第56話「水越千早:矜持」
「すみません!今到着しました。」
私と若葉が到着すると、捜査員達が家中を捜索していた。
「早かったな。早速頼む。」
そう言って私を案内したのは身長180㎝は超えていそうな大柄の捜査員だった。
それが、桜木班の現場責任者である古賀主任であることはすぐに分かった。
「SSBCの水越です。端末の状況等確認します。」
「よろしく頼む。あっしはパソコンはからっきしでよぉ。うまくやってくれりゃそれでいいから。」
そう言った古賀の声色は優しいが、表情は全く笑っていない。
「了解です。」
私は、部屋の中を見回して確認した。
ノートパソコン2台にタブレットが1台。
片方のノートはベタベタとステッカーが貼ってあり、いかにもエンジニアの端末といった雰囲気。
画面には〈winter account suspended.〉と表示されていたため、私は瞬時に、LUXEのデータの削除をした端末と特定した。
「若葉、ギークっぽい端末よろしく。多分私があっちでリボークした後に接続しようとした奴だ!電源落とさずRAMダンプ先行!そのままディスクもイメージ化して!!」
「わかりました!」
「若葉、保全は“早く”より“正確に早く”だ。焦らず急げ!」
若葉は普段の小動物のような雰囲気とは打って変わって、てきぱきと保全をこなす。
「ふーん、リモートワイプちゃんを現場で殺したのあんたなんだ。」
私の後ろから色白の女が話しかけてきた。
これが桜木真冬か。
「勝手に技官の先生に話しかけてんじゃねーよ。」
私が反応するより先に、古賀が桜木を静止した。
その隙に、私はもう一台の端末をのぞき込んだ。
そのシンプルな銀の端末には〈winter process completed.〉と記載があり、何か作業をしていたようだ。
私は画面のスクリーンショットを取りながら、カーソルの動きを慎重に追った。
プロセス一覧を開くと、実行履歴の中に不審な行がひとつ残っていた。
〈remote_wipe.exe〉:実行時刻、午前2時53分。
「こっちの端末が最初にリモートワイプかけた方ね。」
私の声に若葉が反応する。
「じゃあこっちもライブでイメージ取りますね。向こうは仕掛け終わったのでお任せを!」
若葉が自分の胸をドンと叩き、それにむせながら作業を始めた。
私は残る一台のタブレットの画面を見て驚愕した。
〈Winter: data locked …and transferring 〉
データを暗号化しどこかに逃がしたという表示、私がタブレットにキーボードを付け、プロセスを確認していく。
〈WinterTransfer.exe〉で実行時刻は午前3時28分。
「……さっきの時刻に…転送?」と、思わず、声が漏れた。
「どういうことだ、水越係長。」
私の呟きに対して、古賀が後ろから低くうなった。
「桜木は3時28分に何かを転送してます。何をどこに転送したのかは、すぐには分かりませんが。」
「おい、それってあっしらはもう捜索差押着手してんぞ!桜木にパソコンなんて触らせてねーぞ!」
古賀が必死に弁解していた。
私は可能性のある箇所を素早く確認した。
「タイムスケジューラも登録が無い。バッチでtimeoutコマンド使った記録もない。」
私は現場での不測の事態に混乱した。
「ふふっ、警察組織は10年遅れてるって良く聞くけど、ほんと見たいね。そんな時代遅れなもの使わないでしょ。」
桜木の笑い声を聞き、さらに混乱した。
「古賀主任!着手時の状況を教えてください!」
「お、おう。羽交い絞めにしてた桜木を開放して捜索着手を伝えて、んー、あーっと、桜木が何か飲んでたくらいか?」
私は机の上を見ると、カードリーダーのような器具に飲みかけのコーヒーが入ったマグカップが置いてあった。
「まさか、これ?」
マグカップを手に取り、下を覗くとシール型NFCタグが貼ってあった。
「NFCタグを認証に使ってる?時間のかかる処理が終わったタイミングで送信出来るように、端末が定期ポーリングしてて、タグを近づけた瞬間に鍵渡してるってこと!?」
「気づいたんですね。いやはや、埃被ったロートル技官ばっかりって訳でもないんですね。」
桜木は私の集中をかき乱そうとしていることが分かった。
ここで状況を正確に把握しなければ、重大なデータを見落としてしまうかもしれない。
桜木には耳を傾けず、私はログを遡り、ネットワーク接続履歴を確認した。
VPN経由でどこかの端末に何かを転送している。
自作業のしかけが終わったらしい若葉が私の肩から画面を覗いて呟いた。
「水越さん、これ…… 自宅サーバを中継ノードにして、そこから暗号化トンネルで別ノードへ飛ばしてます。多分、海外VPNを経由して目的地に繋げてます。」
「でもその先が特定できない。……どうしたら」
私達が焦っている横で、古賀は黙って桜木を振り返る。
彼女は床に座り込み、静かに目を閉じていた。
古賀が床が軋むほどの足音で桜木に一歩近づいた。
「お前、どこに送った。」
その唇が、かすかに動く。
「忘れちゃった。」
その言葉を受け、古賀が舌打ちをし、壁を拳で叩いた。
「ふざけんな。どこだ。」
乾いた音が、白い部屋の中に反響する。
桜木はゆっくりと目を開け、薄い笑みを浮かべた。
古賀がさらに桜木に詰め寄ろうとしたその時、若葉が小さく叫んだ。
「水越さん!タブレットが……!」
少し目を離していた桜木のタブレットの画面に白い英字が次々と流れる。
〈Transfer complete〉
〈Bridge connection closed〉
〈Next Node: Green〉
「……Green?」
私は思わず声を出した。
「もしかして…緑川かも…」
瞬間的に古賀が顔をしかめ、無線機を掴んだ。
「佐藤!今どこだ!?緑川のとこに怪しいデータが飛んでる!」
『え、どういうことですか?』
「水越からメッセージ送らせるから!」
その瞬間、現場の空気が一気に張り詰めた。
桜木はゆっくりと立ち上がり、呟くように言った。
「……あの子は優しいの。だから、きっと全部引き受けちゃう。」
私はその呟きを聞きながら、急いで佐藤宛のメッセージを作成する。
もちろん、『この現場での保全はもう意味が無い』という可能性を添えて。
私の脳裏に、『水越さんが辣腕を振るう姿を間近で勉強したいだけですよ』という佐藤の言葉がこだました。
技術者として保全作業を放り出すなんて、その姿とはかけ離れてて、本来あり得ないだろう。
けど、今はもう“証拠”より“防止”を優先すべき。
次の捜査に繋げるために。
それが、警視庁に出向し、警察官の身分となっている今の私の矜持なのだから。
出向者は身分が変わるが、マインドまで変わるのはなかなか難しいと思っています。
その切り替えができる人を尊敬します。




