第57話「対峙」
4月29日、午前5時15分。
裁判所で無事令状発布された俺たちは、桜木宅へ向かうため車に揺られていた。
「でも、技官の先生がもうデータが無い可能性が高いって言って、存在するデータは保全したんだろ?あたしら行く必要なくね?」
運転しながら後藤が不満をこぼした。
「それは私も気になっていた。佐藤主任が現場出るより、本部で受け入れ態勢整えた方が効率いい気がすんだが。」
山崎も俺が現場に行くメリットが無いと指摘した。
「いや、実は、桜木宅に行くのには理由がありまして。彼女の話を聞き、話をしたいんです。」
「ん?どういうことだ?」
隣に座っている山崎が首を傾げた。
「皆さんの配慮で男の私でも捜査が許されています。しかし、女性被疑者の取調べは出来ないでしょう?」
「それは当たり前だ。佐藤主任を被疑者と同じ部屋に入れるなんてありえない。たとえ相手が腰縄をしてたとしても、襲われたり、精神が不調になったら国益を損なう。」
山崎の言う通り、俺は特務捜査係員がSP適正があるためある程度自由に捜査出来ているが、こと取調べに関しては許可されていない。
出来ることは取調官が仕上げた供述調書や聴取した結果を聞くだけで、生の温度感は分からない。
「内山の取調官は中村主任ですので信頼しています。しかし、人員資源の問題で、桜木の取調官は特務捜査係《ウチの係》が担当できません。桜木が今回逮捕する4人の中で一番手強く、そして鍵になると思っています。」
「だから、その前に現場で聞けるだけ聞こうって腹か?」
じろりと山崎の目がこちらを睨む。
「はい。弁解録取手続に入ったら私はもう桜木と話せません。その後の取り調べが滞ってもどうやって話を引き出すか指示が出せないかもしれません。それだけは避けたいです。」
後藤が鼻を鳴らした。
「取調官の領分に口出すつもりか?」
「そういうつもりは微塵もありません。それに、桜木の取調官は私の顔なじみですから、分かってくれると思います。」
俺はそこで一度息を吸った。
「あとは私のワガママです。直接見て感じておきたいんですよ。あの水越さんを焦らせた桜木がどんな人間なのかを。」
ここで一拍、呼吸を整えた。
「そして、取り調べっていう捜査の醍醐味を味わいたいんですよ。」
短い沈黙が流れた。
山崎がため息をつきながら窓の外を見た。
「佐藤主任らしいな。……まあ、気をつけてくれ。私も桜木が断トツで面倒だと思っている。」
後藤も口を開いた。
「なんでも自分で背負うな。あんたは十分やってる。ただな……取調官のプライドも、壊さないでやれよ。」
いつものような揶揄う声ではなく、後藤は優し気な声だった。
「分かってます。」
俺は小さくうなずき、窓の外で流れる街灯を眺めた。
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午前5時41分。
マンションに到着すると、玄関で古賀が待っていた。
部屋に案内されると、中は雑多な状態になっており、部屋の真ん中の椅子に桜木真冬が俯いて座っていた。
桜木の隣には担当取調官の横峯奈美が立ち、桜木に話しかけていた。
「あれ見てわかる通り梨の礫でよ。ずっとあんな感じだ。」
親指で桜木を指しながら、古賀がぶっきらぼうに言った。
「あっし相手じゃ馬鹿にした態度だし、技官の先生相手じゃよくわかんねーことばっか言ってやがった。やっこさんとても初犯に見えねえ肝の据わり方だよ。」
「わかりました。少し私が話ても?」
「あんたらが元立ちなんだから、いいに決まってる。」
古賀に促され、俺は桜木の隣で話かけ続けていた横峯に声をかけた。
「横峯、久々だな。ちょっと変わってくれ。」
横峯は俺の顔をみるなり、げんなりした表情を浮かべ、顎で了解を示した。
「じゃあ、桜木さん。私はまた後で来るね。」
そう言って横峯が離脱する際、俺の耳元で「久々だね。初めての完全黙秘で正直私も参ってた。助かる。」と呟いた。
俺は小声で「捜索差押許可状と逮捕状発付されたから後ろで受け取ってくれ。あと、『だし醤油』、また頼むな。」と横峯に伝え、桜木に向き直った。
その時には、被疑者と対峙する際の心構えができていた。




