第162話「慚愧」
山崎の背中についていく形で、俺は執務室に入った。
先程、車の中で電話を受けてから山崎の様子がおかしいことは分かっていた。
しかし、俺はあえて聞かずに静観していた。
俺も、自身がランクSになった理由を知って、さらに倉橋の取調官からも外れ、胸に処理できない思いが占めていたからだ。
俺が自身の席にゆっくりと座った瞬間、山崎が「佐藤主任、少しいいか。」と声をかけてきた。
その声はいつも通りの山崎の声色だったが、どこか無理をしている空気を感じた。
俺が「はい。」と返事をすると、そのまま衝立のある打合せスペースへと誘導された。
山崎が椅子に座ったのをみて、俺も座ると山崎の口がゆっくりと開く。
「さっきの電話、……住田正人の死亡が確認されたという連絡だったよ。」
山崎の言葉は事務連絡のように簡潔だった。
俺は一瞬、理解が追いつかず「……え?」と、声が漏れ出た。
「正確な死因は不明だが、大量の投薬と脳波干渉で身体に限界が来たんだろうということだった。……正式な診断報告は後日届く。」
山崎は資料に目を落としたまま続けた。
「死亡前に一度、危篤であることの連絡が来たんだ。車内での電話がそれだ。」
「それなら、そこで病院に転身すれば、一目会うのには間に合ったんじゃ……住田を保護してから、係長はその目で見てないじゃないですか……」
俺は、心から出る言葉をそのまま投げかけた。
「……しかし、私は……刑事だ。住田を苦しめた奴らを、取締って司法の場に引きずり出すのが仕事だ。……間に合わなかったんじゃなく、自分で選んだんだ。」
俺の言葉を受けた山崎の声は、感情の起伏は一切なく、声は平坦で、表情も変わらなかった。
当然、涙も無い。
その繕ったような平坦さが、逆に胸を締め付け、場には沈黙が落ちた。
壁の時計の秒針の音だけが、やけに大きく聞こえる。
「……何回かそういう連絡が来たことはあったから、今回も最後には安定する可能性があったと思ったんだ。」
俺は言葉を差し込む隙間が無かった。
「そういう気持ちもあって私は、現場を優先した。これは……」
一拍の沈黙の後、山崎が続ける。
「合理的な判断だ。」
まるで業務報告のように山崎の感情の無い声が続く。
合理的という言葉は、人が死ぬかもしれない瞬間に選ぶ言葉ではない。
俺は堪えきれず口を開いた。
「後悔は、してないんですか。」
山崎は初めて顔を上げた。
だが視線は、俺ではなく衝立の向こうの空間を見ていた。
「しているかどうかは重要ではない。選択は、取り消せない。過去は変わらない。」
そう言う山崎の声も表情も変わらないが、まばたきの回数だけが異様に少なかったのが気になった。
山崎は今、悲しんでいるんじゃなく、壊れているのでは、と。
俺が何と言葉を変えそうか迷っている際、俺と山崎のスマホが震えた。
スマホを操作すると、後藤からのチャットだった。
<倉橋は上の名前を出さない。調べ停滞。打開策無し。応援求む。>
俺は画面を山崎に向けると、山崎は一瞬だけ視線を落とし、すぐに立ち上がった。
「佐藤主任、取調官から外した私が言うのはおかしいかもしれんが、今から調室に行ってくれるか。」
山崎の声に迷いは無く、さっきまで住田の死を告げていた人間と同一人物とは思えないほどだった。
俺の頷く姿を見た山崎は、「個人的な感情は、後回しにしろ。頼んだ。」と、言葉を続けた。
俺は直ぐに立ち上がり、廊下に飛び出た。
そこでようやく、俺の頭が仕事に追いつき始めた。
俺が調べた時と同じように、倉橋が上の名前を出さない。
やはり、名前を出さない明確な理由があるということ。
それを揺さぶる材料、倉橋が無視できない情報は1つだけ俺の手の中にある。
だが、その考えに辿り着いた瞬間、俺の胸の奥が鈍く痛んだ。
それは、さっきまで生きていた人間だ。
そして、山崎が死に目にも会えなかった相手だ。
さらに、俺たちが直ぐに見つけられなかった、守れなかった被害者だ。
それを、俺は今から取調べの材料として使おうとしている。
最低だという思いとは裏腹に、俺の足は止まらなかった。
それは、ここで立ち止まれば、住田は本当に何も残らない。
死の理由すら、闇に沈んでしまう。
それだけは、刑事として、捜査員として、警察官として、そして同じ男性として許せない。
俺は小さく息を吐き、覚悟を決めた。




