第154話「副作用」
「そんなもののために、橋本達はっ!!」
中村の手が振り上がった瞬間、椅子が大きく音を立てた。
「中村主任っ!」
鋭く呼び止めた自分の声は、思っていたよりも冷静だった。
振り下ろされる寸前で、中村の腕が止まる。
数秒遅れて俺は、無意識に立ち上がっていたことに気付いた。
取調室の空気が、完全に固まっている。
中村の呼吸は荒く、肩が小さく上下していた。
視線は福田から逸らせないまま、拳だけが震えている。
中村は、「……失礼しました。」と、搾り出すような声を出した。
そのまま椅子に座り直した中村は、キーボードに震える指を置いた。
その一部始終を、福田は微動だにせず、ただただ観察するように見ていた。
「……これが現場の反応ですか。……あぁ、思い出しました。中村英子さんですね。LUXEに通っていた。」
福田が責めるでもなく、嘲るでもなく、ただ事実確認のように言った。
その一言で中村の表情が固まった。
「刑事にしては表情が分かりやすいですね。…教えてあげますよ。私達の店舗は、トラブル防止の為にマジックミラー越しに撮影し、顧客の顔認証も並行してやってるんですよ。」
そう言って福田は少しだけ背もたれに体重をかけた。
「報告が上がってたのよね。警視庁の警察官が通ってるって。貴女のような警察官が顧客に含まれていることは、リスク管理上重要ですから、上までの報告対象でしたし。」
俺はゆっくり椅子に座り直した。
机の上の資料が、やけに白く見える。
「今のは失言でしたね。」
俺の言葉に福田は小さく首を傾けた。
「どの部分が?」
問い返してきた福田の声は、本当に分からないと言っているようだった。
「警察官が顧客だったという部分です。」
俺は、できるだけ平坦な声で答えた。
「取調べと無関係な個人情報を示唆し、困惑させるのは控えて下さい。公務執行妨害になりかねませんよ。」
福田は数秒黙り、わずかに目を細めた。
「無関係、ですか。」
「少なくとも、今この場で言及する必要はありません。」
俺の言葉を受けて、中村の打鍵音がぎこちなく再開される。
その音が、部屋に戻ってきた秩序の合図のように聞こえた。
福田はゆっくりと息を吐いた。
「失礼しました。では、あなた方の捜査に必要な範囲に限定して話をしましょう。」
あまりにも素直な引き下がり方だった。
だが、その従順さが逆に警戒心を刺激する。
俺は机の中央の資料を指で軽く叩いた。
「では続けます。体外受精データベースへの不正アクセスと、LUXE顧客データの紐付け結果です。」
俺は、一枚の資料を机の滑らせた。
「この選定基準について、具体的に説明してください。…先ほどの会話で、今回の逮捕事実の犯意に関わると判断しました。」
福田は資料に視線を落とし、まるで資料の裏の意図を探すかのように真剣に見ていた。
「選定基準は三要件を設けています。」
福田の淡々とした声が落ちる。
「専門性、代替困難性、そして再現性。」
中村の打鍵が、先ほどよりも強く机を叩いていた。
「それぞれ説明頂けますか。まずは専門性から。」
「国家運営に直結する専門的分野に従事し、成果を挙げていること。」
「では、代替困難性は何を意味していますか?」
「同等の能力を持つ人材の確保に、多大な労力が必要であること。」
「なるほど。では、再現性とは?」
俺が投げかけたその問いにだけ、ほんの僅かに答えるまでの暇があった。
「……子どもが、その能力を継承する可能性です。」
俺は次の資料を机に置いた。
「つまり、遺伝的要素も選定の対象だということですか。」
福田は頷いた。
「能力の全てが遺伝するとは思っていません。ただ、統計的傾向は存在します。」
「それが国家資源の最適分配の大きな目的と理解して良いですか。」
「はい。」
そう答えた福田の瞳に、迷いはなかった。
「その過程で、多数の男性を監禁し、搾取した。そして、監禁やそれに繋げた詐欺は犯罪であるという認識もあると言うことですか。」
「あります。」
福田の短い応答が続き、まるで確認作業のように感じる。
「それでも、このスキームを作り、動かした理由はなんですか。」
福田はすぐには答えず、ゆっくりと天井を見上げ、そして戻す。
「必要だったからです。」
その声は、先ほどよりも少しだけ低かった。
「誰もやらなかっただけで、いずれ誰かがやることでした。男性比率が減少し、国が滅びる事を避けるために。」
福田は一拍置いて、言葉を続ける。
「『明るい未来』のために。」
福田の言葉が途切れると、部屋にわずかな機械音だけが残った。
空調の風と、キーボードの打鍵音。
そのどちらも、やけに遠く聞こえる。
俺は数秒、資料を見下ろしたまま口を開かなかった。
沈黙を意図的に伸ばし、体感では長すぎる沈黙の後、ゆっくりと質問を返す。
「……その『明るい未来』のために、何人の男性を監禁しましたか。」
福田の瞳が、ほんのわずかに細くなる。
「正確な人数は把握していません。男性犯罪者や不能男性も含めると、100名は超えているかと。」
中村の指が止まり、次の打鍵が始まるまで、わずかな間が空く。
「監禁期間は平均するとどのくらいですか。」
「個人差があります。数週間で再教育が終わる者や、数ヶ月、場合によっては年単位もありますから。」
「…その中で……死亡者は居ますか。」
初めて福田の瞬きが一拍遅れたが、声は揺れない。
「直接的な死亡は確認していません。」
「では、間接的には確認していると言う事ですか?」
「把握していません。」
俺は資料を一枚めくり、そこに並んだLUXEで保護した被害男性の一覧を見た。
年齢、職業、行方不明届の出された日、そして、救出時の健康状態。
「橋本陽太。」
俺が名前を読み上げると、中村の肩が小さく揺れた。
「救出時、重度の不安障害。腎機能障害。PTSD診断。現在も社会復帰できていません。」
福田は何も言わない。
「北村南人。意識はあるものの摂食障害。慢性ストレスによる脳萎縮。同じく社会復帰困難。」
2人目の名前を呼んでも福田はぴくりとも反応しなかった。
「丸山義春。保護時には譫妄状態。現在も幻聴、幻覚により社会復帰不可。」
俺は視線を資料から福田へと移す。
中村も手を止め、射抜くように福田を見た。
「彼らも国家資源《再分配対象》ですか。」
福田はゆっくりと瞬きをした。
初めて、明確な間が生まれた。
「違います。」
そして迷いなく、はっきりと言った。
「では、何ですか。」
「…最適化の過程で発生した副作用です。」
俺は視線を逸らさず、問いを重ねる。
「彼らは、あなた方の計画に必要だった犠牲ですか。」
福田はゆっくりと首を横に振った。
「犠牲ではありません。先ほど申し上げた通り、必要だった副作用です。」
中村の呼吸音だけがやけに大きく聞こえた。
「効果がある政策には、必ずコストが発生します。…統計上の損失と言い換えても良いですが。つまり、受容されるべき対価です。」
俺は資料を数枚めくり、福田と視線を合わせた。
「……では、聞きましょう。その統計は、誰に報告していたんですか。」
福田の視線が止まり、完全な沈黙が生まれた。
秒針の音が数回耳に聞こえた後、福田が口を開く。
「……何の話でしょう。」
「覚えてませんか?…福田さんが先ほど言っていましたよ。」
俺は視線を逸らさない。
「警察官が顧客に含まれていることは、『上までの報告対象』だった、と。」
部屋の空気がさらに一段冷えた気がした。
「つまり、福田さんより上に報告をする必要があったと理解しました。上とは誰ですか。」
福田は再び沈黙したが、それは、これまでのものとは質が違った。
初めて、回答を選んでいる沈黙だと感じる。
やがて福田は、小さく息を吐いた。




