第157話「不穏」
山崎の『休憩取れ』という言葉は、思ったより長く頭の中に残っていた。
席に座ったまま、どれくらい時間が経ったのか分からない。
画面は閉じたまま。手はキーボードの上で止まっている。
部屋の中では、それぞれの捜査員の作業音が聞こえているのに、どこか遠かった。
「佐藤君。」
不意に名前を呼ばれ振り向くと、水越が立っていた。
手にはタブレットと数枚の出力紙。
「例の倉橋から任意提出受けたスマホの解析、終わったよ。」
その一言で、頭の中の靄が一気に薄くなる。
「……分かりました。ありがとうございます。」
俺の声は、思ったより普通に出た。
水越は軽く頷き、いつもの落ち着いた口調で続けた。
「重要そうなものいくつか抽出してるけど、見てくれるかな?」
胸の奥で、何かが静かに動いた。
ここから先は、いつも通りの俺が必要だ。
そう思って、椅子から立ち上がった。
「よろしくお願いします。」
「おっけー。じゃあ早速。」
そう言って水越は、手に持っていたタブレットを目の前のモニターに接続した。
モニターに、スマートフォンの解析画面が映し出された。
「まずはこれね。倉橋のスマホからも、やはりTor接続履歴があった。それも大量に。」
黒い画面に、淡々と並ぶログの列。
タイムスタンプ、IP、送信履歴、無機質な数字の羅列。
水越が画面を指で示す。
「継続的にオークションサイトを見ていたという感じ。」
「これ、かなり期間が長いですね。これだけで、甘南備捜索差押時の状況報告と、森下さんの監視カメラの報告書を組み合わせれば、オークション側の関与はかなり見えますね。」
ログがスクロールされると相当量の日付が見て取れた。
「でも、そっちの事実だと請求しにくいかなって思って、次を説明するね。」
水越が別の画面を開く。
それは、LUXEの従業員、祖母井、内山みのりとのメッセージログだった。
画面には倉橋から送信したと思われる短い文章が並んでいた。
<Bの組み合わせで投与量2倍を増やして、夜間脳波の出力を8%に抑えてください。>
<日中の覚醒率が落ちています。3日間、接客業務をさせないでください。>
<数値的には甘南備行きです。明日の夜に私が確認し、ダメそうなら甘南備へ移送できるよう手配ください。>
<次回の出品に1名追加、ランクB商品のため慎重に扱います。>
喉の奥が、少しだけ乾く。
「これ、全部倉橋医師から発信されたもの。相手方からの返信もあるけど、全部まとめれば、LUXE関連だけで100ページは超えると思う。」
LUXEで監禁されていた男性達の処置に対する具体的な指示により、監禁が容易化されたことに否定の余地はなかった。
つまり、監禁幇助の犯罪事実が組める可能性が高い。
「水越さんの結果から、監禁幇助で行くべきだなと思いました。それ全て今日中に報告書化してもらえますか。」
俺の無茶な要求に、水越は少し恨めしそうな目で頷いた。
「……急ぐんだね。」
水越は小さく息を吐いた。
「分かった。間に合わせる。」
そう言いながら水越が、新しいログを表示した。
「……まぁ、それはさておき。ついでにこれも見せておきたい。」
<試薬の納入について>
<収支報告について>
<顧客選定について>
そう題されたメッセージの宛先は福田弥生、祖母井純子、大原麻子、内山みのりだった。
「……不自然ですね。」
画面を見て声を発した俺に、水越が同意した。
「だよね。佐藤君もそう思うか。」
「この内容、機微なものもあるのに、長官の名前が一度も出てきません。」
「そう。ちなみに、倉橋のスマホからも刑部の名前はおろか、長官、イニシャルなんかも一切なかった。」
俺と水越の間に沈黙が落ちた。
「消された形跡はありますか?」
「ない。そもそも倉橋はこのスマホのデータを隠す気がさらさら無い使い方をしてる。」
水越が早口で即答した。
「……だったら、……最初から、存在しないということですね。」
福田の供述が目に見える形となった瞬間だった。
刑部はやはり、ログにも存在せず、守られている人物。
俺は画面を見たまま言った。
「倉橋がデータの隠蔽をしないのであれば、決定的なものが自宅にある可能性がありますね。」
俺の言葉に水越が頷いた。
「そうだね。スマホの使い方を見ても、どちらかというと残す癖があるような使い方だったからね。」
そう言いながら、再度水越が画面を切り替えた。
「あと……。これは偶然見つけたんだけど。」
水越がそう言って表示したのは、医療記録のPDFだった。
「弁天島で保護された住田さんの投薬履歴。倉橋のスマホに保存されてた。」
「何だって!?」
俺の胸の奥がわずかにざわついたと同時に、それまで別作業をしていた山崎が声をあげ立ち上がった。
そのまま、山崎は画面に近づくと、画面に並ぶ数値、投与量、投与間隔、投与期間を食い入るように見始めた。
「これ、今すぐ、住田が入院している警察病院に送ってくれ!今すぐ!」
山崎が画面から目をそらさずに叫んだ。
「まだ、住田は目覚めていない。以前不安定な状況だと聞いた。だから、情報はすぐに送って欲しい……」
山崎が徐々にか細い声に変わっていった。
「実は、住田の今の担当医からどのような状態で何を投与されていたのか、詳細を聞かれている。血液検査も、脳波も通常ではありえない異常値を示しているらしい。」
山崎の悲痛な声が続く。
「原因が分からないまま、状態だけが悪化していると言われた。これまで何があったのか、なるべく情報が欲しいと言われている。」
山崎の話を聞いていた水越が、スマホをポケットから取り出した。
「わかりました。すぐに若葉に言って送らせます。」
水越はそう言って画面を操作し始めた。
「係長、住田の搬送には倉橋が付いていたはずです。そこの引継ぎは無かったんですか……?」
俺の疑問に、山崎は伏し目がちに首を振った。
「倉橋は医師資格停止中。病院側で治療に当たれないどころか、正式な引き継ぎはできていないんだ。……私も後から聞いたことだが。」
「山崎係長、若葉に送ってもらいました!」
水越が見せたのは送信完了の表示だった。
それを見届けた山崎は、小さく息を吐いた。
「ありがとう。取り乱してすまない。」
山崎の小さな声には、誰も何も言えなかった。
俺はそっと端末を閉じた。
倉橋の逮捕は、もう止まらない。
そして同時に、別の何かも動き始めている気がしていた。




