第90話「寂寥」
5月25日、午前8時22分。
相変わらず朝もバタバタしている池袋警察署。
生活安全課においては、宿直時間帯に保安係が『おせおせ学園』と言う名の準合法セクターで、不法就労が見つかり忙しなく動いていた。
飛び交う話から、『男装キャストと隣同士で歓談しながら飲酒し、気に入ったキャストを指名するとプレイルームで男性の部位クローンを使った性サービスを受けることが出来る店』のようだ。
最も、この世界における部位クローンとは精巧なシリコン玩具を指している。
就業時間前ではあるものの、俺には応援の依頼は来ていなかったため、前に実施した防犯講習のアンケート整理をしていた。
「おい、佐藤。アンケート終わったら甘南備の車両調べとけ。」
関が缶コーヒーを開け、喉を鳴らした。
「え?でも私は防犯係ですよ?」
「お前まだそこかよ。防犯係も生活安全課の捜査員なんだよ。日常業務がちょっと防犯活動に特化してるだけで。」
関を見ると缶コーヒーを一口で飲んだのか、空の缶をすすった音がした。
「もちろん捜査員であるというのは制度上知っています。ただ、捜査は様々な権限が使えるため理由が必要ではないですか?」
「白川のババアの妄言通り現場に言ったら、ホントに不審車両が居た。住人が不安になっているのに、その不審車両を調べない理由がお前にはあるのか?」
相変わらず関の言い方は乱暴だが、芯を食っている。
「そうですね。では、なるはやでアンケートまとめて、車両を調べてみます。」
「そうしろ。ただ、一人で外行くのはダメだ。SP適が付いてるやつ連れてけ。」
「助かります。関さんが来てくれるなら心強いです。」
「ふんっ」
関は少し顔を赤くしながら鼻を鳴らした。
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「関統括!」
俺がアンケート整理を終え、車両捜査に手を付けようと思った際、隣から大きな声がした。
「お?どうした?」
「すみません。昨日身柄押さえた準合法セクターの事案、手が回らないので防犯係も手伝ってもらえませんか?」
長い茶髪をくくった眼鏡の女性が、焦りながらも申し訳なさそうに問いかけていた。
「人手足んないってことは、計画してた検挙じゃねーのか。」
「はい、匿名の110番で『違法に外国人を雇ったセクターがある』と通報があって、110臨場兼立入調査で軽く店舗みたらこの有様ですよ。」
「そりゃ、まぁしょうがねぇな。おし、何人必要なんだ?」
「被疑者動静監視を3名、令状請求書類確認で1名お願いします。」
「わかった。おい佐藤!とりあえず書類確認行ってこい。後3人も追ってそっち行かせるわ。」
関が俺の方を向いて、顎で隣の係を指した。
「わかりました。今行きます。」
「ありがとうございます!」
俺が連れられた先には山のように積み上がった書類。
保安係の係長が大股で近づいてきた。
「佐藤係長は慣れてると聞いた。私はこれから外行かないといけないから、追加の捜索差押許可状請求の資料整えて欲しい。この辺の捜査員は好きに使ってくれて構わない。」
それだけ早口で言うと、保安係長は足早に去っていった。
俺は書類の山に手を伸ばし、整理と確認を始めた。
「……男装して性サービスを提供してる店か……店の経営者は不法就労助長、セクター従業員は資格外活動で検挙か。」
時折独り言が出ながら、一つ一つ書類確認をしていく。
黙々と作業をしていたが、ある書類で手が止まった。
それは『おせおせ学園』の従業員同士のトーク履歴だった。
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トーク履歴翻訳結果
5/22 23:12:51
A<今日お茶。つら。>
B<わかる、クソ客とお茶しかない>
C<もっと日本円ほしー>
B<31日に稼げるバイトあるけど店休まない?>
A<あ、ウチも行くやつかも>
C<なにそれ!ききたい!>
B<なんか運送と受付のバイト、箱と人運ぶだけで20万、受付もやれば50万>
A<しかも、池袋内だから運ぶのだけなら1時間くらいで終わるらしいよねー>
C<めっちゃいい!行きたい!>
B<人は多い方がいいらしいから、聞いてみよか>
C<やった!>
A<最後、西池のドリームビル解散らしいから、肉いこ!>
B<それ、なんか場所変わるかもって連絡きてるよー>
C<どこー>
B<北池でちゃんと決まってないらしいよー>
A<ほんとだー、チャネルに連絡あったわー>
C<北池だったら、店の1階の焼肉いこ!>
B<いいねー!終わったら肉ー!>
A<金入るし肉食えるしさいこー!>
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俺はそのトーク履歴を読んで急に体が熱くなった。
もしかすると、横峯と森下がシーチェストを漁ったことが、男性売買オークションの運営者に気付かれたのではないか。
彼女たちのトークの中ではあくまで『薬と人を運ぶバイト』の目的地が、『ドリームビル』から変わっているだけ。
31日も5月31日である保証は無い。
しかし、その日暮らしに近い彼女たちがよく分からないバイトに応募して、それが7月以降ということは考えにくい。
周囲を見渡すと、スマホのデータを抜いたパソコンがそのまま立ち上がっていた。
保安係のフロアは慌ただしく、誰も俺の動きには気づいていない。
「……やるしかないか。」
この瞬間を逃せば、もう手が届かなくなる。
そしたら、オークションの詳細や裏で糸を引く人物が判明するかもしれない。
誰にも見られていない今なら、複写されたスマホのデータをコピーして、水越か中村に送れる。
そう思って俺が端末に近づこうとした時、脳裏に浮かんだのは御厨の顔だった。
LUXEの捜索前に御厨が山崎に指示した『証拠の客観性の担保』、水越の言葉を借りるなら、『チェーン・オブ・カストディ』。
直接自分が指示を受けたわけではないのに、俺の脳裏で御厨が言った。
『警察官たるもの、説明可能な仕事をしろ』と。
「……正規な手続きを踏まない仕事に意味はない、か。」
俺がつぶやいた瞬間、ちょうど出先から戻ってきた保安係長に後ろから声をかけられた。
「…佐藤係長、何かあった?」
俺は、先ほどの自分の考えを反省し、答えた。
「係長、この報告書の元になったスマホ何ですけど、もう還付しますか?」
彼女は一瞬虚をつかれたような表情になったが、すぐにまじめな顔に戻った。
「今のところその予定は無いよ。還付となったら検察官の指示も伺わないといけないし。どうかした?」
「ちょっと前任で捜査してた案件に関連する部分があって、『二重押収』の検討をしても良いかお伺いです。」
二重押収とは、完全に別の事件で同じ証拠を扱うための手続きだ。
このスマホ内のデータを、正式にLUXE事件の証拠品として採用するためには必要となるが、手続きは存外面倒になる。
今まさにバタバタしている保安係に迷惑がかかってしまうかもしれない。
しかし、そこで躊躇していたら犯罪者が野放しになってしまう。
「佐藤係長は前任は捜査第一課か。じゃあ、慣れてそうだし、必要なら検事に連絡してね。手続きも任せるよ。これ、うちの担当検事の連絡先。」
「え、いいんですか?」
嫌がられたらどう説き伏せようかと考えていたが、彼女は何でもないようなことのように、電話番号と名前が書かれたメモを渡してくれた。
俺が、「ありがとうございます。」とメモを受け取る。
すると、彼女は笑いながら、「うちの仕事もよろしくね」と、また去っていった。
俺はすぐさま、報告書に記載された一部のデータの状況、二重押収の必要性、検察官連絡先、『念のために捜査員の仮想身分証の用意』と付け加えたメッセージを山崎と中村に送信した。
すぐさま机の上の端末が震え、山崎からの短い既読の印が返ってきた。
〈二重押収とスマホ解析こっちでやってみる。仮想身分証は私とか後藤部長のとか、少人数なら用意できると思う。もう所属が違うのに、気にかけてくれて助かった。ありがとう。〉
返事を書こうとして、ふと自分の胸がざわつくのを感じた。
『もう所属が違うのに』
その一言に無性に切なさを感じた。
「……出来ることは、もう、会場の当たりを付けておくことだけ……かな。」
慌ただしい部屋の中でつぶやいた声は、誰にも聞こえることは無かった。




