第163話「再殺」
俺が取調室の扉の前に立つと、何も聞こえなかった。
ぽつりと倉橋の声が聞こえ、また沈黙が始まったところで、俺は扉をノックした。
少し待って扉を開け、「調べ中、失礼します。」と声を張った。
手前側に中村と後藤、部屋の奥に倉橋が座って、重い雰囲気が流れていた。
中村が振り向いた瞬間、露骨に安堵の表情を浮かべた。
後藤は椅子にもたれ、目線で「よく来た。」と言っている。
倉橋は俺が入っても、微動だにせず正面を見ていた。
俺は軽く頭を下げ、空いている椅子を引いた。
「失礼します。」
真正面から倉橋を見ると目が合い、一瞬だけ倉橋の瞳が揺れた。
そのまま、俺は目をそらさずに、口を開く。
「倉橋さん。」
名前だけを呼び、視線が合わさるのを沈黙で待つ。
数秒視線を合わせた後、出来るだけ抑揚を殺し、言い放つ。
「……住田正人の…死亡が確認されました。」
中村の息を呑む音と共に、取調室の空気が止まった。
倉橋の視線が、ゆっくりと机に落ちる。
十数秒の沈黙の後、倉橋がかすれた声を漏らした。
「……そうですか。」
そう言いながら、倉橋の肩がわずかに震えた。
「死因は、長期にわたる過剰投薬と脳波干渉の影響があるだろうとのこと。正式なものはまだ来ていません。」
倉橋の指の爪が白くなり、強く握られたのが分かる。
沈黙が、部屋の温度をゆっくりと下げていく。
倉橋は顔を上げないまま、低く息を吐いた。
「……はい、……そうですか……間に合わなかったんですね。」
俺は机の上に手を置いた。
「弁天島であの時、倉橋さんは住田さんを助けようとしていたと思います。ただ、なぜそうしたのか、そもそもあの住田さんは誰なのか、我々は正直分かっていません。」
倉橋は俺の言葉を聞きながら、体を震わせた。
「話してくれませんか。彼に関することを。どこからでも、なにからでもいいです。思い出せることから、話しやすいことから、ゆっくりで構いません。」
倉橋の指先が、わずかに止まり、そっと口が開かれた。
「……はい。……行方不明届の件から話します。」
中村と後藤の視線が一斉に倉橋へと向いた。
「住田さんは山崎さんという方とお付き合いをしていたと聞いています。……私が資源庁で聞いた話では、届は受理されなかったんじゃない。受理させないように手を回されたと。」
倉橋の話を聞き、中村と後藤の肩がぴくりと揺れた。
「……住田さん失踪当時、行方不明届を正式に受理することは確かに拒否されていたます。しかし、生活相談記録だけはデータとして残っています。」
後藤がそう言いながら、小さく眉をひそめる。
「そのようですね。資源庁の人伝に聞いたのは、その後、生殖特捜に出向していた資源庁職員が我々の被験者情報から住田を認識し、……刑部……へエスカレーションしたと。」
ようやく倉橋の口から出た長官名に、俺の呼吸がわずかに乱れた。
「その時の刑部の指示は一つ。『行方不明届の受理登録拒否』です。」
それを聞いた中村が、低く呟く。
「……行方不明として捜索されたら、研究自体が明るみになる可能性があったということですか。」
倉橋は、ゆっくりと頷いた。
「ええ、そのため資源庁からの出向者の手により、相談記録は決了。警察内部でも閲覧制限がかけられた、と聞いています。」
部屋の空気が、さらに重く沈む。
倉橋の話に、俺は言葉を返す。
「住田は、あの弁天島で……被験者として管理されていたんですよね。女性恐怖を感じにくい安定した脳波パターン体質。……国家資源の安定供給研究対象として、価値があったと。」
倉橋は無言で喉を上下させた。
「ええ。彼の脳波や細胞を研究するために薬で管理し、その結果、彼は昏睡状態が続いてしまった。それでも脳波はずっと綺麗なままで。」
後藤が目を伏せ、中村は動かない。
「しかし、突然異変が起きました。佐藤さん、あなたが目覚めたように、半年ほど前、急に住田さんが覚醒したんです。私には理解が及びませんでした。」
倉橋が話しながら俺たちの顔を順番に見つめた。
「意識もはっきりしており、少し動けそうでしたので、精液採取と人感接触との脳波パターン研究をしようという話になりました。……選ばれた場所は、皆さんがご存じの甘南備です。」
倉橋の肩がわずかに揺れる。
「甘南備に移送後、研究を継続していたのですが、客との露出事故が起きました。お客さんに身の上話を少ししてしまい、そしてその客次に来店した時に不審に思い、行方不明者届を提出したようです。」
倉橋の話を受けて、中村が小さく呟く。
「それで、現場の警察官が過去記録を検索して、関連相談の記録見ながら突然登録……事情を知らない現場が前のデータをそのまま登録したという流れですか……。」
倉橋は、力なく頷いた。
「そう聞いています。だから年齢は27歳のまま。そしてすぐに刑部の指示で、生殖特捜が捜索打ち切りの指示を出し、結了の結末を辿ったと。」
沈黙、誰も言葉を発しない。
時計の秒針の音だけが、乾いた音を刻む。
俺はゆっくりと言った。
「もう1つだけ聞かせてください。」
俺の言葉を受け、倉橋が顔を上げると、その目は赤かった。
「あなたは最初から上……刑部の存在を知っていた。……それなのに、言わなかった。」
倉橋の視線が揺れているのが分かる。
「…その……理由は何ですか。」
長い沈黙の後、倉橋が目を閉じて、小さく言った。
「……言えば、終わると思ったからです。」
そのか細い声で、倉橋は続けた。
「刑部は資源庁長官、それは全ての省庁の中心の長です。事件捜査の手を彼女まで伸ばせば……」
倉橋の言葉が途切れ、その視線が俺に向いた。
「捜査の中心であり、唯一の男性刑事である佐藤さん……あなたが消される。」
空気が凍った。
「監禁、事故、自殺、理由はいくらでも作れます。……その片鱗を弁天島に行く前に貴方も経験したでしょう。」
中村がわずかに息を呑み、後藤は目を閉じた。
俺は繁殖プラン特別適応プログラムの対象として登録され、資源庁に身柄を拘束されそうになったことを思い出した。
「私は研究側の人間です。国が本気で隠す時、どうなるか知っています。……それは、特別適応プログラムより、はるかに恐ろしいものです。」
そして、倉橋は手元に視線を落とした。
「だから黙りました。……佐藤さんを守るために。」
言葉が落ちた瞬間、部屋から音が消えた。
倉橋は机を見たまま、続けた。
「佐藤さんを住田さんのようにはさせたくなかったんです。……彼は1度目は10年前に、2度目は本日、2度殺されたといっても過言ではありません。」
誰も、何も言えなかった。
時計の音だけが、静かに時間を刻み続けていた。




