、やりかたをまちがえた」


「……」


「リボンがほどけて、おちて……」


 殿下の声が小さくなった。


「ぼく、はずかしくなって、にげたんだ」


 お嬢様は黙って聞いていた。


 殿下は少しのあいだ、口を結んでいた。


 やがて、背中に隠していた手を、そろそろと前に出した。

 手には、黄色いリボンが握られていた。


 ほどけて地面に落ちたリボンと、そっくりだった。


「リボン……?」


「ルーカスに探してもらった」


 ルーカス様が頷いた。


「殿下は、どうしても同じものを見つけたいとおっしゃいまして」


「……でも、まったくおなじのは、なかった」


 殿下はリボンを見つめた。


「これじゃ、だめか?」


 お嬢様は首を横に振った。


「きれい」


 殿下はほっとした顔をした。

 それから、リボンを差し出した。


「……リボンをおとして、ごめんなさい」


 お嬢様は両手で受け取った。

 しばらくリボンを眺めていたが、やがて小さく頭を下げた。


「……わたくしも、ごめんなさい」


「え?」


「いじわるして、ごめんなさい」


 殿下は不思議そうな顔をした。


「いや、いじわるは、されてないけど」


「したの」


「されてないぞ」


「したの!」


「だから、されてないって!」


「したのー!」


 お嬢様の声が庭に響いた。


 閣下は口元を押さえ、肩を震わせておられた。

 ルーカス様も笑顔になった。


 私はお嬢様の手からリボンをお預かりした。


「お嬢様、結んで差し上げましょうか」


「うん!」


 お嬢様は嬉しそうに頷いた。


 私が髪にリボンを結んでいるあいだ、殿下はじっとこちらを見ておられた。


「……そうやって、むすぶのか」


「はい、殿下」


「ふうん」


「殿下も、もっとお近くでご覧になりますか?」


「……べつに、いい」


 殿下はそっぽを向いた。


 けれど、私が結び終えるまで、ずっとそばに立っておられた。


 ☆


 そのあと、閣下からお嬢様にお話があった。


「カロリーネ。婚約の件だがな」


「……はい」


 お嬢様は少し緊張した顔をした。


 閣下は笑っておっしゃった。


「まだまだ先の話だ。十年くらいは考えなくていいぞ」


「……じゅうねん?」


「そうだ。おまえも殿下も、まだ子どもだからな」


 お嬢様は指を折り始めた。


 一、二、三。

 五まで数えて、困った顔になった。


「エマ。じゅうねんって、いくつ?」


「お嬢様が十五歳になられるころでございます」


「じゅうごさい……」


 お嬢様はしばらく考えた。


「……おとな?」


「まだお若いですが、今よりずっと大きくなられていますよ」


「ふうん」


 お嬢様は安心したようだった。


 それから殿下のほうを向いた。


「でんか」


「なんだ?」


「こんやくは、しないけど」


「……うん」


「おともだちには、なってあげる」


 殿下は小さく頷いた。


「……しかたないな」


「しかたなくないわ。うれしいでしょう?」


「べつに」


「うれしくないの?」


「……ちょっとだけ」


 お嬢様はにっこり笑った。


 殿下は慌てて付け加えた。


「じゃあ、来週、王宮に来いよ」


「おうきゅう?」


「うん。ひよこ、見せてやる」


「ほんとう?」


「ほんとうだ!」


 お嬢様は嬉しそうに両手を合わせた。


「エマ! らいしゅう、おうきゅうにいくわ!」


「かしこまりました、お嬢様」


「ミミも、つれていっていいかしら」


「殿下にお尋ねになってみては?」


 お嬢様はすぐに殿下のほうを向いた。


「でんか! ミミも、いい?」


「ミミって、だれだ?」


「わたくしの、うさぎよ」


「うさぎも飼ってるのか?」


「ぬいぐるみよ!」


「なんだ、ぬいぐるみか」


 殿下は少し考えた。


「……まあ、いいぞ」


「やったあ!」


 お嬢様はその場でぴょんと跳ねた。頭のリボンも一緒に揺れた。


 ☆


 その夜、お嬢様は寝台のなかで、ミミを抱いておられた。

 頭につけていた黄色いリボンは、箱にしまってある。


「エマ」


「はい、お嬢様」


「いじわる、ぜんぶ、しっぱいしちゃった」


「さようでございますね」


「にがいおかしも、おてがみも、おばけも」


 お嬢様は指を折って数えた。


「ぜんぶ、だめだったわ」


「残念でございましたね」


「でもね」


「はい」


「おともだちが、できたわ」


「ようございましたね」


「うん」


 お嬢様は嬉しそうに笑った。

 そろそろ明かりを消そうかと思ったころ、お嬢様が急に起き上がった。


「あっ!」


「どうなさいました?」


「エマ。ひよこさんは、いちご、たべるかしら?」


「どうでしょうね」


「おみやげに、もっていってあげたいの」


「ハインツさんに聞いてみましょうか」


「うん!」


 お嬢様は満足そうに布団へ潜り込んだ。


「おやすみなさい、エマ」


「おやすみなさいませ、お嬢様」


 私は布団を肩まで掛け直し、明かりを消した。

 明日の朝は、まず、ひよこが苺を食べても大丈夫か調べよう。


 それから、ハインツさんに苺をもらっても良いか聞かなくては。

 王宮へ持っていくお菓子も用意してもらうよう頼まないと。


 ショコラのタルトがよさそうだ。

 殿下は、あれをたいそう気に入っておられたから。

 ルーカス様も。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


カロリーネとマクシミリアンの小さなすれ違いを楽しんでいただけたら嬉しいです。


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― 新着の感想 ―
すごく可愛いお話だと思いました。5歳のいじわる。すごく純粋で素直に育ったお嬢様ですね。 読ませていただきありがとうございました。
この、王子様サイドを書くとしたら、誰の視点が楽しいだろう。 侍従視点は王道だろうが、奇をてらうなら、両親のどちらか視点だろうなと。 どちらかといえば、王様視点で見てみたい気がする。 からかいがいのあ…
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