第20話「後藤由紀:仕入れ」
「じゃあ、残業申請もしたんで、お先でーす」
あたしは軽く手を振って部屋を出て、ポケットにねじ込んであったスマホを取り出した。
スマホの画面にはメッセージの通知で〈わかった。〉の一言が表示されていた。
あたしは小さく「あいつらしいな。」と笑い、足早に庁舎を出た。
―――
夜の新宿の裏通り、雑多なネオンが滲んむ町を進みながら、あたしはパーカーのフードを深く被った。
一旦、家でスーツからボロに着替えて向かっている先は、男性禁止区域の場末の居酒屋。
穴の開いた赤ちょうちんには『飲み処 八潮』と汚い字が躍る。
中に入ると、薄暗い照明と、安焼酎の匂いが鼻に刺さる。
女将に「どうも」と一言言うと、「あの子はあっちだよ」と親指で奥の小上がりを指された。
待っていたのは、昔馴染みの悪友だ。
彼女は、半分だけ金髪の髪を着崩している安物のスーツの上で揺らし、灰が長く伸びたタバコを咥えながら、笑っていた。
「よぉ、後藤。サツカンがわざわざ何のようだ?」
「うるさいな、相変わらず八潮はだらしないね。」
この女は八潮雪乃、小中の頃からの腐れ縁だ。
あたしがまだ真新しい制服を着てた頃、あいつは違法風俗でスタッフとして働いていて捕まった。
久しぶりに連絡が来たと思ったら「パクられて出所した、金貸せ」だった。
「お前、まだ警察なんてやってんのか。正義ごっこ、飽きねぇな。」
「ごっこでも、やめる気ないよ。……で、聞きたいことがある。」
あたしの声のトーンが落ちたことで、八潮の顔つきが変わる。
冗談ではないと悟ったのだろう。
「……LUXEって知ってる?」
「……!」
八潮は眉をひそめ、煙草を咥えたまま沈黙した。
数秒後、諦めたように吐き出す。
「おいおい、あそこに手ェ出す気か?頭おかしいのか?」
「仕事だよ。内偵。」
「マジかよ。あそこは準合法の皮を被った闇そのものだ。スタッフも客も、みんな“選ばれなかった女”の墓場みてぇな場所だ。」
後藤は黙って頷いた。
「入る方法を知りたい。何も持たずにいっても門前払いでしょ?」
「当たり前だ。……だが、ゴミならある。」
「ゴミ?」
「奴らは収集車のタイミング見計らって捨ててるが、そのゴミが回収出来りゃ、カードが稀に出ることがある。」
「それってこれだったりする?」
あたしはスマホから封筒に入っていたカードを撮影した画像を見せた。
「お前、カード持ってんのかよ。ならちょっと小細工すりゃ入れるぞ。」
「え?これって正規の仮認証カードじゃないの?」
「カードは磁気層に客の情報が入ってる。だからデータが飛べば無効だ。あとはデータ飛んだカードとセットの紙さえありゃ、『向こうの不手際』ってことで通れる。もちろん、カード使って受けられるサービスは受けられないから、最低ランクの客扱いだけどな。」
「……つまり、通知とカードが必要で個人の認証はいらないってこと?」
「そうだ、但し、お前みたいな頭が悪そうな女でも、サツカンってばれたら終わりだぞ。」
八潮の声には、皮肉よりも本気の警告が混ざっていた。
「大丈夫。私は、ただの“客”で行く。」
「後藤……。お前、昔から変わんねぇな。」
「意地っ張りで、正義感だけ一人前っていう誉め言葉?」
あたしは何でもないよといった雰囲気で笑い飛ばす。
「…違ぇよ。…貧乏くじ引きたがって、他人のために一番、傷つくんだ。」
八潮はそう言いながら、少し寂しそうに煙草の火を消した。
あたしは笑って、グラスの焼酎を一気にあおった。
「情報、ありがと。昔の貸しは、これでチャラね。」
私はそういうと、机の上に水割り代の500円玉を置いて席を立った。
外に出ると、春先にしては冷たい風が吹いていた。
焼酎の熱がまだ喉に残っているのに、指先だけが妙に冷たく感じた。




