第88話「防犯活動」
5月23日、午後11時48分。
「とりあえず戻って来れたな。今のうちに夜飯食っとけ。」
関はそう言って持ち帰ってきた牛丼を掻き込み始めた。
食欲のそそるタレの匂いが部屋に広がっていく。
「ありがたく、ご相伴にあずかります!」
俺の分は牛丼大盛りネギだく×2。
昼から何も食べてない胃袋が今か今かと待ち侘びている。
一口含むとネギの甘みとタレのキレがたまらない。
「おい、早く食え!飯食ったら甘南備行くぞ!」
食べ始めて1分もしないうちに関に怒鳴られる。
慌てて関を見ると、既に完食して楊枝を咥えていた。
「……早すぎませんか、関統括。」
「素早く飯食えない捜査員は二流。食いっぱぐれるのは三流だ。覚えとけ。」
関はそう言いながらゴミをまとめ、手際よくテーブルを拭いた。
まるで夜食を食べに来たんじゃなく、これから任務に出る兵士のようだった。
「で、行く前に言っとく。今日は住人希望による防犯パトロールだ。いいな?」
「了解です。」
俺は食べかけの牛丼を一気に流し込み、上着を羽織った。
先ほどの扱いの疲れが残っているが、体は不思議と軽い。
白南風の夜から、ずっと心の奥で燃えていた何かが、今ようやく形になろうとしていた。
日付が変わる直前に警察署を出ると、夜風が肌を撫でた。
池袋共生区は、まだ眠らない光を散らしている。
「おい、佐藤。ババアの話を思い出せ。ミニバンが止まるのは『月に一度、深夜一時前後』。迫ってきてるぞ。」
「ええ。」
俺と関は歩いて甘南備のある裏通りへ向かう。
昼間も夜も人手はあるが、出歩いている人種は違う雰囲気だ。
甘南備が入っているビルの近くまで来ると、人手が少なくなってきた。
「よし、この辺だな。佐藤、どこで張る?」
俺は斜向かいのゲームセンターとカラオケの入ったビルを指差した。
「あのビルの踊り場から見えるはずです。共生区でも夜通し営業してますので、ビル管理者から追い出されませんし、カラオケが入ってるので男女で居てもそれほど気にされません。」
「んだよ、『下調べもしてねーのか!』って言う予定だったのによ。」
関は不満を口にしながらも、どこか嬉しそうに見えた。
関とともに階段を登り、踊り場に着くと腕時計をちらりと見た。
「確かに見えるが、人影が向こうからも見えそうだな。座って少し待つぞ。」
関に俺も倣って腰を下ろす。
わずかに開いた裏口の隙間から、青白い光が漏れていた。
店内では、誰かがまだ動いている。
そして、まるで予定通りかのように、それは現れた。
1台のミニバンが、ゆっくりと通りを曲がり、甘南備の裏手へ滑り込む。
ヘッドライトが一瞬だけ路地を照らし、すぐに消えた。
「……本当に来た。」
俺が呟くと、関は短く息を吐いた。
「佐藤……お前、持ってるな。」
慎重に2人で物陰から覗く。
バンの後部ドアが開き、作業服姿の女が2人、背格好は小さめでどこか警戒心がない。
おろし始めた荷物は下側が寄れた段ボール、数は3箱。
それをたどたどしく運び込み、扉の向こうへ消えていく。
「……人着から見て、ガキか?……闇バイトかもしれんな。」
関の低い声が夜気に溶けた。
俺の妙に早く打つ心臓に邪魔をされながら、撮影した動画を再生し箱を拡大した。
「……段ボールの表面、何か印字があります。英数字とバーコード……不鮮明でこれ以上わかりませんけど。酒か、医療機器か何かですかね。」
「いや、それならもっと慎重に運ぶはず。もっと軽い何か…薬とかな。」
関の意見を聞きながら俺は手元のメモ帳に時間と車両の特徴を書き留めた。
黒のミニバン。右側のリアフェンダーに傷。
ナンバーは「品川444へ・214」。
その時、無線が短く鳴った。
『池袋より一斉。同居パートナーが、刃物を取り出し襲われそうとの110番通報。場所は西池3丁目。』
「仕方ねえ!佐藤、行くぞ!」
「でもっ!」
「いいから来い! 現場優先だ!」
俺たちが踊り場を飛び出うとした瞬間、運び終えた女たちが手に封筒を持って裏口から出た気がした。
関は踊り場の手すりを越え、足早に階段を下りていく。
俺も慌てて後を追った。
裏路地に出ると、さっきの女たちは既に姿を消していた。
代わりに、ミニバンのテールランプがゆっくりと遠ざかっていく。
「……ほら、現場行くぞ!」
俺の頷きを見て、関は肩につけていた無線機マイクを持った。
「関だ。これから現場向かう。その前に車両照会1件頼む。品川444へ・214。」
『了解。……確認します。』
しばらくの沈黙の後、無線から声が返った。
『該当車両、廃車登録済み。前所有者は“麻麻商事”、備考に記念所蔵登録有りとなります。』
関は小走りしながら「だってよ。」と言い、俺を見た。
「ありがとうございます。記念所蔵とはまた…」
「だな……。臭すぎる。」
関が吐き捨てるように言った瞬間、再び無線が鳴った。
『池袋から各局、第一臨場したら即報願う。』
「…急ぐぞ!」
関が短く舌打ちし、走る速度を上げた。
俺たちは署の駐車場まで辿り着くと、臨場車に飛び乗った。
関がエンジンをかけると、車体が低く唸って滑り出す。
車窓の外を流れる街の光。
さっきまで張っていた路地が、もう遠くに感じられる。
「お前、運が良いのか悪いのか分かんねぇな。」
ハンドルを握りながら、関が笑った。
「張り込んで20分で本命が出るわ、車両照会したら廃車扱いだわ、極め付けは110番だ。持ってるっちゃ持ってるぜ。」
「ついてない方が正しい気がしますけどね。」
俺が苦笑すると、関は煙草を取り出しかけ、思い出したようにポケットへ戻した。
「……まぁいい。今日はあのナンバーと荷物だけで十分だ。あんだけ怪しければ十分に防犯係として動けるじゃねえか。」
「……気を…つかってくれてます?」
「……仕事ってのは、1%でも本気で楽しめるもんがありゃ他の雑務も全部頑張れるんだよ。係の士気を考えただけだ。」
ぶっきらぼうにそう言う関の横顔は街灯を受け、険しくも優しく見えた。
「……ありがとうございます。教官と同じで、関統括も優しいですね。」
「うるせぇな。腑抜けた仕事したら許さねえからな。」
助手席から関の顔を見ると、少し口角があがり、頬が少し赤い気がした。
車は交差点を抜け、夜の池袋を駆け抜けていった。
赤いテールランプが、夜の街を裂くように走り抜けていった。




