第147話「山崎玲奈:再訪」
6月5日、午後1時43分。
私たちが弁天島に再び近づいた時、空気には、はっきりと夏の匂いが混じっていた。
海は驚くほど穏やかで、島影が近づくにつれて、エンジン音と波の音だけが船内に残る。
前来た時と同じ航路だが、時間もメンバーも違う。
そして住田が、この島に連れてこられたであろう日を、否応なく考えてしまう航路でもあった。
「……妙に静かだよね。」
相変わらず敬語を使わない後藤が、私にしか聞こえない声で呟く。
だが、今回の出張では重量のある資機材を運んでいるため、注意をするのをやめた。
私も島を確認すると、桟橋には人影が無く、監視員もいない。
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私達が島に着くと、そこには望月が相変わらず小脇にタブレットを抱えて、佇んていた。
資源庁の職員としてだが、私達にとっては被疑者として。
今回の捜索差押えは、彼女を立会人に指定している。
勿論、捜索差押えであることは事前に伝えず、あくまで『施設内をもういちど見せてほしい』と申し入れをしていただけだ。
「鍵は開けてありますから、どうぞお好きになさってください。不明点があれば都度聞いて頂ければ答えますので…」
地下施設へ続く扉の前で、望月は私に淡々と言った。
「……どうせ、もう、何も残っていませんから。」
小さく呟いた望月の声には、焦りも虚勢もなく、結果を知っている人間の余裕を感じた。
私が気にせずに扉を開き、歩みを進めた瞬間、冷えた空気が肌を撫でた。
壁、床、天井、それに影を拒む照明と、凡そ人が長く滞在することを想定されていない作り。
それでも住田は、ここで一体どれだけの時を過ごしたのだろうか。
気付くとすぐに囚われるその思考を、私は無理やり切った。
地下を進んでも、そこには何もない空間ばかりだった。
医療器具も、拘束具も、記録媒体もない。
壁や床にかすかな清掃痕だけが残り、薬品の匂いすら、感じなかった。
「……徹底してますね。」
後藤が歯噛みしたのが分かった。
「そこが一番大きな部屋ですが、何もありませんよ。そもそも、何かあるようなところではありませんので。」
下卑た笑みを浮かべた望月がさらに続けた。
「有事の際の一時的な施設です。違法な用途で使われたことなんて有りませんので。」
私は、何も言わず空っぽの周囲を見渡した。
望月はきっと、ここで捜索しても差押えられる押収品ゼロだと思っているんだろう。
「……さぁ、ここが一番広い部屋です。まだ何か確認されますか?これ任意ですし私も仕事に戻りたいんですけど。」
望月が薄く笑い、私の方に一歩詰め寄った。
「ご案内頂きありがとうございます。ではそろそろ…」
私は、そう言って望月の方に一歩近づいた。
「そろそろ…なんですか?……出口は反対側ですよ?」
望月の眉が、わずかに動く。
「実は、今回の任意でのご協力を打診していましたが、我々警察というのは心配性でしてね……、こういうものを持ってきました。」
そう言って私が鞄から捜索差押許可状を取り出した。
「これは捜索差押許可状、対象はこの施設の中にある物すべて。そして被疑者と被疑事実は…」
私の声は、自然と低くなっていた。
「記載の通り、被疑者は望月小津枝。住田さんに対する保護責任者遺棄の疑い…となります。」
一瞬、空気が張り詰める。
「……はい?……保護責任者遺棄?……何の話です?」
「以前うちの捜査員がお邪魔した時、病院に運ぶ必要性のある住田さんをここに放置していた。それは立派な犯罪です。」
私は即答した。
「住田さんは、あなたの管理下にあった。医療措置を受け、自由を制限され、あなたの判断でここに置かれた。」
私の喉の奥が、僅かに詰まる。
「結果として、住田さんはまだ目を覚ましていません。今も生死の境に居ます。」
私の言葉に望月は肩をすくめる。
「でも彼は10年以上意識を手放しているので、もはやそういう保護や治療の次元ではないのでは?」
「それを立証するのが、我々捜査員の役割だ。」
住田の善意を蔑ろにした資源庁を、私は許さない。
だから絶対に引かない。
「そのために……あなたの所持品を差し押さえます。」
「……所持品?」
望月は両手で抱えていたタブレットを抱きしめた。
「あなたの持っているそのタブレット、それにポケットに入っているスマートフォンですよ。」
「は?そんなの関係ないでしょう。」
望月は、顔に怒りを滲ませながら即答した。
「あります。……あなたが、いつ、誰と連絡を取り、どのような判断プロセスを経たのか。管理責任を示すには不可欠です。」
望月は、一瞬だけ視線を伏せ、そのまま沈黙した。
沈黙が、地下施設に落ちた。
どこかで、換気装置の低い駆動音が鳴っている。
それだけが、この空間がまだ“使われている”ことを主張していた。
「……拒否します。……業務に必要な端末ですし、第三者の個人情報も多数含まれています。」
望月が、ようやく口を開いた。
「任意じゃありません。捜索差押許可状に基づく、強制処分です。」
私の言葉に、望月の唇が、僅かに歪む。
「……ここまでして、何が知りたいんですか。」
「事案の全容と責任の所在です。」
私は一歩も引かない。
「あなたが、何を知り、何を判断し、何を放置したのか。そしてそれらはどの様な犯罪を生み出したのかを、明らかにし、然るべき判断をする組織に送ります。それが警察官の仕事ですので。」
再び、少しの間沈黙が流れる。
その後、望月は、抱えていたタブレットをゆっくりと胸から離し、その流れで床に置いた。
次に、ポケットへ手を伸ばし、黒いスマートフォンを取り出した。
その際に一瞬だけ、躊躇うような間があり、それから彼女は無言で、それを私に差し出した。
「……どうぞ、お好きに。」
消え入りそうなその声からは、先ほどまでの余裕は消えていた。
私は、スマートフォンを受け取り、証拠袋に封入する。
「では、そのまま押収します。」
望月にはそれだけを告げた。
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島を出る船の上で、私は弁天島を振り返った。
地下施設は、空だったが、住田が長く繋がれ、壊される場所だった事実まで、消えるわけじゃない。
そして、本当に隠されているものは、この島じゃなく資源庁の職員の中だ。
望月のスマートフォンが収められた証拠袋を見つめながら、私は、次に開かれる扉の重さを、はっきりと感じていた。
ふと船上の向かい風で目をつぶると、瞼の裏で住田の笑顔が浮かんで、消えた。




