第33話「御厨葉子:報告」
土曜日の執務室、庶務も居らず静寂が続いた。
蛍光灯の白い光が机上の書類を淡く照らしている。
私はゆっくりと椅子に身を沈め、手元の端末を開いた。
デスクトップには、「非公開」「個人用」と書かれたフォルダがいくつも並んでいる。
組織で生きるには、公式と非公式の両方を使い分けねばならない。
正義だけでは上層は動かず、正論だけでは人は守れない。
まず開いたのは警視庁幹部の連絡網。
画面をスクロールして、ある一つの名前で指を止めた。
刑事部長・錦 霞
冷徹で計算高いが、正義感を表に出さない分だけ信頼できる。
昔、池袋署の知能犯捜査係長だった私が、大企業の告訴案件を潰しかけた時、上司として助けてくれた恩がある。
一方で、義理堅さの裏に損得の天秤を常に持つ女でもある。
私は電話帳を開き、彼女の私用携帯に指を滑らせた。
ワンコールで繋がる、さすがに早い。
「錦部長、御厨です。土曜にすみません。」
『ほう、捜一の理事官がこの時間に電話とは珍しい。酒の誘いか、トラブルか?』
「後者ですね。……“資源庁絡み”の案件です。」
一拍の沈黙。その一言で、彼女は概ね察したようだった。
『聞こう。』
私は余計な修飾を抜きに、淡々と概要を伝えた。
特務捜査係による潜入計画。
ランクS男性警察官の佐藤を使った即時強制の発動。
資源庁システム更新のタイミングを狙った強行押収。
『……俄かに信じがたいな、佐藤という男は。理屈は通っているが、到底一年目の胆力じゃない。首の皮一枚で生き延びてきたような場馴れ感がある。』
「私もそう思います。そして、彼のプランに乗らねば国が腐る。」
『葉子らしいな。で、私に何を頼む?』
「刑事部長指揮事件に格上げしたいと思っています。人を集めるなら鶴の一声に縋るほかありません。」
『なるほど。……何人いるか明日までに出せ。各部調整はこちらで引き受けよう。生活安全部からも人足を引っ張るから、言い訳を用意しろ。』
「用意しています。生活安全部の主管法令である廃棄物処理法の取締りが前提です。廃処理法での成果はそのまま生活安全部に譲る予定です。」
『分かった。そういや、竹村にはどこまで報告しているんだ?』
「何も知りません。佐藤の能力すら把握していません。」
『上手く無いな。報告の順番は大事だ。逆転が無いことにしろ。月曜朝9時に私の時間を空けておく。それまでに竹村を操れるようにしとけ。異論は?』
錦部長の声が低くなった。
「ありません。あなたの判断なら信頼できます。」
短い沈黙ののち、電話の向こうから乾いた笑い声が聞こえた。
『相変わらず口がうまいな。まぁいい。それより葉子、気をつけろ。この件、外野が多すぎる。情報拾おうとする奴は、どんな方法でも使うぞ。』
「承知しました。」
『それと警視総監への報告は情報をつまんで簡潔に、副総監への報告は情報を限定的にする。私への報告用を含め、資料を3パターン作っておけ。』
今からその作業をするとなると、私が骨が折るしかない。
特務捜査係は人がいなさすぎて報告資料を作成する暇はないだろう。
「情報の粒度を変えた松、竹、梅でつくります。」
『次、金回りの捜査が出来る奴はいるのか?』
錦が捜査上肝要な部分に切り込んでくる。
「恥ずかしながら捜一は細かい金の捜査が不得手な捜査員が多く、目処が立っていません。」
正直、うちの部署は金周りの財務捜査を精緻に行うことが求められる事案が少ないからだ。
『なら、七瀬を貸す。上手く使え。』
「それは捜査第二課所属の財務特別捜査官である、あの七瀬ですか?」
『それ以外の七瀬が刑事部にいるのか?』
とんでもない支援が来てしまったと思った。
それもそのはず、財務特別捜査官は全員が公認会計士の資格持ちで、元銀行監査部のエリートだ。
警視庁でも数人しかいない。
彼女たちを使うというのは、失敗はできないという裏返しだ。
「度重なるご配慮、ありがとうございます。」
『最後に、来週の業後、葉子と竹村は全部空けとけ。検事正との会合を取り付ける』
通話が切れ、静寂が戻る。
私はふっと息を吐いた。
「それなら、まずは竹村課長への報告と……その前に、念の為に警備部か…」
私はスマホを捜査し、警備部の副隊長の番号を表示させた。
たっぷり7コールほど鳴らして、ようやく副隊長が電話に出た。
「あ、副隊長。土曜にすみません。火急の要件がありまして…」
御厨理事官の話を書くのがとても楽しいです。
部下をきちんと指導しつつ、根回しは怠らず、理想的な上司ですね。




