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1/96〜男女比1:96の貞操逆転世界で生きる男刑事〜  作者: Pyayume
最終章「影法師」

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第156話「対策」

福田を留置場に預け終わり、取調室を片付けて扉を閉めた。


扉が閉まる音が、思っていたよりも重く俺の耳に響いた。


廊下の蛍光灯は半分が消灯され、白く無機質な光が床に細い帯を作っている。


さっきまでいた部屋の熱気が、まるで嘘のように遠い。


数歩歩いたところで、背後からついていた中村の足音が止まった。


「……次、どうしますか。」


中村の声は、取調室の中よりもずっと小さかった。


中村は、先程の取調べ資源庁の長官が動かしていた事案だと理解し、今後どうすべきかと恐る恐る聞いてきたのだろう。


「……明日の朝送致で、二勾満期《起訴日》は6月30日。……このまま通常どおり、警察官としての職務に邁進します。」


自分でも驚くほど平坦な声が出た。


「弁録も調書もあります。…客観資料を集めるだけ集め、検察官に判断を仰ぐ。それだけですよ。」


俺の言葉を受けて、中村はすぐに返事をしなかった。


数秒の沈黙のあと、ゆっくりと言った。


「……福田ではなく、刑部のこと……資源庁のこと、どう考えているんですか。」


その一言に含まれた意味を、理解しないふりはできなかった。


俺は小さく息を吐き、ようやく振り返る。


中村は逃げ場を与えない視線で、まっすぐこちらを見ていた。


「監禁幇助。薬機法違反。人身売買関与……しかし企図した者に繋がる物証無し。とんでもない組織だと思うと同時に、何とか上の検挙まで繋げたいと思ってますよ。」


俺がそう言って唾を飲み込んだ。


「立証する上で物証無しは許されませんよ。福田ですらなかなか客観資料で繋がらなかったのに、刑部まで繋がるものなんて、今更どこに…」


中村が泣きそうな声で返した。


廊下の白い光が、床の上でわずかに揺れている。


「だから、まだ手を付けていない人物がいます。」


俺は、その名前を口に出す前に、頭の中で一度だけ確認した。


「倉橋和美です。」


中村はすぐに反応しなかったが、ゆっくり息を吸う音が聞こえた。


「……逮捕状、請求するんですか。」


「はい。捜索差押許可状《ガサ状》も含めて。証拠を拾い、供述と繋げます。」


ここまで言っても、胸の内側は静かなままだった。


「……佐藤さん。」と、中村が少し声を落とした。


「良いんですか。実のお母さんなんですよね。その……平気なんですか。」


その質問に、俺はすぐ答えが出なかった。


平気かどうかという視点では考えたことがなかったからだ。


俺が数秒考え、出てきたの探した言葉は、ひどく端的だった。


「分かりません。」


その言葉が、自分でも意外なほど自然に出た。


「正直に言うと母と言われても、全く実感がない。私が目覚めた時からの担当医で、本件の一部に関しては重要な参考人で、薬機法や監禁に関しては被疑者候補。それ以上の情報が頭の中に無いんですよ。」


俺の言葉を、中村は黙って聞いている。


「それとに戸籍上の繋がりはありません。実母と言う証明も倉橋の供述のみですし。」


言葉が止まり、廊下の奥で誰かの足音が遠ざかっていく。


「勿論、周りが気にする理由は理解していますよ。」


廊下の蛍光灯が小さく唸る。


「だけど、今はまだ、仕事として進めるしかないです。|犯罪捜査規範14条《被疑者が親族の場合の措置》の対象外です。」


中村は小さく息を吐いた。


「……わかりました。佐藤主任がそれで行くなら、そうしましょう。」


その声は、さっきより少しだけいつもに近かった。


「それなら、福田の送致準備は私がやります。内山いまりの詐欺再逮も明日二勾満期ですから、余裕あるので。」


「……お願いします。」


俺は、以前ほど躊躇わず中村に言えた。


俺の返事に中村が少し微笑み、早足で先に歩き出した。


俺はその背中を見ながら、後を追った。


---


部屋に入ると、山崎がホワイトボードの前で腕を組み、後藤は机に肘をつき、二人とも資料を眺めていた。


俺と中村が入ると、山崎の視線が上がった。


「福田は?」


「留置前診療です。弁録と今日の取調べは終わってますので、診療が追われたそのまま留置ですね。」


山崎が短く頷く。


「そうか。」


それだけ言って、少し間を置いた。


「…弁録と取調べメモは、共有に上がったものを見たから報告不要だ。福田は明日送致で、人事院発表の当日に起訴になるな。」


「ええ、間に合ってよかったです。」


俺が頷くと、山崎が席から立ち上がった。


「ただ、このままだと元凶である刑部を引っ張り出すことは出来ない。」


「そこで……倉橋和美の逮捕状請求します。」


室内の空気が、わずかに止まった。


後藤が椅子にもたれたまま天井を見た。


「……倉橋って言っても、もう任意の調べで大分話してなかった?」


山崎も後藤の言葉に頷いた。


「そうだな。……倉橋に捜査の手を伸ばす理由は何だ?」


「……刑部に繋がる可能性が最も高いと思っています。それに、自宅は未捜索です。」


「あのボロアパートに何かあるか……うーむ。」


山崎は数秒考え、頷いた。


「…それしか、手が無いか。」


後藤が小さく笑う。


「あんたが言うことは大体あってるから、まぁやるってならやるよ。」


相変わらずの後藤の軽さに、肩の力がわずかに抜けた。


山崎がボードの倉橋和美という名前に『逮』の文字を書き、丸で囲った。


黒いマーカーの音が、やけに鮮明に聞こえた。


「よし、そうしよう。LUXEの裏付け要員はもう余ってるから、彼女達を使おう。福田の送致関係のまとめは中村主任よろしく。」


言われた中村が即座に席に向かう。


後藤も立ち上がった。


「で、逮捕事実はどれで行くの?」


後藤の言葉を受け、山崎は俺の方をちらっと見た。


しかし数秒、何も言わなかった。


そして、いつも通りの声で言った。


「佐藤主任は一旦休憩取れ。席で少しぼーっとするだけでも良い。疲れもあるだろうが、やはり顔色が良くない。逮捕事実は水越から倉橋が任意提出したスマホの解析結果聞いてからだ。」


俺は山崎の言葉に、反射的に「了解しました。」と頷いた。


俺は、以前だったら反射的に断っていそうだなと思いながら、席に戻る。


部屋に響くのはキーボードの音、コピー機の作動音、誰かが資料をめくる音。


俺も席に座り、パソコンを開いた。


画面に、倉橋和美の名前が表示され、言われた通り少し物思いに耽る。


俺の頭の中では、「被疑者」、「担当医」、「実母」という三つの単語がぐるぐると回っていた。


胸が苦しいわけでも、吐き気があるわけでもない。


何も、起きていないはずだった。


そっと画面を閉じた瞬間、自分が今どこに座っているのか、一瞬だけ分からなくなった。


数秒かけて、ゆっくり深呼吸を一つして、周囲を見ながら椅子にもたれた。


そして、静かに理解した。


これは疲労じゃない、もっと手前の何かだ。


次の瞬間、何をしようとしていたのか思い出せなくなった。

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