第41話「メンタル検査」
19時を回り、各班の打ち合わせが終わった。
班ごとに解散し、適宜任務が始まっている。
特務捜査係の面々は疲弊していたが、誰も帰ろうとはしなかった。
机の上に広げた地図を見つめる目は、皆、同じ方向を向いている。
山崎が俺の隣に立ち、静かに言った。
「……佐藤主任、無事令状も発付されたし、後は明日、現場入りの準備だね。」
「ええ。人数いるんで前日から厚めに人を使えて良かったです。…ただ」
俺が言い淀んだため、山崎が心配そうに覗き込んできた。
「何か引っかかってることが?」
俺は少し迷ってから、答えた。
「……被害者の一人、住田の行方が、まだ掴めていないことです。」
「そうか。まあ、元々怪しいところに勤務してたからな。それに、当日中に出てくる可能性もある。あまり思い詰めるな。」
その言葉に、俺は小さく頷いた。
「それと、佐藤主任約束は守ってもらうぞ。明日、メンタル検診行くんだぞ。」
「あ、そうでした。今から予約します。」
そう言われて俺は、スマホから掛かり付け医診察予約画面を表示させたところで、一瞬手が止まってしまった。
その時、俺は思い出した。
俺の掛かり付け病院国立男性総合病院新宿だと。
行方不明者全員が“降格”処理された病院だ。
偶然かどうかは分からないが、嫌な汗が噴き出した。
指先がじっとりと汗ばみ、タップしようとしたスマホが滑った。
「どうした?」
山崎が首をかしげたので、俺はとっさに笑ってごまかした。
「あ、いや、ちょっと予約画面がバグってしまって。」
軽く流したつもりだったが、声が僅かに上ずっていた。
「そうか。無理しないでくれよ。佐藤主任が倒れたら大混乱だからな。」
俺は「大丈夫です。」と答えたが、胸の奥では別の鼓動が鳴っていた。
そう、診察を受けたのは数年前、俺が転生前の記憶を取り戻した時。
あの時の医師、名前は確か……『倉橋』だったか?
嫌な想像ばかりが膨らむ。
「佐藤主任、顔が青いです。もう帰ったほうがいいのでは?」
声の主は中村だった。
書類の束を抱えたまま、少し息が上がっている。
「ちょっと寝不足なだけですから。明日メンタル検査も行きますし。」
「我々の仕事は体が資本です。休めるときに休まないのは二流の捜査員ですよ。」
そう言いながら中村は、手にしていたペットボトルを机に置いた。
「差し入れです。飲んでください。」
俺は、「……ありがとうございます。」と言い、冷たい液体を一口流し込む。
喉を通る感触が、少しだけ現実に引き戻してくれた。
「佐藤主任、私はXデーで新宿の病院周りの記録が出てくると思ってます。」
中村は声を落とし、被害男性の一覧を見つめながら続けた。
「全員同じ病院でランクが下がるなんてこと、偶然にしては出来すぎです。」
「中村主任の言う通り、私もそう思っています。」
中村は気づいていないようだが、俺の呼吸が浅くなるのが自分でもわかった。
机の上の資料が少し滲んで見える。
「佐藤主任、やっぱり疲れがたまってるんじゃ?」
「……いや、大丈夫です。やっぱり今日は帰ることにします。」
平静を装って言うが、内心は荒れていた。
「そうしてください。明日は午後出勤ですよね?」
「……はい。午前に通院して出勤しますので、よろしくお願いします。では、お先に失礼します。」
そう言って、俺は部屋を出た。
廊下でスマホを取り出し、再び予約画面を開いた。
国立男性総合病院新宿 診察担当者『倉橋和美』、ずっと考えていた既視感はこれだった。
ひとまず予約を済ませ、上を見上げると白い蛍光灯がじっとりとこちらを見ているようだった。
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翌日、午前8時半。
曇り空から、細かい雨がわずかに降っている。
俺は自宅から同行してきたSPと共に、国立男性総合病院新宿と書かれた建物を訪れた。
嫌な緊張感を抱え中に入ると、消毒液のにおいが鼻を刺した。
受付に保険証を出すと、事務員が画面を見て一瞬止まった。
「……佐藤様ですね。担当は倉橋先生でメンタル検査と診察のご予約が入っています。先に検査を受けてください。」
待合室の壁に貼られたポスター『国家資源として国に貢献しよう!』という文字の一つひとつすら、まるで自分を監視しているように見えた。
俺は様々な検査を受け、再び待合室に戻った。
スマホを取り出すと、捜査本部のグループチャットがにぎわいを見せていた。
内容をざっくり確認し始めて数分後、名前を呼ばれた。
「佐藤様、417番診察室へどうぞ。」
廊下に足を踏み出した瞬間、靴底が冷たく鳴った。
4階に向かうエレベーターに乗り込むと、壁のステンレスに自分の顔が歪んで映った。
表情が固く、まるで、これから自分が被疑者になるかのようだった。
診察室の扉の前で、一度深呼吸し、ノックすると、内側から事務的な声が返ってきた。
「どうぞ。」
扉を開けると、白衣の女医が静かにこちらを見上げた。
四十前後だろうか。
髪を後ろで束ね、眼鏡の奥に冷静な光を宿している。
名札にはやはり『倉橋』と書かれていた。
「お久しぶりですね、佐藤さん。」
その一言で、背筋が凍った気がした。
「……覚えておられるんですか。」
俺の言葉に真顔だった倉橋の表情が崩れた。




