第43話「前夜祭」
夜の庁舎は、まるで死んだように静まり返っていた。
廊下の蛍光灯が一つおきに消され、残った明かりが白く床を照らしている。
時刻は22時半を回った。
明日の突入を控え、残務整理をする者、装備を確認する者、誰もが声を潜めていた。
俺は端末の画面を見つめながら、倉橋の「まだ背中は痛みますか?」という言葉を反芻していた。
四年前、前世での最後の記憶、そのことを俺は彼女に言っただろうか。
考えれば考えるほど、背中の皮膚が焼けるようにむず痒くなった。
まるで、あの日に刺された傷をこの異世界に持ち込んだかのように。
「おーい佐藤、何ひとりで固まってんのー!」
後藤の声だった。
コーヒーを片手に、にやにやしながらこちらを覗き込んでくる。
「……準備をしていただけです。」
「準備ってさ、今日くらいは寝ときなよ。明日から地獄なんだから。」
「山崎係長も中村主任にも言ったらどうです?」
俺がそう返すと、後藤は肩をすくめて笑った。
「言っても聞かんのはお互い様でしょ?で、どうした?なんか顔色悪くない?」
「大丈夫です。ただ、緊張しているだけですよ。」
後藤は一瞬ぽかんとした顔をして、次に低く笑った。
「なんだよそれ。やっぱ初めての捜索差押は緊張するよねー。わかるわかる。意外とあんたも人間らしいとこあんじゃない?」
そう言いながら、ケラケラと笑う後藤を見て少し気が紛れた。
「……人間らしい、ですか。」
俺がそう呟くと、後藤はマグカップを軽く掲げた。
「そりゃね。あんた、歴戦の先輩たちのレベルで冷静だしね。アンドロイドって言われても疑わないよ。」
「そうかもしれませんね。」
「またそれか。まぁいいけどね。」
後藤は笑いながら机に腰を掛けた。
しばらくの静寂を破ったのは、俺のスマホだった。
ブブブッと震えたので見ると、前日の張り込み班からの連絡だった。
<22:47プリン退勤。店舗閉めてたため、今日の出勤はプリン、タトゥー、顎の3名>
「後藤部長、チャット見ました?」
後藤は、俺の問いかけに勿論と言った形で返事をした。
「見たよ。今日は兎が休みだったと。まさか飛んでたり……なーんてことはないよな。」
「後藤、変なこと言うなよ。でも、最後に兎の姿見たのっていつだ?」
山崎が慌てて質問する。
「会議前の最後の張り込みだから4日前だね。出退勤だけ確認して、家に帰ったところまでは見てないな。」
あと7時間で強制捜査が始まる。
しかし、急に嫌な予感が頭をよぎる。
山崎が考える素振りをするより早く、気づけば俺は指示を飛ばしていた。
「中村、全部の空港に照会!飛ばれてたら終わりだ!」
コーヒーを飲みかけた中村が、大慌てでパソコンに向かい、指先でキーボードを叩く。
それを横目で確認し、さらに指示を続ける。
「後藤、カード履歴を洗え。通信系も紐付け確認、時系列を地図に落とせ!」
「了解、カード履歴ね。こういう時、警察よりカード会社の方が怖いよね。よし、経験あるやつは手伝ってくれ!」
後藤の周りに捜査員が5名ほど集まって作業が始まった。
その時、中村が再び声を上げた。
「佐藤主任、対象空港は?羽田・成田・茨城?」
「違う!全部だ!優先は国際線がある23空港!終わり次第国内線もだ!」
「了解、やったことある人こっちきて手伝って!」
中村の周りにも4〜5人集まり、空港への確認が始まった。
数分のうちに、フロアの空気は一変した。
さっきまで静かだった庁舎が、急速に戦場へと変わっていく。
後藤はコーヒーを机に置き、モニターに齧り付く。
「兎は確かラクサカードの契約あったな。ラクサ社は私とこいつで見るから、誰かクレジット協会に連絡!」
後藤が指差した方向で、若手の女性捜査員が立ち上がった。
「はい、私行きます!」
返事をした捜査員がヘッドセットを装着し、モニターに向かって走り出す。
「頼む。ログの反映早いから、照会結果出たらすぐ共有して!」
フロア中に電子音とキーを叩く音が広がった。
誰もが無言だが、動きは正確で速い。
この瞬間、全員の神経が狩人のそれに変わる。
だが3分後、その静寂を破ったのは、後藤の快活な声だった。
「……佐藤!!来たよ!」
後藤は、目を画面から外さずに、俺に声をかけた。
「兎、羽田空港内の国際線側コンビニで二千円の利用履歴あり。時刻、21:42!」
「まさか本当に羽田……!?」
山崎が息を呑む。
「中村、羽田に絞って照会急げ!誰か東京空港署に連絡!係長、明日の内山班を今から空港招集!!」
俺は即座に立ち上がった。
「国際線で1件ヒット!0:51羽田発ハワイ行き!!」
中村の叫びにも近い声が部屋にこだまし、その場の全員に緊張が走った。
警察24時等を見ると、お祭り感というか盛り上がってる感というか仕事への熱量を感じますよね。
佐藤の地を出すシーンがかなり楽しくて、ついついサプライズを増やしたくなってしまいます。




