第64話「被害届」
4月30日、午後3時57分
警視庁本部の刑事部長室は、空気が妙に重かった。
御厨が腕時計を見て「……そろそろ時間になりますね。」と呟いた。
ドアがノックされ、秘書課の職員が顔を出す。
「資源庁の方々がお見えです。」
錦が「通してくれ。」と言うと、静かな足音が響き、3人の来訪者が入ってきた。
黒いスーツに国家生殖資源庁の徽章を付けた女性が2人、そしてタブレットを抱えた女性が1人。
「国家生殖資源庁・総合管理局長の秩父です。」
「同じく、システム企画課長の祖母井です。彼女は同課の望月です。」
形式的な挨拶の後、彼らは席に着いた。
錦部長、御厨理事官、山崎係長、そして俺が正面に並ぶ。
御厨が微笑を浮かべながら口を開いた。
「ご足労いただき、ありがとうございます。さて、本日は資源庁の受けた被害の申し出と伺っております。」
秩父局長が頷き、机上の封筒を軽く押し出した。
「はい。我々としては、システム企画課職員による電子計算機損壊等業務妨害罪の被害相談をしたいと思い、参りました。」
祖母井課長は言葉を切り、手元の資料に一瞬視線を落とした。
「職員とは、報道でも取り上げられている内山みのり氏のことでしょうか?」
御厨の声が落ち着いて響く。
「ええ。」と祖母井課長が即答した。
「彼女は、男性データベースの精液ランクを不正に操作し、一部の男性データを意図的に降格させました。一部の病院の医師とも繋がりを持っていたようです。」
「その病院に目星はついているのでしょうか?」山崎が食い気味に訊ねた。
「調査の結果、国立男性総合病院新宿の勤務医ではないかと。こちらも我々、国家生殖資源庁の所管団体が管理しておりますので、薄く繋がりがございます。」
その名を聞いた瞬間、山崎と俺は一瞬だけ視線を交わした。
「同勤務医は現時点で関与不明のため、一時的な自宅待機、及び公表情報の削除を実施しました。」
御厨は淡々とペンを動かしながら言葉を継いだ。
「では、内山みのり氏と、その勤務医との共犯であるとお考えで?」
祖母井課長が、やや声を落とした。
「そこまでは調査が及んでおりません。現時点では、当庁は職員の単独行為と認識しております。先ほどのはあくまで、念の為の対応です。」
秩父局長がさらに続いた。
「ランクの改ざんは重大な人権侵害及び国家資源毀損となりますので、当該職員は然るべく責任を負い、罪を償う必要があると考えております。」
その言葉に、会議室の空気がわずかに変わった。
御厨は手帳にペンを止め、静かに顔を上げ、俺にアイコンタクトをしてきた。
俺は軽く息を整え、確認項目を頭の中に列挙した。
「相談の趣旨は理解致しました。……ですが、被害届の受理には、いくつか確認が必要です。質問してもよろしいでしょうか?」
俺の問いかけに「構いません。」と秩父が低く頷いた。
「まず、電子計算機を使用した犯罪というのは、どの端末が使われたかということと、その端末を使用した人物が、確かにその人だという証明が必要です。そのことについて、客観資料はあるのでしょうか?」
俺の言葉に望月が、持参したタブレットの画面を操作した。
「まず、今回の被害は内山みのりに貸与していたパソコン、及び内山みのりに付与していたアカウントが使われています。当庁の職員は個人で任意のパスワードを設定する運用ですので、本人以外ログインが出来ません。」
画面には資産管理台帳やアカウント管理DBと題された資料が、内山みのりを被疑者だと示していることが分かる。
「内山氏の端末若しくはアカウントのみでしか実施出来ない業務はありますか?」
「週次で動く男性DBに対するバッチ処理が走りますので、その後のログ確認くらいですか。」
望月が思い出すような仕草をしながら答えた。
「では、内山氏が休みの場合はどうするのですか?パスワードを端末に貼付していたり、誰かに伝えていたりしないですか?」
「それは無いと思います。」
「曖昧な回答は不要です。きちんと調査し、回答して下さい。回答次第では今見せていただいた資料は、内山氏の犯行の証明としては使えませんので。この質問は持ち帰りでお願いします。続きをどうぞ。」
俺が続きを促すと、若干険悪な雰囲気が流れた。
「では戻しますと、実際にランク検査結果の更新が可能な病院のネットワークにつなぎ、実在する医師のアカウントを使ってデータベースに更新をかけます。その時のアクセス記録がこちらになります。」
望月がタブレットをスライドさせると、VPNログの抜粋が表示された。
「補足しますが、システム課の職員は更新権限が無く、メンテナンスの場合は更新専用アカウントを複数人立ち合いで使用します。内山は、それを知っていたためこのような回り道をしたのかと思います。」
2025/03/11 23:41:27 user=UchiyamaM
route=vpn.hmn-hosp-shinjuku.or.jp
proxy_account=KURAHASHI_K
operation=rank_update / objectID:B-4563256/ value=D
「こちらが問題のアクセス記録です。我々としては、あくまで個人による不正操作と判断しております。」
俺は、資源庁が個人犯と繰り返すほど、背後の影が濃くなるのを感じた。
「病院のネットワークと仰っていましたが、病院側のアカウント認証で弾かれたりしないのでしょうか?」
俺が確認すると、祖母井は淡々と頷いた。
「はい。このシステムのメンテナンス権限を資源庁が持っていますので、資源庁のIPアドレスからの通信の場合、病院ネットワークへの接続が許可されています。なお、この時の接続先は国立男性総合病院新宿のものと特定済みです。」
俺はさらに確認を続ける。
「わかりました。……これを見ると、改ざん日時が深夜ですが、内山みのり氏が執務室に在室であったと確認できているのでしょうか。」
俺の質問に、望月がタブレットの画面を切り替えた。
「はい、こちらが執務室のカメラの記録と、入退館カードの履歴になります。ここからも内山がまだ執務室でパソコンを使っていたことが分かります。」
「執務室内カメラからパソコンの画面は確認できないのでしょうか。若しくは端末の操作ログとの紐付けはしてないのですか?例えば起動アプリケーションの日時や、アクティブウィンドウ名の収集する監視ソフトは入れてないのですか?」
俺の疑問に、祖母井は望月に視線を送り、望月は冷や汗をかきながら回答した。
「そ、それは、現在確認中で、回答が出来ましたらお持ちします!」
そこまで聞いていた御厨が短く息をついた。
「わかりました。被害届を作成します。ただし、今後の捜査で共犯関係や庁内指示が確認された場合、庁外関与の線として捜査を拡大しますが、その際はご協力頂けますか?。」
秩父局長の瞼が一瞬だけ動いた。
「当然です。我々も、真実の解明を望んでおります。出来ることは何でも協力いたします。」
「もう一点だけ。」御厨が穏やかに続けた。
「内山氏の不正操作によって、保護対象となる男性の地位や生活に実害は出ていますか?」
「現在調査中ではありますが、少なからず降格後に影響が出ていると思います。精液提供時の報奨金支払いもなければ、単価の安いSPに切り替わることもあります。現在、庁内では再評価が進めていますが、被害はそれなりかと。」
秩父局長が言い終えると、山崎は小さく舌打ちし、ぼそりと呟いた。
「つまり、人の人生を改ざんしたってことか……。」
聞こえていなかったのか、秩父局長は表情を変えずに、ゆっくりと書類を差し出した。
「こちらが今回の被害を証明する各種書類関連になります。内山の人事データも含まれております。不足があればお伝えください。何卒宜しくお願い致します。」
御厨が静かに受け取った。
「確かに受けとりました。では、被害届にご署名と押印をお願いします。」
秩父局長が署名押印を済ませると、立ち上がり、軽く頭を下げた。
「ご協力、感謝いたします。」
三人が退室し扉が静かに閉じると、残されたのは、沈黙だった。
「御厨理事官、山崎係長、佐藤主任」
錦が、重い空気の中で口を開いた。
「監禁事件の方で大変だとは思うが、関連する事案だ。よろしく頼む。」
御厨が黙ってうなずいた。
「そして、資源庁は何か裏がありそうだ。言葉の端々から、個人犯にしたいというこだわりを感じた。」
錦がさらに言葉を続ける。
「私はね、裁かれるべきものは全て司法の場で判断を受けるべきだと思っている。君たちも同じ気持ちで捜査に当たってくれ。」
錦の言葉を聞き、俺たちは声をそろえて「了解」と返事をした。
その言葉を聞き、錦が少し微笑んだ。
「我々が遂行する職務が人のためになることを期待しているよ。」
一部修正(11/13 8:21)




