第39話「録音」
「私は、Xデーに強制捜査をすべきだと思います。」
声を上げたのは中村だった。
この静まり返った空気の中で、中村の声だけがはっきりと響いた。
皆が一斉に彼女の方を向く。
「理由を聞こうか。」
竹村の低い声に、中村は少しだけ背筋を伸ばし、言葉を選びながら続けた。
「行方不明者四名のうち三名の所在が判明しています。ランクの改ざんはさておき、奉仕を強制されていることは間違いないです。それに、これを聞いてください」
そう言って中村は端末から音声を流し始めた。
『ぼ、僕はランクCでも2日に1度のペースで精液提出が出来るから、投資に失敗しても借金はすぐ返せるって説明されて…』
端末から流れてきたのは悲壮感溢れる若い男の声だった。
「これは橋本陽太の声です。二人きりで聴取できる時があって、録音しました。」
中村が説明を加えた。
「…あっ!あの裏引k……」
「はい、後藤部長は少し黙ろうか。」
何かを言いかけた後藤の口を、山崎が思い切り手で塞いだ。
ふがふがともがく後藤が新鮮で、不意に場が緩んだ。
あんな山崎の顔を見るのは、久しぶりのような気がした。
『で、その元SPさんにアドバイスをもらって、ランクCの稼ぎが少ない職に勤めるより、借金してでも投資で儲けて、失敗したら国の精液提供で返済という考えだったんですね?』
録音データでも中村は落ち着きをもって話をきいていた。
『そうです。それで契約書にハンコをおして通帳預けるだけで、クレジットカードの使用可能額がどんどん増えるからって。』
声が一瞬、裏返った。
橋本が泣きそうなのを堪えているのがわかる。
『それで通帳渡したら、お金が無くなるどころがマイナスの残高になってて…このままじゃ生きていけないってなって…』
『で、失敗したと思って精液提出でお金を返そうと思ったら、ランクDになって廃棄精液になってしまったと。』
録音なのに、こちらにまで悲壮感が伝わってくる。
「そういえば、石田も投資がどうって言ってたね…あの時は男がパニクってたとしか思わなかったが…」
後藤がぼそりと呟いた。
『で、とりあえず働かないと行けないって相談したら、あ、SPさんにです。そしたらLUXEならすぐ返せるよって言われて……全寮制だから家賃もかからないって言われたんです。私も一緒に働いてあげるって言われて…』
中村はここまでで音声の再生を止めた。
「橋本陽太は詐欺に遭い、ランクを改ざんされ、LUXEに落とされたんです!」
中村の凛とした声が部屋に響き渡る。
「この事実を知ってなお、期日を延ばすことなんてできません!今ここで動かないと、手遅れになるかもしれません!」
言い終えた瞬間、中村の肩がわずかに震えた。
声の余韻が、蛍光灯の光の下で小さく揺れた。
室内が静まり返った後、水越が小さく呟く。
「……ランク改ざんの証拠、足りないですね。現場でなんとしても保全しないと。」
その声も、どこか震えていた。
竹村はゆっくりと椅子に背を預け、眉間を押さえた。
「中村、これはいつ録った。」
「10日ほど前です。橋本を店外に連れ出し聴取しました。」
後藤の手柄でもないのに、なぜか後藤がしたり顔で腕を組んだ。
「橋本は今もLUXEにいるのか?」
「はい。少なくとも昨日までは。LUXEの寮は店舗の上なので、外からは出入りが見えません。」
竹村は目を閉じ、息を吐いた。
誰もが、その吐息を合図のように感じていた。
「……もういい。理屈は十分だ。」
低く、短く言い切ると、竹村は立ち上がり御厨の方を向いた。
「御厨理事官。錦部長に検事正に連絡取ってもらうよう伝えてくれ。東京地方検察庁《日比谷》に説明に行こう。中村、音声データのコピーを用意だ。」
警察が捜査したものは地検の判断によって顛末が決まる。
御厨は何も言わずに頷いた。
竹村が言ったのは東京地方検察庁の長たる検事正だろう。
そのトップに根回ししてくれていたのなら、これほど有り難いことはない。
「竹村課長も地検に頭出しをしてくださってたんですか?」
俺の確認に竹村はゆっくり首を振った。
「全ては御厨理事官と錦部長の計らいだ。私には検事正へのコネなど無い。ただ、Xデーは予定通り実施にしたいと、錦部長を説得する。」
その頷き一つで、場の空気が変わる。
静寂が、決意へと形を変えた。
「対象はLUXE本店および従業員四名の居宅だ。シスサポ社については後日必要があれば差し押さえることにしよう。……異論は?」
誰も答えず頷くだけだった。
沈黙こそが、全員の同意だった。
「山崎、Xデーの2日前に、本部庁舎の会議室押さえろ。今回の参加者は全員あつめて説明する。段取りは山崎と佐藤に任せる。」
「「了解。」」
御厨は返事をした俺の方を見た。
「佐藤主任、現場指揮はあなたに一任します。不測の事態だけでなく、足りないもの、人員、必要があればなんでも連絡しなさい。」
「……承知しました。」
声を出した瞬間、喉の奥が焼けるように熱かった。
これが、“引き返せない”ということなんだろう。
会議が散会し、皆が資料をまとめて立ち上がる。
紙の擦れる音と、椅子の軋む音だけが残った。
隣で後藤がぼそりと呟いた。
「……いいもん聴かせてもらったよ。中村、やるじゃんか。」
中村は少しだけ笑った。
「絶対誰にも言わない、記録にも残さないって約束したんですけどね。」
「今さらそんなの気にしてたら、誰も救えないじゃん。」
後藤の軽口に、山崎が苦笑を浮かべた。
ほんの一瞬だけ、部屋の空気が柔らかくなった。
俺はその光景を見ながら、端末の電源を落とした。
橋本陽太の声が、まだ耳の奥に残っている。
あの震えた声が、俺たちを動かした。
廊下に出ると、午前の光がまぶしかった。
外は穏やかな晴天だが、胸の内は鉛のように重い。
あと七日。
この晴れ間の下で、何が壊れ、何が残るのか。
それを知るのは、きっとあの日の朝だ。




