第159話「着信」
捜索着手から1時間半が過ぎ、捜査員が押収品の確認を淡々と進めていた。
「ノートパソコン1式、外付けSSD3台、USBメモリ7本、スマートフォン1台、資料3束。以上となります。」
1人が読み上げ、別の捜査員が倉橋に確認を求める。
室内はそれ以外の声は聞こえず、雨音だけが遠くに続いていた。
最後の押収物を確認すると、倉橋和美は頷いた。
「……はい。問題ありません。」
その声は、先ほどまでと変わらず穏やかだった。
「倉橋和美さん。」
俺の隣にいた山崎が、声をかけながら一歩前に出る。
空気が変わり、捜査員たちの視線が一斉に集まる。
捜索の時間は終わり、ここから別の手続きが始まることが分かる。
山崎は鞄から別の封筒を出し、そこから編綴された紙片を取り出した。
「あなたに、逮捕状が出ています。」
山崎は令状を倉橋に示した。
「あなたを、LUXEにおける男性監禁幇助の被疑事実により逮捕します。薬物を用いて監禁を容易にしたという被疑事実です。」
山崎の言葉は静かだったが、どこか力強さがあった。
倉橋は驚きもせず、目を伏せたまま、小さく息を吐いただけだった。
「……ええ。間違いありません。」
山崎が続ける。
「最後に確認します。LUXEへの事業依頼、協力、指示、資料提供、これらはすべて、あなたの意思ですか?」
短い沈黙の後、倉橋ははっきりと言った。
「実行責任は私に有ります。自分のやったことは自分が責任を持ちます。」
山崎は小さく頷いた。
「それでは手錠をかけますので、抵抗しないでください。」
倉橋は静かに両手を前に差し出した。
その動きに迷いはなく、まるで準備していたかのように見えた。
捜査員が手錠を取り出すと、金属音が小さく鳴り、倉橋の腕に掛けられる。
その瞬間、室内に残っていた捜索の空気が完全に消え、事件が一段階進んだ重さだけが残る。
「それでは、行きましょうか。」
山崎の指示で、捜査員が周囲の最終確認を始めた。
押収品は段ボールへ封入され、封印テープが貼られていく。
その様子を静かに見ていた倉橋に対し、俺は声をかけた。
「現金をいくらか持ってください。留置場で生活用品の購入に使いますので。」
倉橋は「わかりました。」と、短い返答をするだけだった。
「佐藤主任、ちょっと待ってくれ。」
玄関から出て、そのまま倉橋と共に駐車場へ向かおうとしたとき、山崎の声が聞こえた。
俺が立ち止まると、山崎は手招きし、倉橋から離れた場所に誘導した。
山崎は周囲を一度確認し、声量を落とした。
「取調官変更だ。佐藤主任は私と本部へ戻る。倉橋の護送と弁録・取調べは他の者に担当させる。」
一瞬、言葉の意味が頭に入らなかった。
「……変更、ですか。」
「利害関係人であること、備考欄記載の事情による精神的影響、供述の任意性確保を考慮した判断だ。分かって欲しい。」
山崎はそれ以上の言葉を選ばず、ただ事実だけを告げた。
確かに少し精神的な落ち込みがあったため、山崎の判断も理解は出来る。
だが、実際に言葉として突きつけられると、重さが違った。
「……了解しました。」
俺は短く答えると、山崎はわずかに息を吐いた。
「……納得しきれないかもしれない、でも、これは佐藤主任を守るためでもある。」
俺は山崎に返す言葉が見つからなかった。
背後で車両のドアが開く音がしたため振り返ると、雨の中で倉橋が車に乗り込むところだった。
手錠を掛けられたまま、ゆっくりと車内へ身体を入れる。
倉橋は、最後までこちらを見なかった。
ドアが閉まり、護送車のエンジン音が雨音に混ざる。
その音が遠ざかっていくのを、俺はしばらく動かずに聞いていた。
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本部へ戻る車内は、終始無言だった。
ワイパーが一定のリズムで雨を払い続けている。
それだけが車内の時間を刻んでいた。
しばらくして、山崎が前を向いたまま口を開く。
「……取調官は、中村主任と後藤部長にやってもらおうかと思っている。」
「……はい。」
自分の声が、やけに遠く聞こえた。
「一連の繋がりのうち、送致すべき部分と、情状証拠として使う部分の切り分けも検察官としなくてはな。」
「そうですね。…承知しています。」
俺の返事を聞くと、山崎はしばらく黙っていた。
信号で車が停止し、赤い光がフロントガラスに滲む。
そのとき、山崎のスマートフォンが震えた。
着信表示を見た瞬間、山崎の表情が僅かに固まる。
山崎は短く「……すまない。」と言って通話ボタンを押した。
「お待たせしました、山崎です。」
数秒の沈黙があり、ワイパーの音だけが続く。
だが次の瞬間、山崎の呼吸が、わずかに乱れた。
「……いつ、ですか。」
通話は長く続かず、俺は視線を前に向けたまま、何も聞かなかった。
山崎はゆっくりとスマートフォンを下ろし「……本部に戻る。」と、それだけを言った。
山崎の声は、いつもと同じだった。
それでも、車内の空気だけが変わっていた。
しかし、俺は何も聞かずに、前方の雨を見続けた。
ワイパーが、一定のリズムで視界を切り裂き続けていた。




