第59話「消失」
「まさか、監禁で4人パクることになるなんて、昨日はそこまで思わなかったな。」
山崎の声が、エンジン音の低い唸りに混じって社内に響いた。
その声には興奮よりも、張り詰めた疲労の色があった。
俺と山崎は、後藤の運転で庁舎に戻っている途中だった。
日時は4月29日、午前6時18分。
まだ捜索差押中の現場もあるが、全現場で逮捕状が執行された後だ。
「発足1か月の少人数係とは思えない成果で驚いているよ。」
想定外の事態が起こりすぎた感じはある。
しかし、周りの協力もあり、なんとか乗り切れた。
「逮捕はまだ始まりですよ。これから送致手続きもありますし、裏付けもスピード感が求められますし、強要罪や詐欺罪もあるので再逮捕の準備もあります。」
「相変わらず佐藤主任らしいコメントだね。」
山崎は軽く笑ったが、その口元には言葉にしない落胆の影が落ちていた。
まるで、何かの期待が外れたあとの諦めにも似た表情だった。
「ひとまず戻るまでは、桜木の最後の言葉を振り返ることにします。」
俺は膝の上のタブレットを軽くスワイプし、SPの法人名を順に並べてみた。
『株式会社KZM』
『クシハラ有限会社』
『株式会社みくら』
会社部分を除くと『KZM』『クシハラ』『みくら』。
並べて眺めると、ぱっと見はばらばらの羅列だが、何かが引っかかる。
俺は頭の中で音節と記号を繰る。
KZM――かずみ。
クシハラ――くらはし。
みくら――み・くら、くら……み
小さな違和感が、次第に輪郭をおび、俺の脳裏に浮かんできた。
そう、倉橋の横顔だ。
白衣の隙間から覗く淡い肌、無機質な声、そしてあの時の言葉。
『それでは、また、どこかで。』『まだ、背中は痛みますか?』
その声が、今も耳の奥で微かに残響していた。
俺は思わず独り言を呟いた。
「あー、これ全部、倉橋和美のことを指してたんですね。」
隣に座っていた山崎が俺のタブレットをのぞき込んだ。
「桜木が出したヒントの答えが、倉橋和美という人物だと?」
「ええ、倉橋和美医師。国立男性総合病院新宿の勤務医ですよ。」
俺の言葉に山崎は目を見開いた。
「それって、あのランク降格診断が下りた病院か。……繋がってきたな。」
山崎は低く呟いた。
けれど、その声音の奥に、微かに迷いのようなものが混じっていた。
「係長、大丈夫ですよ。……俺たちは、まだ前に進めます。」
そう言って、俺は画面の検索窓に「倉橋和美 医師」と入力し、勤務先と所属部署を再確認した。
表示されたのは「国立男性総合病院新宿」。
だが、リンクを開いた瞬間、違和感が走る。
「おかしいですね。『倉橋和美』の医師紹介ページが消えています。」
「削除?」
「Wayback Machineという昔のwebページを保管しているサイトには残っているので、間違いなく昨晩から今朝の間に消されています。」
「本人の異動か、それとも……情報の消去か。」
「本人はそんなこと言ってませんでした。突然何かがあったんだと思います。」
俺の発言に山崎は目を丸くした。
「昨日、その医者に会ってたのか!?」
「メンタル検診で。ちょうど私の担当医だったので。でも、あのときの様子、今思えば少し変でした。」
「どういう意味だ?」
山崎が眉をひそめる。
俺は思い出しながら、ゆっくりと言葉を選んだ。
「4年ぶりの診察でしたが、これまでの淡々としている雰囲気ではなく、妙に饒舌で。後、私の脳波を見て『調教済みみたい』と言ったりしてました。」
「調教って、あんた、医者と患者のアブナイ関係か?……いったぁぇ!」
揶揄うように言う後藤に、山崎が運転席越しに蹴りを入れた。
「後藤部長はホント学習しないな?…と、それより調教というのが気になるな。」
「あと、私と同じ波形の人を昔1人だけ見たことがあるとか。モニターには一瞬だけ“住”の文字が見えたような気がします。」
山崎が俺の襟首を掴み、顔をぐっと寄せてきた。
「ほんとか!?ほんとに見たのか!?」
その目は、怒りよりも焦燥に近かった。
山崎はそう言いながら俺の首を前後に振る。
「係長、落ち着いて下さい。一体どうしたんですか。」
優しく諭すと、山崎は急に止まってしまった。
自分のしたことに後悔をしてるのだろうか。
車内の空気が、一瞬止まった。
「係長さ、ほんとは行方不明事件を追いたいんじゃなくて、住田を追ってるんじゃないの?」
後藤がバックミラー越しに視線を送る。
「前、LUXE潜入してた中村を待ってた時に言ってたでしょ?行方不明になった知り合いがいるって。それ、住田なんでしょ?」
山崎が最初に持ってきた行方不明者リスト。
その中で未だ見つからない『住田正人』という男性。
「……佐藤主任、先ほどはすまない。……後藤部長、悪いが答えたく無い。」
山崎は後藤の言葉を受けて俯き、小声で言った。
「答えたく無いなら聞かないよ。ただ、話すべき時には話してよ。」
車内に沈黙が落ちた。
それは気まずさではなく、互いに越えてはいけない線を確認し合うような静けさだった。
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沈黙のまま、車は庁舎の地下駐車場に入った。
蛍光灯の白い光がフロントガラスに反射し、誰も口を開かなかった。
後藤がエンジンを止める。
低い唸りが消え、代わりに耳鳴りのような静寂が降りた。
「すまない、私は少しだけ一人になりたい。報告は後で共有する。」
山崎がようやく口を開いた。
しかし、その声はとても小さかった。
そう言って、山崎はドアを開けら足早に去っていこうとした。
「係長、夕方には戻ってきて下さいね。」
俺の言葉に振り向かず、去っていく背中に、それ以上の声はかけられなかった。
「……あの人、やっぱり住田に何かあるんだろうね。」
後藤の言葉が、空気を少しだけ重くした。
俺はタブレットを開いたまま、『倉橋和美』の文字を医師登録データベースで検索した。
<該当する情報は見つかりません>
昨日まで医師として勤務していた者が完全に消えている。
俺は無意識に背筋を伸ばした。
『それでは、また、どこかで。』
まさか、最初から覚悟していたのだろうか。
自分が消えることを。
第五章「X」は、次の話で終わりです。その後は第六章に入る予定です。




