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1/96〜男女比1:96の貞操逆転世界で生きる男刑事〜  作者: Pyayume
第十章「本 星」

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第150話「本星」

捜査本部の空気は、先ほどまでとはどこか質が違っていた。


騒がしくなったわけでも、緊張が解けたわけでもない。


むしろその逆で、誰もが必要以上の言葉を口にしなくなっていた。


その沈黙は、捜査が行き詰まった時のものではない。


すべてが、繋がってしまった後の沈黙だった。


机の上に並んだ資料、画面に映し出されたデータは、論理的な矛盾なく繋がり、整い始めている。


これまで扱ってきた被疑事実のどの切り口でも、福田弥生が被疑者足り得る程だ。


幇助でも、教唆でも、あるいは共謀共同正犯としてでも、福田弥生は、十分に被疑者になり得るだろう。


それでも、誰も「これで行こう!」とは言わなかった。


山崎を見ると、無言のまま資料を閉じていた。


その手つきは、捜査を畳むときのそれではない。


むしろ、触れてはいけないものに蓋をする動作に近かった。


「……1つ、確認……いや、聞いておきたいことがある。」


山崎が、よく通るように言った。


ただそれは、誰に向けた言葉なのか、分からない。


水越でも、若葉でも、俺でもないようで、この部屋にいる全員が、同時に視線を上げた。


「この構造を作り、ここまで動かしてきた人間が、福田で完結すると思うか?」


その問いかけに、誰も答えなかった。


数多の証拠品のそのさらに奥、まだ資料化されていない前提のようなものが、頭の中にぼんやり浮かんだ。


水越が、ゆっくりと首を振る。


「私も一組織の下っ端幹部だから分かります。……無理です。制度設計、金銭出納、人事管理、非合法手段の隠蔽、人間関係の利用。超えなければいけないハードルが高すぎますし、多すぎます。」


その言葉を受け、俺は水越に問いかける。


「……福田は運用側で、この流れの源泉ではないと、そう仰ってますか?」


水越は静かに答える。


「ええ。物証が残らない場所が、意図的に存在しているような気持ち悪さがあります。最初から記録しない判断が前提にあるような。」


その言葉に、誰かが息を呑んだ。


記録しない、署名しない、指示を残さない。


それでも、全てがその判断を前提に動いている。


俺は、資料の端に書かれた組織図を見た。


資源庁の最上段、そこにある役職名の横には、これまで一度もマーカーが引かれていない。


敢えて誰も、口にしなかったのだ。


しかし、この部屋にいる全員が、同じ人物を思い浮かべていた。


名前を出せば、事件が別の形に変わってしまうと、本能的に理解していたからだ。


山崎が、低く言った。


「……福田は金庫番であり傀儡だ。金庫の場所と役割を決めた人間が、他にいる。……私はそう思わざるを得ない。」


その瞬間、捜査本部の時計の秒針が、やけに大きな音を立てた。


誰も、その音を止められなかった。


誰も、次の言葉を継がなかったためだ。


代わりに、山崎が一枚のメモを机に置いた。


それは解析結果でも、供述調書でもない。


6月30日付の人事異動案だった。


「……これは、私の母から少し前にもらった資源庁幹部の人事異動案だ。」


その説明に誰かが、息を呑む。


「国家公務員の幹部異動は例年6末。今年の異動案がこれだ。」


俺も一枚の紙に目が釘付けになる。


「これ……福田の名前がないです。……祖母井も……これじゃ、切り捨てられている。」


「じゃあ……」


中村が言いかけて、言葉を飲み込んだ。


それを見た山崎は、淡々と発言する。


「組織の信頼回復のための責任ある対応として、人事院に出されたトップの案だそうだ。」


その瞬間、俺は理解した。


刑事手続きでは、立証できない位置にある者が、これを公にした時、社会的には禊と見える。


「……最初から、そういう結末が用意されてたんですね。」


ようやく出した中村の声は、静かだった。


「禊が終わればニュースバリューが下がる。ウチの捜査の手が伸びてきたことで、福田にケジメをつけさせ、資源庁は膿を全て出したとアピールする気ということですか。」


「ああ、そういう腹だろう。つまり、人事院の発表のある6月30日が、我々のデッドラインだ。」


山崎が俺の言葉に同意した。


「ということは、やるべきことを1つに絞って、それを為すしかない。」


山崎が、ゆっくりと立ち上がる。


「当然、分かりますよ。福田弥生を、主犯として裁きの場に送ることじゃない。」


俺の言葉に、全員が顔を上げた。


俺は周りを見回し、言葉を続ける。


「福田を、『全体構造を語れる唯一の人間』として、法廷に立たせる。」


皆が沈黙したが、それはもう迷いではなかった。


その沈黙の中で、誰かが小さく息を吐いた。


それは諦めではなく、覚悟に近い音だった。



「……福田は、何を知っていると思いますか。」


中村が、静かに問いかけた。


水越は一度、モニターに視線を落とし、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「知っている、というより……知っていなければ務まらない立場にいた。……データはそう言っています。」


「金の流れ、薬の供給、男の選別、客の連絡、研究の推進、……それらをどうコントロールして、最後に誰を切るかの判断。」


俺は、水越の言葉を追うように、無意識に指を折っていた。


「そして、福田を切ることで、裁かれない人間がいるという前提を組み上げた。」


山崎の言葉を誰も、否定しなかった。


俺は、改めて思った。


『刑部』という名前を、この部屋の誰1人として口にしない理由を。


「資源庁の禊が終わる前に、福田を上げ起訴まで持ち込む。二勾満期を考えると時間がない。だが、やるしかない。」


俺は、机の上の資料を見つめながら、静かに頷いた。


この事件は、福田を逮捕して終わる話ではない。


だが、ここまで手繰り寄せたこと自体が、既に異例だった。


捜査本部の時計は、変わらず時を刻んでいる。


その秒針の音だけが、この国のどこかで、まだ名前を呼ばれていない『本星』の存在を示しているようだった。

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