第62話「捜査事項」
宴から一夜明け、時計は午前7時15分を指していた。
庁舎の窓から射す光はまだ白く冷たい。
昨夜の喧騒が嘘のように、特務捜査係の部屋は静まり返っていた。
蛍光灯の白が紙の端を照らし、みそ汁とコーヒーの香りがわずかに混ざる。
作成された報告書の山は、まるで冷めかけた熱気を封じ込めたように、机の上に積み上がっていた。
ガチャリと扉が開き、眠たげな目をした山崎が入ってきた。
「……おはよう。」
「おはようございます、係長。」
俺と中村が同時に顔を上げる。
「二人とも早いな。昨日あれだけ飲んで、ちゃんと帰れたのか?」
山崎は机の横にカバンを置きながら、疲労の混ざった声を落とした。
俺は口に含んでいた味噌汁をごくりと飲み込む。
「帰ってません。中村主任と俺はここで泊まりました。」
一晩寝ても、頭の奥のざらつきは取れなかった。
「は? お前ら……本気か?」
山崎の眉がぴくりと動いた。
すかさず中村が笑いながらフォローを入れる。
「係長、誤解しないでください。私はここ、佐藤主任は15階の男性専用宿直室です。第一、佐藤主任が一線超えさせてくれるはずがないです!」
まだ酒が残っているのか、少し顔を赤くする中村。
「ならいい。後半部分は聞かなかったことにする。」
山崎はため息をつき、報告書の束をトントンと揃えた。
「さて、時間前だが仕事は山積みだ。整理しよう。」
「そう言われると思って、ひとまず整理しておきました。」
俺はそういって、自分のタブレットの画面を投影した。
<必須捜査事項>
・LUXE開業から現在の形に至った経緯
・男性を詐欺で借金漬けにし、違法風俗に落とす計画の立案者
・精液ランク降格時の検査結果等詳細
・桜木がデータ改ざんの指示を受けた人物
・倉橋医師のページが削除された理由
・LUXEの被害者男性選定方法
・LUXEの売上金の流れ
・LUXEと倉橋医師との関係性
・・・
「これが現時点で明らかにすべきことですね。過不足あれば教えてください。」
「……ま、まぁ、概ね認識は一致しているな。」
冷や汗をかきながら山崎が答えると、中村が言葉を続けた。
「内山いのりから聴取できそうなところは、取調べ内で聞くようにします。」
「お願いします。」
俺は山崎に向き直った。
「あと、後藤部長と森下さんは『被害者支援課』に行って、監禁被害男性の昨日の聴取状況を収集中。水越さん達が昨日押収した証拠品を解析中となります。」
「報告助かるよ。」
その時、部屋の端で点けていたテレビから資源庁の名前が聞こえてきた。
<一昨日の夜に発覚した資源庁男性DB回収問題ですが、昨晩資源庁から詳細な説明がありました。>
中村がリモコンでボリュームを上げ、俺と山崎はテレビに向き直った。
<資源庁によりますと、システム企画課の職員が男性DBの欠陥に気付いていながら報告を怠っていたため、31万人中2741人の情報が誤登録の可能性があることがわかりました。>
<日本の男性の約1%に対して誤登録がなされたということで、前代未聞の騒ぎになっています。また、報告を怠っていた職員は4月上旬から謹慎処分を言い渡されていたとのことです。>
<またこの職員は、謹慎中にも関わらず海外旅行を企てており、資源庁が羽田空港で出国停止をさせたという情報もあります。実際に職員が飛行機から降ろされる瞬間の撮影に成功しましたので、こちらをご覧ください。>
画面には、内山姉妹が揃ってスーツ姿の女性たちに囲まれている映像が流れた。
ネットを軽く見たら、すでに資源庁の『内山みのり』であることが特定されていた。
資源庁よりも内山みのり自身にヘイトが向かっており、パッと見ただけでも数百の殺害予告が並ぶ。
こんな映像を撮って流したメディアが焚き付けすぎているな、と思っていると山崎がつぶやいた。
「内山みのり、資源庁の監視下にいたら、うちが接触できないかもしれんな……」
画面の中で俯いた彼女の目は、何かを諦めたように見えた。
その瞬間、背筋に微かな寒気が走った。
中村がテレビを消し、静寂が戻った。
「……これで資源庁の上層は、完全に内山みのりに全てを押し付けるでしょうね。」
中村の呟きを聞き、山崎は腕を組み、深く息を吐いた。
「そうだな。『謹慎中にしていた職員による不祥事』で片付けられる。そうすれば、データ改ざんも全部彼女の単独犯にできる。」
「つまり、本当の黒幕が居たとしても、分からなくなる、と。」
俺は資料を閉じて天井を見上げた。
「係長、……終わらせませんよ。」
俺の声に山崎が振り向く。
「資源庁の発表が正しいなら、そもそも4月中の男性DB利用制限に理由が付されていたはず。御厨理事官が前に言ってた通り、間違いなく資源庁は、私たちと社会を煙に巻こうとしている。」
その時、俺たちの端末にメール受信音が響いた。
山崎、中村、俺はそれぞれ自席に座り、確認すると水越からのメールだった。
<LUXEのメイン端末の操作履歴に、病院経由で資源庁体外受精DBへのアクセス有。添付ファイル参照。>
資源庁の管理するDBはいくつかあるが、体外受精DBはその名の通り、どの精液がどの女性に、いつ使われたかを記録するものだ。
交配権等管理法により、出産適格女性には国家が「交配権」を与え、ライセンス制で管理しているため、「交配権」を履行する女性は国の認可を得た病院(供給権者)で体外受精等を実施できる。
採取から交配まで、資源庁が一元管理しているため、どの精液がどこにあるか、国家はすべて把握できる。
それを『精液トレーサビリティ』と呼ぶ。
俺が添付ファイルを開くと、そこには確かに、LUXEの端末から資源庁の体外受精DBへのアクセスが記録されていた。
2025-03-14 23:41:28 Microsoft-Windows-Security-Auditing [5156]
The Windows Filtering Platform has permitted a connection.
Application Name: C:\Program Files\LUXE\ClientApp.exe
Source Address: 192.0.2.45 Destination Address: 198.51.100.27:443 (vpn.hmn-hosp.go.jp)
2025-03-14 23:41:31 VPNClient [Connection Established]
User: LUXE_Admin Tunnel: vpn.hmn-hosp.go.jp Assigned IP: 198.51.100.112
Authentication Method: Cert+AD (倉橋和美)
2025-03-14 23:41:45 Microsoft-Windows-Security-Auditing [5156]
Application Name: C:\Program Files\LUXE\ClientApp.exe
Destination Address: 203.0.113.42:443 (ivf-db.mhlr.go.jp)
User: KURAHASHI_KAZUMI (Domain\MHLR)
「……VPN経由で庁の体外受精DBにアクセスしてますね。」
俺が画面を覗き込みながら言った。
「んー……ログの生データだけ送られても私にはさっぱりだ。どこの病院だ?」
画面を見ながら険しい顔をしていた山崎が質問した。
俺は山崎に近づき、画面に表示された最後の行を指で示した。
「国立男性総合病院新宿です……しかも、経由するときに倉橋和美のアカウントに切り替わっています。」
「倉橋……和美……」
山崎の声が低く落ちる。
「やはり、彼女を追いかけるしかないか。」
部屋の空気が一瞬にして張り詰めた。
蛍光灯の光が報告書の束に反射し、まるで白く光る刃のように感じた。




