第142話「中村英子:違和感」
6月2日、午前9時18分。
佐藤が倉橋の取調べに向かう背中を見送った後、私は印刷した自身の報告書を読み返していた。
自分が応募した闇バイトの募集の動線や、当日作業の内容、そして甘南備の地下で見た一連の事。
写真も動画も撮影出来なかったため、それら全てを自身の記憶から文字だけを使った報告書にしていくしかない。
日を追うごとに記憶が散逸してしまうため、この確認作業はすぐにでも終わらせたかった。
読み返している時に、ふと、昨日横峯から聞いた大原の供述状況が思い出された。
男性が、衝動的で、感情的で、思料が浅く、知識も無い、と言っていたと聞いた。
確かに私自身、佐藤に出会うまではそう思っていた節が無いわけでは無い。
しかし、大原は元々住田の担当SPをしていたはずだ。
倉橋医師の供述によれば、住田は男性とは思えないほど安定した気性だったはず。
それに、甘南備の地下で見つかった書類群を見ても、到底『守っていた』なんて意識のはずがない。
横峯は、大原の供述状況は嘘を言っていないと思うと言っていたけど、それは間違いなのではないか。
ただ、それを覆す客観資料を見つけることは困難だ。
甘南備で見つけたマニュアル群は、「男性はどうしたらいいか分からない。」という大原の主張を、皮肉な形で裏付けている気がした。
私は自分の報告書に再び視線を落とす。
募集から現場までの動向、指示された作業内容、甘南備での立ち入り区域等、事実の列挙で、間違いはない。
だが、甘南備の地下で感じたあの異様さは伝わらない。
少し物思いに耽っていた私の背中を、そっと2回叩かれた。
「中村主任、失礼します。」
その声のする方に顔を向けると、若葉がぎこちなく笑っていた。
「若葉さん、どうかした?」
「甘南備の証拠品、複写終わって中身見れる状態になったものがあるので、お渡ししようかと思いまして…」
「あぁ、ありがとう。残りも五月雨でいいから、出来次第持ってきてもらえると助かる。」
私の返事に、「わかりました。」と言いながら、若葉は付箋付きのハードディスクを差し出した。
付箋に書いてある証拠品番号から、複写の終わった証拠品が分かった。
「中身は、甘南備の地下にあったタブレットと、取りまとめていた女のスマホ、であってる?」
「はい。どちらもデータはかなり残っていました。……執行前に中村主任が潜入していたから綺麗に残っていたんだと思います。」
若葉はそう言って、私の机の上にハードディスクを置いた。
「ざっと見た限りですが……現場の女は、あくまで指示を受けている側のようです。会場の準備とか、バイトの管理とか、参加者への注意喚起とか、そういう実務だけですね。」
私は椅子に深く腰掛け、頷いた。
「男性の売買に関するやり取りは残ってた?」
「それが……」
若葉は少し困ったように眉を寄せた。
「女の端末には、ほとんど残っていません。オークションの基礎価格設定も、商品カタログも、そう言ったものは別の端末、別のアカウントかと。」
「別?」
「はい。ダークウェブ上の管理者権限を持つアカウントが一つあって、過去開催のオークションもそのアカウントが、買う側と直接やり取りしているかと。」
私は、若葉の言葉を遮らずに待った。
「管理者権限って、いわゆるフォーラムのモデレーターっていうこと?」
「はい、仰る通りです。一般参加者とは別で、スレッドの固定、入札の締め、トラブル時の強制退場まで出来る権限ですね。」
若葉は自分のノートPCを開き、ログの一部を表示した。
「Tor経由でアクセスしていた痕跡は共通していますが、ハッシュ化された認証情報が一致しません。書き込みのタイムスタンプも、女の稼働時間帯とはズレている箇所が多いです。」
「……完全な分業、……というより、大事な部分は任せないということか。」
「そう見ていいと思います。女の方は、開催日が近づくとログインが増えますけど、過去のオークションを見ても、進行中はほとんど触っていません。」
私は画面に映る、無機質なスレッド構造を見つめた。
「落札側とのやり取りは?」
「管理者アカウントのみのようです。恐らく個別メッセージで、支払い方法や引き渡し条件を詰めているのかと。」
内容を確認できなかった管理者アカウントが大原なのか、倉橋なのか、はたまた資源庁職員なのか、それは現状では分からない。
「支払いはやっぱり、暗号資産?」
「そうです。そこはフォーラム内に記載のあったアドレスを基に追跡しました。ただ、ミキシングを一回噛ませて、さらに細切れの時間差送金で隠匿を図っています。勿論、この女の端末にはウォレットの痕跡はありません。」
若葉はそう言い切った。
「つまり……女は下っ端の小間使い。大事な部分はここから見えないように隠されているってことね。」
「そうなります。」
若葉は一瞬だけ視線を落とした。
「確かに、バイトに指示を出していたあの女が、このオークションを1人で回せるようには到底思えない。」
甘南備の地下で見た動線、彼女の立ち位置や指示、それらは誰かの決定を、忠実に実行しているだけだったんだろう。
「フォーラムの方なんだけど、書き方に癖とかはある?」
「あります。」
若葉は少しだけ言いづらそうに続けた。
「と言ってもノイズ程度ですけど、若干医療用語が混じるんです。スラングじゃなくて、管理、投与量、安定性みたいな言葉ですね。」
「……なるほど」
私は、そう言って自分の顎を撫でた。
善意を装った管理に、判断する者と、指示を出す者、実行する者。
そんな考えが頭を巡る。
私はハードディスクに付いた付箋を剥がし、再度証拠番号を確認した。
「……この店舗タブレットの中って、住田に関するデータ、何か出てる?」
若葉は一瞬だけ考えるように視線を上げ、それから首を横に振った。
「CBD-THC株式会社として大原がSPとして担当していた男性の一覧がファイルとしてありました。ただ……」
「ただ?」
「大原が住田を担当していたのは10年も前のことのようです。」
若葉はノートPCの画面を切り替え、大原の担当していた男性の一覧を表示させた。
「ここの、この行です。……なので、どうも行方不明届の情報と一致しなくて…」
私は画面に映る、大原が住田のSPとしての担当開始日を見た。
若葉の言う通り10年前の日付がしっかりと記載されていた。
「住田の実年齢も、行方不明届の情報と乖離があるし、……何ででしょうね。」
若葉の声を聴きながら、私は椅子の背にもたれた。
「警視庁の処理顛末も失踪扱いで受理、事件性なし。で締めてあるし…やっぱりおかしいよね。」
「…この部分、取調べ用に報告書化しておきますか?」
「お願い、一応行方不明届の情報との突合結果も作っておいて。優先度は複写の次くらいで。」
「わかりました。」と若葉がその場を後にした。
私は、住田の名前が表示された一覧と行方不明届をもう一度だけ見直す。
確実に捜査は進んでいるが、全容解明にはまだ至らない、そんな歪んだ事実が見えてきた気がする。




