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1/96〜男女比1:96の貞操逆転世界で生きる男刑事〜  作者: Pyayume
第七章「潜流」

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第81話「中間慰労」

5月9日、午後6時28分。


執務室には、いつもの追い詰められたような雰囲気はなく、珍しく柔らかな匂いが漂っていた。


俺は電気ポットの湯を素麺に流し、氷水で締め、器によそっていた。


そこに扉がバタンと音を立てて開いた。


「佐藤、だし醤油持ってきたよ!」


横峯が俺に笑顔を向けながら、誇らしげに瓶を掲げた。


ラベルには金の筆文字で「鰹本返し」とある。


「あれ?この間のとは別のメーカー?いいじゃん、試したい。」


横峯の持ってきただし醤油を、人数分用意した温泉卵に軽く垂らした。


卵の白身が半透明に広がり、黄身がとろりと顔を出す。


さっそくひと口すすると、鰹の香りが鼻に抜けた。


「うわ、うまっ!この間のも良かったけど、こっちは醤油感が強くてうまい!」


俺が感嘆の声をあげると、後藤も続けて掻き込んだ。


「うんまっ!横峯いいもの持ってるね!この精液卵だけで一升いける!…いたっ」


後藤のそばにいた山崎が、後藤の頭を殴った。


「アルコールもなしに何言ってんだ!佐藤の前だぞ!」


「私は気にしないのでご自由にどうぞ。」


俺がそう答えると、その様子をみた周りがくすくす笑っている。


森下は「あわわ、男性のアレなんて食べたことないです!」と言いながら若干パニックになっていた。


今日だけは、追い詰められる事件の影が少し遠くにあるように思えた。


4名の被疑者の勾留延長が決まったとの連絡が入った直後、中間慰労という名目で、執務室飲みが始めたのだ。


もちろん言い出しっぺは俺だ。


「佐藤主任、後藤部長、乾杯前から食べないでください。」


中村が拗ねたような表情で注意してきた。


「……これは味見ですよ。つまり料理人の特権…セーフです!」


俺の軽口に、みんなが笑った。


この事件が始まってから、笑いがここまで自然に出たのは久しぶりだった。



全員に缶ビールが渡され、山崎が立ち上がった。


「それじゃみんな!監禁事件の折り返しだ、めいっぱいガス抜きしてまた頑張るぞ!乾杯!」


和やかな雰囲気にぷしゅっとした音がこだまし、飲み会が始まった。



少し酔いが回ったころ、中村が熱燗の湯気の立つカップを手にしながらぼそっと言う。


「こういう時間、ちょっと助かりますね。最近、取調室が重すぎて……。」


ホッと一息つくような中村の言葉に一瞬、場の空気が和らぐ。


後藤が、冷蔵庫の上の紙袋を取り出した。


「甘いのもあるわよ。これ、水越せんせーが持ってきたやつ。」


中から出てきたのは、小ぶりな銀紙に包まれたサンド。


「コリドラスだよ!私愛用のサーブル・ラボの新作。ラム酒とリンゴバターが絶妙な逸品!」


水越が大きく笑いながら言った。


どうやら水越はアルコールが入ると陽気になるようだ。


「さあ皆!疲れた脳には糖分!地味に高い味をご賞味あれ!」


「そっちの地味に高い味って、上手いかまずいか分からないじゃないか。」と山崎がツッコみ、再び笑いが起きた。


そして、アルコールが入るにつれて、話題は少しずつ下世話な方向へ転がっていく。


「そういやさぁ、中村からLUXEの話を聞いて正直私もムラムラしたよねぇ。報告書も生生しかった。」


後藤の一言に、中村が顔をしかめる。


「後藤部長、それ倫理もモラルも無いどころか完全犯罪者発言ですよ。笑えません。」


「中村は真面目すぎるからなー。溜まるのは事件も性欲も一緒だ。」


「いやいや、係長まで同調しないでください!」


一瞬、笑い声と沈黙が交互に訪れた。



そのとき、森下がふと思い出したように横峯を見た。


「そういえば横峯さん、佐藤主任と警察大学で同期だったんですよね?」


「うん、一応ね。教場も同じだったし、他の同期別教場からは相当羨ましがられたよ。」


後藤がすかさず割って入る。


「ちょっと、ちょっと。じゃあさ、学生時代の佐藤ってどんな感じだったの?モテた?それとも『事件以外興味ありませんっ!』系?」


「後藤部長、それ聞いちゃいます?」


と言いながら、森下が口を押さえて笑う。


どうやら短い間で大分後藤と打ち解けたようだ。


横峯は少し考え込み、いたずらっぽく口角を上げた。


「相当モテたよ。本人はどう感じてたか分からないけど、精神年齢が高くで何でもできるってタイプで。でも佐藤は全然相手にしないから、好きな子いじめたいみたいなグループが現れたりしてたかなぁ。あと、年上の講師とかにもやたら可愛がられてた。」


「そんな学校ずるくないですか?授業のモチベが段違いですよ!!」


と森下がうらやましそうに叫ぶ。


「えぇ〜でもね」と横峯が続ける。


「実技訓練で汗だくになってる時に、別の教場の女子が『あの人だけ汗の匂いが爽やか』とか言ってて、私たち笑いこらえるの必死だったの。」


「何それ、柔軟剤のCMかよ!」山崎が噴き出す。


中村が顔を真っ赤にして缶を置いた。


「もうやめません?佐藤主任、辟易した顔になってますよ。」


俺は咳払いをしてごまかした。


「まさか、そんな話を聞くとは思わなくて。記録に残るわけもないし。」


「記録に残らないからこそ、盛り上がるのよ〜」後藤がにやりと笑う。


「ねぇ佐藤!今もモテるでしょ?今回集めた100人超の捜査員いるじゃん?誰かから差し入れとかされてない?」


「それ以上は取調べ権限の乱用だよ!」


「いやぁ、中村取調官に注意されたぁ〜。」


また笑いが起こり、机の上の素麺が少し伸びた。


「というか、『佐藤への差し入れ禁止』っていう事務連絡が関係所属宛に出されてたぞ。御厨理事官の名前で。」


「えぇ!係長!それ私は聞いてないですよ!本人に告げずに出さないで下さいよ!」


俺の声とともに、氷の溶ける音がカランと響く。


その間の妙に当てられて、またも笑いが起こった。



一瞬、事件も、罪も、死も、遠くの出来事のように感じられた。


だが、誰もがその遠さが明日には消えることを知っていた。


笑いの残る部屋の隅で、中村が静かに言った。


「……みんな、ほんとに気をつけてくださいね。」


その一言が、泡立つビールの音を静かに沈めた。


酒の匂いとだし醤油の香りが混ざる空間の中で、誰もが、ほんの少しだけ現実を忘れた。

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