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1/96〜男女比1:96の貞操逆転世界で生きる男刑事〜  作者: Pyayume
最終章「影法師」

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第161話「中村英子:境界」

取調室の時計は、まだ午前を示していた。


だが、この部屋の空気は、すでに一日の終わりのように静まり返っている。


温度、照明、机上のPC、録音録画装置、すべて規定通りで、感情が入り込む余地はない。


PCの隣には、供述調書の雛形、押収物一覧、事件資料のドッチファイルが整然と並んでいる。


取調べ準備としては十分だが、私の胸には小さな違和感が残っていた。


ここまでの資料で福田、倉橋、大原の3人に全ての証拠が向かいすぎている。


私の10年に満たない経験ではあるものの、ここまで綺麗に収束する事件は無かった。


軽く息を整えたところで、扉のノックが聞こえた。


「被疑者入ります!」


後藤の声と同時に扉が開き、手錠と腰縄を付けた倉橋が後藤に連れられて入ってきた。


倉橋和美は奥の席に座らされ、そのまま手錠を外された。


背筋は伸び、両手は膝の上に揃えられ、視線はまっすぐ前を向いている。


その凛とした佇まいは、逃げ場がないことを理解しているというより、気高い人間の落ち着きに見えた。


「これから取調べを開始します。担当します中村と申します。最初に体調等に問題はありませんか。具合が悪くなったらすぐに教えてください。」


「承知いたしました。大丈夫です。」


即答した倉橋の声は穏やかで、震えもない。


「分かりました。それから、あなたには供述自由権という権利が有り、話したくないことは話さないで構いません。しかし、嘘の供述はしないようにしてください。」


「承知いたしました。」


またも倉橋は即答し、私はその速さがやけに印象に残った。


「それでは、倉橋さんは、LUXEにおける男性監禁幇助の被疑事実で逮捕されています。事実関係に間違いはありませんか。」


「ありません。」


隣の後藤がキーボードを叩く様子を見つつ、私は軽くメモをとった。


「それでは、その事実に対して弁解があれば話してください。」


「弁解はありません。私は拘束された男性に対して薬の投与、投薬指示、医療機器の使用の指示をしました。その目的は男性を拘束し、研究データを取得するためです。つまり、監禁する意志がありました。」


倉橋の言葉は淀みなく流れた。


「分かりました。弁解は特になさらないということですので、LUXEへの関与時期から説明して頂けますか。」


私の質問に倉橋は数秒だけ視線を落とした。


思い出す沈黙というより、話す順序を整える沈黙だった。


「LUXEの人間との最初の接点は4年くらい前だったかと思います。資源庁より、男性の対人対応データをもっと効率よく、様々な女性相手で取得できないかという話がありました。」


倉橋の言葉は淀みなく続き、当時の資源庁職員であった内山みのりの親族がSPでありながらサロン経営をしており、その箱を研究に使えないかと指示されたこと。


そこからの実際の流れ、関係者、研究内容、判断の経緯等、倉橋はまるで準備された報告書を読み上げているかのようだった。


---


倉橋が話始めてから既に1時間が過ぎていたが、言い淀む場面は1度もなかった。


通常は記憶の曖昧さ、表現の揺れ、時系列の混乱によって波が生まれ、どこかで必ず躓くものだ。


だが、倉橋にはそれが無く、あまりに綺麗な供述すぎた。


私は「少し確認させてください。」と、言葉を挟んだ。


「はい。何でも仰ってください。」


「あなたの説明では、資源庁からの指示で内山いまりさんと知り合い、LUXEを研究環境として整備し、男性を監禁した。……そう理解してよろしいですか。」


「はい。その通りです。」


倉橋の迷いのない即答に私は頷き、続ける。


「男性の選定や、男性の処遇等の具体的な決定は、誰が行いましたか。」


ほんのわずか、本当にわずかだったが、倉橋の視線が一瞬だけ止まった。


「研究内容の具体化は、私が行いました。」


言葉は滑らかだったが、今の一瞬の淀みがこれまでと違った。


「研究の最終的な承認は、どの部署が?」


「資源庁です。」


「部署名は。」


初めて、倉橋の沈黙が生まれ、部屋の空調音が急に大きく聞こえる。


倉橋は視線を落とし、数秒だけ考えた。


私には、それが答えを選んでいる沈黙に見えた。


「……正式な部署名は、記憶していません。」


私は後藤のキータイプ音を聞きながらペンを置き、しっかりと倉橋を見据えた。


ここまで1時間、人名も、時期も、研究内容も、すべて正確に語った人物が、部署名だけを答えなかった。


私は、すぐには次の質問を口にしなかった。


倉橋は視線を落としたまま、焦りも、不安も、取り繕う気配もなく静かに座っている。


「記憶していない、と聞こえましたが。」


私が確認するように、ゆっくりと言葉を置くと、倉橋は「はい。」と即答した。


思い出せない人の間では無いことを確認した私は、胸の奥で小さく息を吸った。


「確認ですが、先ほどは4年前の時期、関係者の経歴、研究内容、機器の選定理由等、詳細を如実に説明されましたね。」


「はい。」


「それらは記憶しているのにも関わらず、最終承認に関しては覚えていない」


倉橋は、ゆっくりと顔を上げた。


「はい。」


倉橋の言葉は、ただの肯定だけだった。


私はその瞬間、はっきり理解し直した。


倉橋は思い出そうとしていないのではなく、思い出してはいけないのだと。


私の背筋に、冷たいものが走った。


供述は完璧で、ここまでの話は、すべて倉橋自身の責任として語っている。


研究の立案、実行、男性の拘束、投薬、医療行為等すべて、自分がやったことだと。


しかし、責任の終点が、ここで止まっている。


「倉橋さん。ご自身の責任をすべて認めているのは、分かります。」


声の温度を変えないように意識しながら、私は続けた。


「研究の実行責任も、被害男性の拘束責任も。」


「はい。」


「では、その研究を最終的に承認した人物についても、あなたは説明する責任があると思いませんか。」


わずかな沈黙に空調の音が、また大きくなる。


倉橋は数秒、机を見つめたまま動かなかった。


そして、静かに言った。


「……私の責任は、現場までです。」


その言葉は、倉橋にとっての線引きだったのだろう。


私の耳に後藤のタイピング音が大きく響いた。


倉橋はここから先に行けない理由がある。


それが何か分からないが、それはまるで見えない壁のようで、取調室の空気が、わずかに重くなった。



そんな時、取調室にノックの音が転がった。


「調べ中、失礼します。」


その声がする方を向くと、佐藤が居た。

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