第61話「某庁連絡会議」
= 国家生殖資源庁 =
日本の内閣府の外局として設置された、国家最重要機関のひとつ。
理念はただ一つ、『精液を国家資源とし、その安定供給を確保すること』。
精液の採取・保存・人工授精スケジューリングを一括管理し、成功率、遺伝的多様性、男性の健康状態に至るまで統制する。
各局長を取りまとめる『対策官職』を省庁としては唯一設置しており、資源庁における対策官は現在4席。
「保護対策官」…男性の健康状態、男性の保護制度、男性の人権問題対策等を統括。
「供給対策官」…精液の採取から人工授精までと関係法規を統括。
「管理対策官」…資源庁が保有する膨大な情報の管理、またはそれを活用した各種施策・システム運用を統括。
「調査対策官」…男性保護に関する国内外における動向調査部門、男性人権問題に対するテロリズム調査、及びその他部門を統括。
庁は不正流通を摘発する特別権限を持ち、警察庁へ出向する捜査員は「生殖特捜」と呼ばれる。
生殖特捜には限定的ながら独自の捜査権が付与され、警察庁の一部業務を上位監督する立場にある。
= 以上、インターネット百科事典より =
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午後の光が、会議室の分厚いガラスを斜めに射抜いていた。
真っすぐに伸びたカーテンの影が、机上の資料を幾重にも断ち切る。
香りの強い紅茶の湯気だけが、張り詰めた空気をかろうじて和らげていた。
今日は月に一度の庁内連絡会。
向かい合う椅子には、国家の根幹を握る女たちが静かに腰を下ろしている。
「山崎さん。あなたの御息女、随分と活躍しているようね。」
軽やかな声だが、皮肉の棘が隠されている。
声の主は、国家生殖資源庁・管理対策官、福田弥生。
穏やかな微笑みの裏に、官僚特有の冷たい支配欲が透けていた。
「そう?でも、何のことかしら。」
応じたのは、白髪まじりの髪を丁寧にまとめた女性。
山崎玲奈の母、国家生殖資源庁・調査対策官、山崎澄玲。
その笑みには、警戒と計算が見え隠れする。
「例の『LUXE』を潰したそうじゃない。」
「LUXE?……それが何かを存じませんね。」
山崎は呆れたような口ぶりで、さらに言葉を続けた。
「仮に、ウチの不出来な娘に潰されるモノなら、必要ないと言うことでしょう。心底、恥ずかしい話だわ。」
「恥ずかしい」と軽く言い放つ声の薄さが、逆に重く響いた。
室内の空気が、わずかに冷えた。
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「全員、揃っているな。」
低く鋭い声が場を裂いた。
誰もが一斉に背筋を伸ばし、「はい」と声を揃える。
従順と演技の境界が曖昧な、異様な統制感。
「定例報告を聞く前に一つ。どうやら警視庁が、我々を嗅ぎ回っているとの噂がある。」
一拍の沈黙。
すぐさまそれを裂くように、声が続く。
「さて、どうしてくれようか?」
芝居がかった調子の裏に、抑制された怒りが滲む。
「警視庁など所詮、地方自治体の下部組織。圧力をかければ、すぐ沈むわ。」
誰かがどうでもいいと言うように吐き捨てた。
「私の下に出向してた御厨とかいう警視庁職員もそこそこ上層部にいますし、ウチから向こうへの出向者もいるでしょう?使える駒は多いかと。」
福田が紅茶を一口含み、静かに言った。
「男がいなければ国は滅びる。男を管理する我々に逆らうなど、国家への反逆よ。」
誰かがくすりと笑った。
その湿った笑いが、室内に低く響く。
「ただし、厄介なのはプログラム拒否男だ。警視庁捜査第一課で中心的に動いているらしい。」
女たちの視線が交錯する。
「まったく、子種を出すしか能のない男が、何を勘違いしているのかしら。」
「なら、その男を治安の悪い女性区がある警察署にでも回せばいい。泣いて戻ってきたら、『再教育プログラム』の出番ね。」
その提案に笑い声が重なる。だが誰も冗談だとは思っていない。
「ふふ……面白い。」
支配と排除を愉しむような笑いが、低く落ちた。
この会議では、それが最も日常的な音だった。
「ただ、相手は男だ。既に手籠にしてる女がいれば逆効果だ。」
沈んだ声が、冷たく室内を満たす。
「露骨にやれば警視庁の内部で反発が出る。奴らは男一人を旗頭に仕立てかねん。」
「沈静化は我々のやり方で。目立たず、静かに。」
ためらいのない声。
制度と倫理を、目的のために自在にねじ曲げる者の声だ。
「それと、報道が過熱しているウチの男性DBシステムの件だが…」
「既に対策を打つよう、警視庁の御厨という者に根回ししています。近いうちに被害届を提出し、受理されれば……あとは『芯』を断つだけ……」
その言葉に、誰も息をしなかった。
芯、それが何を意味するのか、全員が理解していた。
「我々には秩序の維持という大義がある。」
低い声がなおも響く。
「外には国のためと見せればいい。それで十分。」
頷く音だけが続く。
秩序という名の麻酔が、静かにこの空間を覆っていった。
窓の外では、夕陽が街を赤く染めている。
だが、この部屋の空気だけは光を拒んでいた。
一度踏み込んだら戻れない地点だと、彼女たちは、誰よりもよく知っていた。




