第73話「横峯奈美:成長」
「そうなのか!そんなブランド知らなかった!」
取調室の扉の前に立つと、そんな声が聞こえた。
二人とも何やら楽しそうに話をしており、ドア越しでも十分盛り上がっていることが分かった。
扉を開けると、桜木は少し前のめりで山崎と話をしていた。
少し笑顔が見え、机の上でひじを縦て、指先を組んでいる。
「お待たせしました。」
机の資料を整えながら、空気の温度を読む。
桜木は、山崎と何か話して笑っていた。
その笑顔の余韻が、まだ机の上に残っている気がしたが、桜木は視線をこちらに向けなかった。
山崎が席を立ち、「じゃあ、桜木さん。交代するね。」と言いながら、私に紙片を渡して部屋から出て行った。
席に座りながら紙片をそっと見るとこう書いてあった。
<客観証拠はあるから、黙秘のままで構わない。そういう気持ちで行け!>
私は紙片をポケットにしまい込み、桜木に正対した。
桜木は先ほどの弛緩した空気に少し引き摺られているようだった。
「なんの話してたの?ブランドが、とか言ってたけど。」
「山崎さんが『身長が低いから私服を見つけるのが大変』って話をされていて、私の好きなブランドを紹介しただけのことです。」
私の質問に桜木は面倒そうに答えた。
けれど、先ほどまでの壁はなくなっている気がした。
「そうなんだ、桜木さんって服普段どのへんで買っているの?」
古賀と山崎の話を反芻しながら、桜木との雑談が滑り出した。
私は直感で、桜木相手にはこれが正解だと思い始めた。
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「そうなんだね。それでちょっと毛色の違う話なんだけど…」
雑談がひとしきり落ち着いたころを見計らって、私は切り札をそっと出した。
「さっき私が外に出た答えがこれです。」
<2025-04-29 03:02:03 sender: MNR-UCH (resgen)
to: SGM-RIK (luxe)
subject: 洗い替え実行
body: 「3より、甘南備全削除。政府syringer削除。other残。>
その瞬間、桜木のまぶたが、驚くほど激しく動いた。
「実はウチの解析班が、桜木さんのデータを細かく確認してくれてね。逮捕当日、玄関を開けずにいたあなたが、部屋の中で何をしていたのか、解析で分かったんです。」
私は、そこで一呼吸置いた。
「つまり、緑川さんに指示した人が、あなたじゃないということの証明。当日、うちの佐藤があなたに話したことが、そのまま答えだった。」
桜木の手が止まり、私の瞳を見つめてくる。
「……これ、どうやって見つけたんでしょうか。」
その問いには、怒りも怯えもなかった。
「解析班の説明では、匿名暗号化メッセージアプリに記録されている削除データを復元したとか。」
桜木の視線が、机上の資料へとゆっくり落ちる。
そこに写っているメッセージ内容を見て、息を詰まらせた。
「…………さすが警視庁と言うべきでしょうか……そこまでされては、黙っている意味はもう無いですね。」
「そうしてもらえると助かるな。」
再びの沈黙。
数十秒の後、桜木がようやく小さく呟いた。
「……警察ですから、LUXEの内山さんが姉妹なのはご存じでしょう?」
「ええ、姉でLUXEの運営者である内山いまりさん、その妹で資源庁のシステム課で勤務する内山みのりさんね。」
「でしたら、MNR-UCH が誰かも既に分かっているということですよね。」
「我々は内山みのりさん、もしくは彼女の周囲の人間だと推測してるから。」
私の言葉を聞いた桜木は、両手を机の下で静かに震わせていた。
「ええ、当たっています。資源庁職員の内山みのり。彼女からの指示です。」
その声には、淡々とした響きの裏に、かすかな痛みがあった。
私はパソコンを閉じ、桜木の言葉に耳を傾けた。
「LUXEでは、男性による性的サービスのほか、男性の精液を一定数確保していて、人工交配サービスをしていたことは既にご理解されていると思います。人工交配をした時にどうしても必要な社会の仕組み、分かりますか?」
「体外受精DBの更新ですね。」
私の回答に桜木がゆっくりと頷いた。
「そうです。そうしなければ、不正な体外受精として提供者、お客様双方とも裁かれてしまいます。だから違法風俗店でも人工交配まで広げている店は少ないと思います。」
確かに、制服勤務での実習中にはそういう店の支払いで揉めたりした110番で何回か臨場したことがある。
「でも、なんでまた交配に手を出したの?」
私が当然の疑問を口に出すと、桜木は淡々と答えた。
「内山さん、あぁ姉の方のですが、彼女が交配サービスを取り入れることをいきなり言い始めたんです。正直、既に男性との接触サービスで営業していましたから、抵抗感はそれほどありませんでした。」
「内山いまりさんが、勝手に決めたということ?」
あれほど固くなっていた喉が、今は自然に声を出せている。
私はそれだけで、少しだけこの部屋の空気が変わった気がした。
「ほぼそうですね。ただ、システム関連の作業は素養のある私やひなちゃんが担当していました。『倉橋和美』という医師のアカウントを使うこともその時に教えてもらいましたね。」
桜木から倉橋の名前が出た瞬間、私は心の中でガッツポーズが出た。
同時にこれが取り調べの醍醐味なんだと直感した。
そして、その気持ちを表に出さないように質問する。
「なるほど、ちなみにその倉橋という医師と会ったことはありますか?」
「1回だけ、店で焚くアロマの買い出しを手伝ったときに。池袋のシーシャバーに行ったんですけど、そこで偶然会いました。内山とシーシャバーの店長さんと倉橋医師が話していて、全員顔見知りのようでしたよ。」
「なるほど、話してくれてありがとう」
私がお礼を言って頭を下げると、桜木の指先が、机の下でそっと震えていたのが分かった。
「……私たちは何かの意思に従っていたと感じていました。けれど、それが何かはあの日まで分かりませんでした。」
「突然、どうしたの?」
「警察が私のところに来る前、ネットでは資源庁のニュースで大騒ぎになっていました。みのりも特定されて叩かれて……そこで私は、LUXEが資源庁の誰かが噛んでいるって思いました。」
桜木は一瞬息を詰め、唇の端をかすかに噛む。
「当日、みのりも焦っていたんでしょうね。さっきのメッセージに『3より』って表記がありましたけど、内山姉妹にだけ通じる『資源庁の上の人』という可能性がありますよね。むしろそうでないと、普通に資源庁のDBにアクセスできるのもおかしいですもんね。」
桜木はそう言いながら、取調室の天井を仰ぎ見た。
「……彼女…大丈夫ですか?」
私は誰の事か分からずに、机の上で両手を組んだ。
「…みのり、ですよ」
その声には、ただの同情でも、共犯への罪悪感でもない、もっと別の何かがあった。
言葉にできない違和感だけが、胸の奥に残った。
後で知ったことだが、桜木と内山みのりは大学時代の友人だった。
技術が好きだったことから多くの時間を共に過ごしたようだ。
その時間が、罪と正義の狭間で揺れていたらしかった。
ただ、今の私には言葉にできない違和感だけが、胸の奥に残った。
桜木の視線が再び机上に落ちる。
得体のしれないものを感じた私は何も言えなかった。
ただ、取調室の蛍光灯が、二人の沈黙を切り裂くように唸っていた。




