第58話「陥落」
「桜木真冬さん。」
俺はなるべく低い声でゆっくりと話しかけた。
「ん?おとこ?」と言いながら桜木は静かに目を上げた。
「そうです。性別は男性ですが、警視庁の捜査第一課で勤務している佐藤と言います。」
桜木は、俺の頭からつま先までなめるように視線を往復した。
「へぇ、国家資源様なのに刑事ですか?珍しいですね……あっ、不能で役立たずの方でしたか。」
明らかにコミュニケーションを取ろうとする相手を怒らせようとしている。
プライドが高く、怒らせることで相手をコントロールするタイプか。
俺は黙って桜木の観察をする。
「図星でしたか。それは失礼しました。でもご自身の居場所があって良かったですね。」
恭しく頭を下げる桜木に、俺は声のトーンを普段に戻して答えた。
「失礼しました。お綺麗な方で見惚れて返事が遅くなってしまいました。……ちなみに、不能かどうか試してみます?」
俺は、桜木の挑発に、わざと同じ調子で微笑みを付けて返した。
すると、桜木は真顔に戻ったが、少し頬が紅潮していた。
「……面白くない冗談ですね。」
「私は結構、本気で言ってたんですよ?博愛主義なので。」
そう言って両手を広げ、ハグを受け入れる体制になる。
桜木はふっと「男のくせに」と鼻で笑い、視線を窓の外に逃がした。
朝日がうっすらとカーテンの隙間から差し込み、彼女の頬を照らす。
その光で、彼女が耳まで赤くなっていることが分かった。
俺は敢えて何も言わず、ゆっくり桜木に近づいて笑顔で顔を覗き込んだ。
そして、沈黙が15秒ほど続いた。
「……で?私に何を聞きたいんです?」
先に折れたのは目を背けた桜木だった。
「桜木さんが、なぜあの時間にLUXEのメイン端末を削除しようとしたのか。」
「しようとしたですか。したではなく?」
桜木は、唇にわずかな笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「それに人が何かを消すのに、不要になった以外の理由が必要ですか?」
そう言いながら、桜木は肩をすくめた。
「暗号化をかけてまで緑川さんにデータを送り、指示をした人の答えじゃ無いですね。」
「……ふふ、女はたまに理屈の通らない事をするものですよ。まだ若い男のあなたには分からないと思いますけど。」
一瞬、彼女の目が細くなる。
そこには警戒の色が浮かんでいる。
「桜木さんは理性的に見えますから、そんな理由では無いと思ってますよ。例えば、LUXEの端末にアクセスした後、指示があったらどうでしょうね。」
「…指示って?」
桜木の顔が曇った。
「例えば最初の削除は自己判断。そしてその後、誰かがあなたにデータのこの部分を指定して『消せ』と言った。そんな気がするんですよ。」
桜木は笑いながら、唇の端を指でなぞった。
「それはあなたの想像でしょう?何を見てそんなこと言ってるのかしら。」
「あなたの振る舞いですかね?」
「何の話をしているの?」
桜木は先ほど浮かべた笑みのまま聞き返してきた。
「うちの優秀な解析屋が言ってたんですよ。『本当に消す必要があったら、winterアカウントが止められた後、rootなりで再度ログインを試みるはずだ』ってね。」
桜木の表情はいまだに変わらないため、俺は話を続けた。
「それを事件屋である私が聞くと、『データを不自然じゃ無い形に改ざんしろ』と後から命じられた。しかし、時間が無かったため、通信傍受ケアでデータを暗号化して緑川さんに頼んだ。という展開なのかなぁと。」
桜木が口を開いた。
「仮にそうだとして、あなた方は証明出来ないのではないですか?『医療ゴミの廃棄手続き違反に関する情報は無いから押収できない』と、そこの解析屋さんが呟いてましたよ?」
そう言いながら桜木は水越を指差した。
部屋の空気が凍り、誰も口を開かない。
俺は10秒ほど待って、こう言った。
「…なるほど。では、まぁ、今のは小僧の妄言ということで。事件屋のやり方をお見せしますよ。」
俺は後ろに控えていた横峯に目で合図をした。
「横峯、執行、よろしく。」
横峯が封筒を持ち、桜木の目の前に立った。
「……桜木さん、あなたの居宅に捜索差押許可状が出ています。」
横峯の静かな声に、桜木は初めて狼狽えたような表情になった。
「LUXEにおける男性の監禁、それに付随する国家資源の毀損。LUXEのスタッフであるあなたなら、何のことかわかりますね?」
淡々と説明する横峯とは正反対に、桜木は徐々に余裕がなくなっているように見えた。
「では、4月29日、午前5時48分。桜木真冬宅の捜索差押に着手。関係する証拠品ということで、パソコンなど含めて押収しますから。」
今度は、言い訳をする様子はなかった。
「そして、押収の後はこちらです。あなたに対する監禁罪及び国家資源毀損罪での逮捕状です。」
もう桜木は抵抗する意志を失ってるように見えた。
「4月29日、午前5時52分。桜木真冬を逮捕!」
横峯が桜木に手錠をかけると、桜木の目に涙が浮かんでいた。
「今後、今の罪についてきっちり話してもらいますから。」
俺がそういうと、桜木は小さく笑った。
「男の事件屋さん。私達のこと調べあげたんでしょう?なら、疑問は湧かなかったんですか?」
桜木は腰縄を付けられながら、俺の目をまっすぐに見つめてきた。
「私達のSP時代の会社名、変な名前が多いなぁって。」
その一言を言うと、桜木は目を閉じ、もう何も語らなかった。
俺は深く息を吸って窓から外を見ると、夜が完全に明けようとしていた。




