人間の行う行為を見れば、
人間の行う行為を見れば、いかに完璧をなそうとも、必ず何か不都合なことを引きずっているものである。
何故なら、長所は必ず、短所もともなわないでは済まないからだ。
それゆえに、いかに短所をコントロールするかが、成功か不成功の鍵になって来る。
そして、これには運に恵まれた時を活用するしかない。
活用さえできれば、短所から長所への転換も、可能になるからである。
「政略論」
マキアベリ氏は、「理想の人間、理想の政治」を前提にしない。
むしろ、「人間は必ず欠陥を持つ存在である」という前提から出発する。
長所は必ず、短所もともなわないでは済まない
たとえば、勇敢 は 無のリスク、慎重は 臆病との批判、寛大 は、 浪費につながる傾向がある。
つまり、あらゆる長所は、裏側に必ず問題の可能性を持つのである。
また、人間である以上、欠点を克服することは難しいことが、現実としてある。
そのため、抑制的に使う手段もある。
具体的には、厳格さ は、 秩序維持に利用し、欲望 を 行動のエネルギーに変換する。
これは単なる倫理論ではなく、 「行動設計の技術」ともいえる。
マキアベリ氏は、人生・政治の半分は運に左右されるが、しかし残りは人間の力量で決まる
と言う。
運は、 川の氾濫のように制御不能であるが、力があれば 堤防を作り、その流れを変えることも可能になる。
好機は必ず来るが、活かせる人だけが成功するのも現実である。
短所から長所への転換も可能は、「状況によって価値は反転する」ということ。
例として、
・残酷 は、 無秩序な時には「正義」になる。
・狡猾 は、 生存戦略になる。
・独裁 は一時的であっても、 混乱の安定化に一定の効果を持つ。
つまり、「性質」ではなく「使い方、活用のしかた」が価値を決めのである。
国家であれ個人であれ、清廉・勇気・慎重・寛容といった美徳のみでは現実世界を生き抜くことは難しい。
ゆえに人は理想に拘泥するのではなく、現実の条件と状況を見極め、その時々において最も有効な手段を選択する必要がある。
ただしこれは決して悪を推奨するものではなく、生存と安定を維持するために不可避な現実を認識する立場である。




